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落とし穴(第19話)
それから何分ぐらいがたったのだろうか。数時間にも感じられたし、数秒にも感じられるような不思議な時間が私の中で流れ去った時、父はやっと口を開いた。
「まさか、あれぐらいで自殺するなんて、思いもしなかった……」
父は、下だけを見つめながら苦しそうな顔で言葉を続ける。私と母はその言葉を黙って聞き続けた。
「明子が自殺する前日の夜だった……」
「……」
「私は明子と二人しかいない居間でテレビを見ていた
落とし穴(第18話)
私は顔をベッドに強く押し付けながら、一ヶ月前に起こったその小さな事件を思い出していた。
この事件は私に、自分は見捨てられているのだという思いを強固にさせて私の中に沈んでいった。だけど、姉にとっては、どのような意味を持った事件だったのだろうか。私は、そのことを一度も考えたことがなかった。考える余裕などあの時の私には無かったのだと思いたかった。
どこか近所から、雨戸を閉めているガラガラガラという
落とし穴(第17話)
「私、もう学校へ行きたくない」
リポーターの声が不意に止まった。そして居間にはあまりに突然に沈黙が訪れたのだ。まるで私の呟きがその沈黙を呼び寄せたかのようだった。そして困ったことに私の一言は、テレビの垂れ流す騒音にかき消されることなく、居間を包み込むようにして漂ったのだ。
その沈黙の間、母と姉の、沈黙の前と同じ姿勢は滑稽なほど変化しなかった。
「今、何て言ったの?」
聞こえているはずなのに、
落とし穴(第16話)
あれは一ヶ月くらい前の夜だっただろうか。
外では、この冬、東京では初めての雪が降っていた。夕方頃から雲のかけらが落ちてくるように降り出した大きなボタン雪を、私は自分の部屋の窓の小さな隙間から目撃した。その雪は、私が思っていたよりもあまりに白くて、心がカサカサと鳴っているような不思議な感動を覚えた。
中学一年生の三学期が始まって一週間がたっていた。
窓の外で冷気に息を白くさせながら、その日学
落とし穴(第15話)
私はゆっくりと立ち上がった。
私は、宙に浮いている姉を見て、姉の部屋に駆け込んで、姉の遺書のこの部分を貪るように読んだ。そして「あんな姉が、そんなイジメを受けるわけがない」とだけ思ったのだ。その思いが、私の中でいつの間にか『事実』にすりかわってしまっていたのだ。もしかしたら、「よく笑う、優しい姉」とう偶像にすがって、私の存在の、ある部分は成立していたのかもしれない。
体を反転させて川の流れを
落とし穴(第14話)
「私のクラスには、中学二年の頃から、イジメられ出した子がいた。だけど、第三者の立場の生徒は、誰一人その子を助けようとしなかったし、イジメている子に何も言わなかったし、逆に「無視」という形でイジメに参加してしまっていた。誰も自分はイジメているんだ、という意識はない。なぜなら、ただ話しかけないだけなのだから。
その時、私は学級委員をやっていた。本当は学級委員なんてやりたくなかったけど、先生に押し付け
落とし穴(第13話)
プップー。
「え?」
私は、目をぱちくりさせて周りを見回す。すると、地べたに座っている私の左側の驚くほど近くに白い車が鴨志田橋を通りたそうにしていたのだ。バス通りから曲がってやってきたらしい。
プップー、プップー。
私は、自分の足が邪魔になっていることに気付いて急いで足を曲げた。
車は、私を馬鹿にするようにことさらにエンジンをふかして私の前を通り過ぎていった。そして突き当りまで行くとウィ
落とし穴(第12話)
その後私がどのような態度を取り、その男子生徒がどのようにして自分の席に戻ったのか、そのシーンだけは私の頭の中からどこかへ落としてしまったのか、全く憶えていない。もしかしたら、どこかへ落としたという以前に、あの時のシーンはもともと私の頭の中へ詰め込まれなかったのかもしれない。電気のブレーカーが落ちるように、あの時の私の目や耳は働きを止めざるを得なかったのかもしれない。
だけど、ブレーカーが落ちる
落とし穴(第11話)
幼稚園の頃の私は、今の私の記憶の中には全くと言っていいほど存在しない。ただ、外で滑り台やジャングルジムでは決して遊ばずに、教室の中で一人でブロックを組み立てたりして遊んでいるイメージとしての自分が浮かび上がる。でも、取りたてて他の子どもたちと変わったところはなかったはずだ。
だけど、あれは一年くらい前だろうか、自分の部屋の押し入れを整理していたときだった。
私は偶然、その押し入れの奥に幼稚園
落とし穴(第10話)
「やめてよ!」
私は叫んでいた。その叫び声が小さな客間に大きく響き、その響きを聞いて初めて、私は自分が叫んだのだということを知った。もう、訳も分からなくなりそうなくらい、体の中が熱かった。
「お姉ちゃんを、いいこだなんて言わないでよ!」
私はかすむ目を上に持ち上げる。遠い向こうに、父と母と叔母と担任の狼狽した、いぶかしげな顔が見える。
「お姉ちゃんを、『いいこ』なんていう冷たい言葉の中に閉じ込