ローマにて―ショートストーリー
ちょっと大人な感じです。
***
広場に着くと、壁に寄りかかりながら本を読んでいる彼を見つけた。
近づくとこちらに気付いて、にっこりと笑って手を上げてくれる。
ここローマのどこまでも広がるような空に負けない大きな笑顔。
やっぱり、好ましく思う。再び顔を合わせて幻滅しなかったことに内心ほっとしていた。
あんまり爽やかに笑ってくれるので、この間の出来事が遠のいていく。
近くのカフェに行くことにした私たちは、テラス席を選んで腰を下ろした。
「あれからどうしてました?」
彼から聞かれ、「アレ」というのが何を指すのか意識してしまう。顔に出ないように気を付けながら口を開く。
「ヴェニスとフィレンツェに行った後に戻って来て、ローマを見て回ってました。行列に並びたくないから、あまり有名どころには行ってないけど。」
「僕もです。いまだにコロッセオにも行ってませんよ」
***
イタリアには恋人と行くつもりで、前々から計画していた。
同じ会社の別の支店で働く年上の彼とは、度々食事に誘われて付き合い始め、もうすぐ3年だった。
少々いい加減なところがあったけれど、私生活では目をつぶっていた。だけど仕事のことで言わないと気が済まないことがあり、何度言っても納得されずにぶつかることが重なった。
彼には「皆そうやってる」とか、仕舞いには「女には言わないくせに」と言われたが許せなかった。
男性に対して厳しくなってしまうのは昔からだ。
そうして私は恋人と喧嘩別れをして、でも旅が無しになるのは悔しくて、憂さ晴らしを兼ねて予定どおりイタリアに来たのだった。
***
彼にカフェラテ、私にエスプレッソが運ばれる。
「宗助さんは?」
「僕はずっと知り合いのところにいました。以前の仕事仲間で、こっちに住んでいるんです」
「ああ、この前言ってましたね」
頷いた彼が、
「今日は敬語なんですね」
と言ってきて、どきりとしてしまう。
「ええと・・・この間は酔っぱらっていて」
「そうなんですね。顔色が変わらないから、分からなかった」
「よく言われます。強くないのに、そう見られてしまって」
あの日。
私は行きたかったバールにたどり着けないでうろうろしていた。
恵比寿に私の好きなワインバーがあり、そのオーナーがイタリアのその店をイメージしてバーをつくったと聞いていたのだ。
通りすがりの、日本人に見えた彼に声を掛けるとその店を知っていて、わざわざ店まで案内してくれた。一見して年下の彼はとても感じが良くて、異国の地だったこともあり感激してしまった。
彼もちょうど夕食をと思っていたらしく、結局一緒に飲むことになった。普段はそんなことしないのに不思議なのだけれど、彼の人懐っこい雰囲気のせいもあったのかもしれない。
気遣い上手でよく話を聞いてくれる彼との食事はたのしかった。彼は仕事でこちらに来ているそうで、話してくれるエピソードを聞くのもたのしかった。恵比寿のバーの話をすると、日本に戻ったら是非行ってみたいと言ってくれた。
彼にホステルまで送ってもらった私は、名残惜しい気持ちになった。本当なら恋人と来るはずだったことを思い出して人恋しくもなってしまい、「上がってく?」と聞いたのだった。
***
私は、また彼と私の部屋にいた。
途中でワインを買い込んで、一緒にホステルに帰ってきたのだった。
汗が気になったのでシャワーを浴びさせてもらって着替え、今は彼がシャワーを浴びている。
とりあえずワインをあけて適当なカップに注いで飲む。
出てきた彼にも勧めようとすると、
「真澄さん」
名前を呼ばれ、肩に手を添えられた。
彼はとても丁寧に私を扱う。
あの時もそうだった。記憶が蘇る。
彼はサービス精神が旺盛で、私に限らずそうなんだろう。他のひとにも。
少しは年上として振る舞おうとしたみたが、受け入れつつも、自然とまた彼がリードしてくれた。彼に可愛がってもらい、いい年をして恥ずかしくなる。普段は逆の気持ちでいることが多いのに。
男に負けたと思われたくないという強迫観念が緩むのが分かった。彼といると素直になることができた。
翌朝はカフェで朝食を共にした。
「いつまでこっちにいるんですか?」
「土曜の朝には、ここを出る予定」
「そうですか」
彼はそれしか聞かなかった。
***
金曜の夜、彼と最初に行ったバールに足が向かっていた。淡い期待を持ちながら。
彼は―――いた。
でも、ひとりではなかった。イタリア人だろうか、栗色の髪が波うっている。
手を重ね合わせている二人。
彼の眼差しは私には向けられたことがないもので、胸がズキズキとした。
何を勘違いしていたのだろう。私は、恥ずかしくなって足早に引き返したのだった。
***
最後に苦い思い出となってしまったその旅を終え、日本に帰った。よりを戻そうとしてきた元恋人とはもう付き合う気にはなれなかった。
その後は年下とばかり付き合っている。今の恋人もそうだ。
たまに彼のことを思い出す。
件の恵比寿のワインバーに行くときは、もしかしたら彼がいるかもしれない、なんて気がしてしまう。
fin.
読んでくださってありがとうございます!