ドラゴン桜を観た。今から東大を目指そうか(笑)
昭和56年、だったかな。札幌の某中学校から同市の某高校に合格。いわゆる越境(区域外)入学で、64倍の難関だった。志望動機は、母と同じ高校に行きたかったから・・・と言うより、単にセーラー服を着たかったから(笑)。
だが入学早々、落ちこぼれた。
現役受験に失敗し、予備校へ。
結局、2浪した。
つまり3回、大学受験した訳だ。
その3回目の合格発表は・・・
第1志望校の第1志望学部 不合格
第1志望校の第2志望学部 不合格
第2志望校の第1志望学部 不合格
惨憺(さんたん)たる結果に失望しながら、第2志望校の第2志望学部の掲示板を見た。そこに・・・自分の受験番号が、確かにあった。午後4時半。辺りは既に薄暗く、受験生はもう一人も居なかった。喜びはなく、その場に立ち尽くして居た。
「これで、本当に北海道を離れなければならなくなった」
全ては「夢」実現のため・・・
4年経ったら北海道に帰るんだ。
掲示板の前で、そう決意した。
夢に縛られた人生だった。
後日、高校時代の担任(女性教師)の元へ挨拶に行った。本当は行きたくなかったが、母に「とにかく行きなさい!」と物凄い剣幕で叱り付けられ、渋々、一人で担任の自宅まで行った。
「先生、やっと大学に合格出来ました。お世話になりありがとうございました」
お礼を言って頭を下げた私に担任が、
「最初っから勉強すれば良かったんです!そうすれば、こんな事(2浪)にならなかったんです!!」
(だからこの担任に挨拶するのは嫌だったんだ。だいたい、もう卒業して2年も経ってるんだし。私が一番お世話になったのは担任じゃなくて予備校の先生だし!)
結局、担任は「合格おめでとう」と言わなかった。
ニコリともしない担任に、母から強制的に持たされた菓子箱を渡した。
バタリと玄関のドアが閉まった。
受験・・・
苦い思い出しかないが、点さえ取れば合格する。
こんな容易い人生はないなと思う55歳。
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