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私が泥棒だった時(過去世ね)

昨日の、よくわからぬままの初投稿に、多くの方がスキ、をしてくださいまして、ほんとうにありがたく思いました。ありがとうございます。

舌痛症という難しい病気をなんとかしようとしている時に出会った、ドイツ人のサイキックは、一番関係しそうな過去世を視て、言いました。
泥棒稼業をしていて、とても楽しく人生を謳歌していた時がありました。
その時私は男性でした。(ヨーロッパらしい)
強盗のような恐ろしい泥棒ではなく、お腹が空いたらその辺の食べ物を失敬したり、寒くなったら洋服を盗んで着たり・・・みたいなことを繰り返していたらしいです。で、いつも陽気で、それこそ生きる喜びにあふれていたのだそうです。

でも、やはり泥棒は泥棒ですから、ある時つかまって、うそつきの罪で舌を切られたそうです。で、しゃべれなくなった。
それでも、心までは傷つくことがなくて、舌の傷が癒えると、また陽気に暮らし始めたそうです。
でも、ちょうど私が舌痛症を発症したころの歳に、感染症かなにかでその舌の古傷が痛みはじめ、もう何もできなくなって、修道院に入ったのだそうです。

その修道院の庭は荒れ果てていて、修道僧たちは、心の中では神様を信じていない人ばかりでした。
庭と修道士たちのこころは同じだったのですね。
ところが私が修道院に入って数日目、もう長い間咲かなくて、枯れていたようなバラの花が見事に咲き始めたのだそうです。
私が行くところ、庭の花は咲き、修道士たちの心は和み、ついに皆が神様を信じる心を取り戻したそうです。

私は舌がないから、口をきけません。それでもそうなったのだそうです。
しかも、私は長い間泥棒でした。
どうしてそうなったのか、不思議でたまらなくて、サイキックの彼女に聞きました。
すると彼女は、「あなたは、どんな時も生きる喜びを失わなかった。喜びの力は創造の力なのです。」
と言いました。
詳しいことは何もわからないけれど、私は泥棒をしながらも、喜びと共に、心のどこかで愛を持っていたのかな、そうあってほしいと思いました。

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