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即時性コミュニケーションの重圧

こんにちは、浅葱です。

突然ですが、双方向コミュニケーションって工数多くないですか。

とりあえず直接対面での会話を例に取ると、

まず相手の表情や仕草を見ながら言葉を聞き、使われた単語や文章の文字通りの意味を把握する。次に文脈や相手の表情、声色などからその言葉が文字通りの意味かどうか、そうでないとすれば真意は何なのかを推測する。ここまでが前半、相手の言葉を理解する部分。そして自分の言いたいことを整理し、ぴったりくる単語を探し、単語をうまく並べ替えて文にまとめ、場合に応じて言い方をひねったり敬語を追加したりして相手に向けて発声する。しかもこの一連の作業を瞬時に、かつ表情や声色に気をつけながら行わねばならない。これが後半、自分の言葉を発信する部分。

この一連の流れがコミュニケーションにおいての自分のターンです。改めて書き出してみるとすごく多い上に複雑なのですが、多くの人は日常会話レベルにおいてはこれを一瞬でこなすことができると思います。

言葉選びの重圧

中学の頃、この後半部分を消化するのにかかる時間が小学生時代の3倍になりました。人嫌いになってしまったせいで他人との純コミュニケーション量が減ったからか、少し失敗しただけで小学校の頃の教師に怒鳴られることもあった恐怖がそのときになってよみがえったのか、高校入試での作文や面接対策のときに周囲の想定している『正解』を探りすぎたためか、はっきりしたところはわかりません。わかっているのは正解を探そうとしすぎてどうとでも取れるような曖昧かつ抽象的すぎる言葉ばかり使うようになってしまっていたこと、何を言いたいかわからないと何度も言われたこと、周囲の期待に応えねば、正確であらねばというプレッシャーに押しつぶされて言葉選びにさらに時間がかかるようになってしまったことです。

言葉を選んでいるとき、頭の中は高速回転しています。『早くしろ』『自分にも相手にも嘘をつくな、誤解される言葉を使うな』という考えが絶えず頭の中に鳴り響きます。そしてその重圧がかえって言葉選びを遅らせ、誤解の余地がある曖昧な言葉を選ばせるのです。特に大勢の人の前で有意義なことを言わなければならないときや、時間制限があるとき、正確さが命となるような局面ではその考えで頭がいっぱいになり、内部は高速で動いているのに見かけ上は固まっている、フリーズしたコンピュータのような状態になります。

そして言葉選びは発声を始めてからも続きます。声を上げた段階で言いたいことはあらかた固まっているのですが、本当にこの言い方は合っているだろうか、誰かを傷つけるものではないだろうか。話しているときでさえ検討をやめられないので、単語や文節ごとに隙間が空きます。「さっき、…あなたが言ってた、…ことなんだ、けど、…」という具合です。

中途半端にわかる外国語を話すときに近いかもしれません。外国語を話すときと違って使いたい語彙は頭の中にすべて入っているはずなのですがなぜかうまく思い出せません。思い出せてもこの言い方でいいのか、この文章でいいのか考えてしまいます。相手の真意を理解するのにいっぱいいっぱいで、聞きながら自分の考えを組み立てることが難しいのです。

転機

高校生になってしばらく経ってから、20人弱の前で自分の強みと弱みについて話す機会がありました。元を正せば言葉選びが苦手になったのも正確でありたい、誤解されたくない、失望されたくないという感情から来るものでしたから、自分のことを話すなんて怖くて仕方がないのです。発声することそのものはむしろ好きなので、普段は原稿さえあれば問題なく話せるのですが、そのとき作っていたのはプロットだけだったので案の定つっかえます。緊張で狭くなった喉から絞り出す声が震えてかすれているのを自覚しながら目線を動かすと、以前から親切な人だなと思っていた先輩の顔が目に入りました。

先輩はこちらをにらんでいるのかと思うほど真剣な顔で、うん、うんとうなずきながら聞いてくれていました。

そのとき呼吸が一気に楽になったのを感じました。自分のつたない言葉を真剣に、しかも急かさずに待ってくれる人がいることを実感したのは初めてでした。それでもすらすらと話せるようにはなりませんでしたが、言おうとしていたことはすべて言い切って、達成感と共に話を終えました。

そして今

その日を境に少しずつ焦りが薄れ、フリーズすることも減っていきました。落ち着いて周りを見回すと、待ってくれる人が他にもいることや、逆にゆっくり言葉を選びながら話す人が他にもいることに気づきました。そしてその人が話そうとするとき、私は自然とあのときの先輩のように身を乗り出してうなずきながら急かさずに待ちます。

原稿を準備すれば問題なく話せるので『話すのが苦手なんて言い訳だ』と思われることがずっと怖いです。萎縮しながら話した相手に『何をそんなに怖がっているの』と言われて、どうして他人からの評価がそんなに気になるのかと自分でも不思議になったことがあります。それでも、人数は多くなかったものの、人並みにうまく話せないことを許容してくれる人がいるとわかっただけで、ずいぶん楽になりました。

今は緊張しなくてもいい(と思えている)相手や場面であれば、アドリブでも一文をつっかえずに言い切ったり相手の言葉にテンポ良く返すことも出来るようになりました。

一方まだ即時的なコミュニケーションに対する苦手意識は拭えません。ディスカッションやディベートは下手くそです。noteの文章も書きながら何度も消して、考え込んで、少し書いて、とやって何とか仕上がります。コミュニケーションに関しては、他の人の3倍努力してやっと人並みになれるのだと思い続けています。

いつか昔みたいに、情報交換だけじゃなくてコミュニケーションそのものが純粋に楽しいと思えるようになれればいいな。

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