日記:時間の軸
2024.07.14-15
深夜2:33。雷の音で目が覚める。
昨日は久しぶりに身体が少し怠かった。
肩と首と頭の痛み。疲れが溜まっているのかもしれない。
薬を飲むほどではないと思い、いつも通り首と肩に温湿布だけ貼って早めに寝たのだが、目覚めた今も痛みは消えておらず、むしろ少し増しているようにも思う。
そんな体調の中、嫌な目覚め方をしたのだから、精神的にも少しやられて、今、実家の防音室でこの文章を書き始めている。
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実家に帰ってきたのは12日の金曜日。
たいてい実家に帰るときは、何も予定が決まっていないことが多く、友達と会ったり家族で何かしたりということも滅多にない。今回も、父親の誕生日祝いで、2人でお昼に鰻を食べに行く予定しか決まっていなかった。
例えば、関東とか関西とか、そのまた向こうの土地に住んでいたなら、久しぶりに実家に帰ったときには、懐かしい人と会ったりすることもあるのだろうけど、今は一人暮らしの家と実家の距離が近いこともあって、あまりそういう予定を立てることがなくなっている。
「いつでも会える」という距離感が、逆に会うきっかけをくれない。
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時間が足りない、と思う。
やりたいことがたくさんありすぎて追いついていない。もどかしい気持ちになるが、この感覚は私にとって非常に嬉しいものでもある。
趣味が広がっているという感覚はあまりなくて、相変わらず読書、サッカー観戦、執筆、実家に帰ればピアノ、その辺りをぐるぐると回っている。趣味ではないが、最近は人と会う予定も多くなっていて、忙しさを感じながらも充実した時間を過ごせている。
もしかすると、無趣味な人にとっては、私は多趣味な人間に映っているのかもしれないけれど、もう少し趣味を増やしていけたらと思っている。noteの固定記事にしている『2024年やりたいことリスト』を最近更新することはできていないけれど、その中にもやりたいことはたくさんあって、それ以外にも興味のあることは増えている。今現在一番やりたいと思っているのは、硬筆の練習。
休職している現在ですら、時間が足りないと思っているのだから、復職した後はどうなるのだろう。身体も心も今の生活より何倍も疲れが溜まるだろうから、単純に時間だけの問題ではない気もする。趣味は健康的な状態でやるから楽しめるのであって、溜まった疲れや落ち込んだ気分を紛らわそうとして行う趣味の時間は、個人的に好きではない。
趣味の時間。人と会う時間。休む時間。どれも惜しいけれど、同時にできるものでもないので、上手い具合に調和を保っていきたい。
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今年5月に放送された『NHKスペシャル 山口一郎 "うつ"と生きる ~サカナクション 復活への日々~』の録画をようやく観ることができた。
サカナクションを好きになったのは高校生の頃だったが、その当時は、好きな曲が何曲かあるぐらいで、語れるほどの熱量を持っていなかった。サカナクションというバンドの凄さをちゃんと知ったのは大学生になってからで、初めてライブに行った時の感動は、今もなお鮮明に残っている。noteで書いている日記の最後に付す【Today's Song】でもサカナクションの曲を何度か載せているが、全曲イントロで曲名が分かるぐらいには好きである。
サカナクションへの想いを語り始めると止まらなくなるので、それはまた別の機会に文章にできたらと思うが、今回この番組を見て、改めて山口一郎という人間の魅力がたくさん感じられた。音楽と向き合い続けるミュージシャンとしてのストイックさ、創作という行為における葛藤、病気との付き合い、メンバーへの想い。YoutubeやInstagramで明るく楽しくファンと交流している姿を普段見ているが、この人は色んなものと必死に戦っているのだと思った。
人前で見せる姿がその人の全てではないということは、相手と自分、どちらの身としても、忘れないでおきたい。
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今日は頭痛を来してしまったが、この頃身体の調子が比較的良くなっているのは、椅子の上での生活が主になったからなのかもしれない。
これまでは、恥ずかしい話、予定のない日はベッドから出ずに生活することが多かった。眠っているわけではないのだけど、寝転んでスマホを触ったり、本を読んだり。何をするにも、ベッドの中でほとんど完結させていた。なんとか身体を起こしてみても、ベッドの背に凭れるのが精一杯で、するとそこからどんどん姿勢が崩れて、気づいたらまた寝転がっている。お腹が空いても、外にご飯を買いに行くのが面倒くさくて、気づいたら夜になっていて。そんな生活では、身体の痛みが増えるのも、納得である。
椅子に座るようになったからと言って、身体の痛みが全くなくなったわけではなく、やはり長時間ブルーライトを浴びていると目・肩・首が痛くなって、それが頭痛につながることも少なくない。しかし、頻度も痛みの度合いも、以前よりはだいぶ減った気がする。
今使っている椅子は、5,6年ほど前に買ったものだが、特別座り心地が良いと感じることもなく、かといって普通に使う分には満足できるレベルである。購入した当時も、特別な思い入れをもって選んだ覚えはないので、次の引っ越し時には新しい椅子を買いたいと思う。新しく住む家だったり、そこに並べる家具だったり、そういう未来を想像すると、とてもワクワクする。
今のところ、引っ越しは来年の頭を予定している。《丁寧な暮らしが無理なくできる空間を作る》という理想は、些かハードルが高いのかもしれないけれど、少しずつでも近づいていきたい。
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Instagramをなんとなく眺めていると、母校(高校)のホームカミングデイに同級生が行っている投稿が目に入った。そんなもの、あること自体知らなかった。いや、知っていても多分行かなかったけれど。
楽しかった過去の思い出は、今を生きる自分を支える宝物となるが、時によっては、自分を傷つける凶器にもなる。その違いは、今の人生が幸せなのか、幸せでないのか、苦しいのか、苦しくないのか、といった自分の状況によるところが大きいのかもしれない。しかし、"過去"という何があっても訪れることができない場所に対する執着や憧れの強さにも関係が深いと思う。今の自分がどれだけ幸せであっても、過去に対する憧れが大きければ、あの頃に戻りたいと思ってしまうことも、きっとある。
過去への憧れから逃げることが簡単ではなく、そしてそんな状況に陥ってしまった時の気持ちは思いのほか絶望的であることを私は知っているから、「今を生きろ!」とか「過去に縛られるな!」とかそんな人生訓めいたアツい言葉は放っておきたいのだけど、思い出への想いはそのままとして、漠然とした回想を、一生懸命に手放すこともやっぱり大切なんだと最近は実感している。
時間旅行ができたとして、「未来へ行く」と答えた人は、訪れた未来から"今"という過去に戻るとき、絶望したりするのだろうか。
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連休の終わり、空が暗くなり始める時間帯は、虚しさで満たされる。
夜半からの頭痛は薬を飲んで一時回復した気がしたが、夕を過ぎる今、またなんとなく身体が怠い。
雨の音が心地よく響く夜もあれば、耳障りに鳴る夜もあって、はたして今日はどちらなのだろう。
~Today's Song~
シャンディガフ / サカナクション
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