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広報は自社の商品やサービスのファンであるべきか?それとも。。。

広報担当者は、自社の商品やサービスのファンであるべきか?というお話をよく仕事がら聞かれることがあります。
確かに、自社の商品やサービスをより使う、より理解するという側面では、ファンであるといえるかもしれません。その一方で、広報担当者の業務を考えると、メリットばかりに目を向けることではなく、時には、厳しい視点も持たないといけない場合があります。
タイトルにある、ファンであるべきかという命題に対して、広報の専門家の中でも意見が分かれるのではないでしょうか?
おそらく、「ファンである=商品やサービスが好き」「ファンである=商品やサービスを理解している」いずれかの意味であるのなら、個人的な見解として後者が広報としては必要な要素であると考えます。

ファンじゃなくても広報は務まるの?

広報の業務を考えると、商品やサービスの説明やスペック、使用感など、取材時や問い合わせ時に、明確に回答できるという意味で、実際に利用していないとわからない細かい部分があるのは、否めない事実です。しかしその一方で、思い入れが強すぎる場合、過度な説明になり、メリットや良さを説明しがち。そうすると、報道機関や記者は、広報としてではなく、マーケティングや宣伝であると誤解されるリスクが生じてきます。

「ファンである=商品やサービスを理解している」が広報にはふさわしい認識であると考えます。ただ、好きであるということを否定するのではなく、あくまでもバランスが取れた発言や分析、回答ができるという前提であるのであれば、「ファンである=商品やサービスが好き」であるという考えも広報として成り立つと考えています。

より、「好き」な度合いが強い場合、それは、広報ではなく、プロダクトマネージャーや商品開発を担当するものに必須であると思います。

広報は会社を好きであるべきか?

旧知の広報担当者にこれとなく、広報は会社が好きである必要はあるか?という質問をしたことがあります。
ほぼほぼ、周りの広報担当者は、会社というより、広報という仕事が好きという回答。その一方で、広報担当者(日系企業の人事異動の場合は別)は会社に愛着というより、考え方や理念、社会に対する、社会からの見え方などに共感または、広報の力で変えていきたいという人がほとんどであったことを記憶しています。
会社が嫌いなのではなく、広報としてこうしていきたい、広報として会社を理解してもらいたいという思いが強く、それにより、会社が社会に認知されて価値が高まることを喜びに感じている場合が多いようです。
特に、この傾向は、企業広報(コーポレートコミュニケーション)を担当している広報に多く、また、商品やサービスを広報する方の場合、商品やサービスをユーザーに使ってもらうために、まずは知ってもらう、認知してもらう、理解してもらうことが大切であると考えているようです。

結論から言うと、広報は、会社は嫌いではない(好きな方も多くいます)が、どちらかというと、広報という仕事が好きだから広報をしているといったほうが適切なのかもしれません。

広報担当者として考えること

すきか嫌いか、ファンかファンではないかといった表面上なことではなく、最も重要なのは、広報という仕事が好きかということに集約されるようです。広報は、確かに専門的な対応法やスキルが必要な職種である一方で、誰にでもなることのできる職種であると思います。はじめのうちは、何をしているかわからない。記事にならない、記者からきつい質問を受けるなど、ネガティブな側面ばかり、目に行くかもしれません。
そのうち、自分の描いたシナリオ通りに記事化され、認知が高まり取材や話題になってくるとその苦労が一瞬にして報われます。

その一瞬を仕事の達成感として認められれば、広報という仕事を好きになって、より充実した広報担当者に昇華できるかもしれません。





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