「キャリア」ということばを手放す。

久しぶりの更新になりました。
相変わらず脚本家になるべく色々動き、読み、観て、書いている日々です。
ゆっくりではありますが、確実に前に進んでいる実感があります。
毎日が本当に充実していて、梅雨のせいで少し気が滅入るときもありますが笑、総じて人生でこんな明るい期間があったかな?というくらい、前向きに生きることができています。

そんな自分を見て、昔から自分のことを知る知人に、あることばを投げかけられました。

「よく不安にならないね」

「不安?」と一瞬、頭をもたげましたが、企業の正社員としてちゃんと働いている彼の環境を考えたら、そのことばの意味がやっと分かりました。

要するに、彼は「よく脚本家なんてなれるかも分からないような職業のために人生を費やして、フリーター風情みたいな生活を送れてるね」と言っているのです(若干悪意が強調されているかもしれません笑)。

いや、そんなに悪い人ではない彼は、きっと悪意なくそう言っているのだと思います。
たしかに、今の自分は脚本家を目指して、お金にならないコンクールへの応募や(現段階ではお金になるか全く未知数の)テレビのお仕事をやっている自分は、旗から見たらただのニート/フリーターなのかもしれません(それでもライターの仕事はほそぼそやっているのですが…それでも、そういう人から見たらフリーターかもしれません)。
にも関わらず、意気揚々と生きている僕を見て彼は、「よく不安にならないね」と言ったのだと思います。
そのときは「だよねぇ」とヘラヘラ返しただけでしたが、彼と会った帰りの電車の中でこの意味を考えました。

「なぜ自分は不安にならないのだろう」と。

結論は出ていませんが、暫定的な答えが一つ出ました。
それは、『人生をキャリアとして捉えていないから』でした。
他の理由はあるんです。「根拠のない自信に満ちあふれている」などの笑。

でも、彼との違いという意味で考えると、僕と彼は、『キャリア』ということばを持っているかどうかという違いがあり、その違いが大きな価値観の差を作っているのだと気づきました。

僕が今のしていることは、履歴書に書けないことです。もっと言うと、書くとするならば、今の時間は履歴書的に『空白』と扱われるものになると思います。そして、それはすなわち、キャリアの『空白』ということになります。
だからこそ、彼はそんな『空白』を歩んでいる僕を見て、「大丈夫?」と思ったのだと思います。

でも、履歴書を捨てた僕にとって、その『空白』は単なる『余白』でしかなく、そこに思い切り好きなことができる今という時間が楽しくてたまらないのです。

『キャリア』ということばを意識することはとても大切なことだとは思います。だけど、ある人にとってはそのことばは、自由の翼を奪うことばになる可能性があって、そういう人たちはこのことばをとりあえずどこかに捨ててしまってもいいのかな、と思ってしまいました。

人が人生に潰されてしまっては意味がないので。

もしちゃんとしないと、って追い詰められている人がいたら、「こんな感じのお気楽な人もいるのか、だったら自分はまだまともだな」と笑ってもらえたら幸いです。

また、書きます。
それでは、また。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?