日記:重い想い

今日がいい日だったのは間違いない。でも、今日ここに書くことが必ずしも良いことだとは限らない。ここに書くという行為自体に意味があるのかは分からない。自分の気持ちを整理するつもりで書いても、逆に荒れてしまうかもしれない。これを書き終わったとき、自分がどういう気持ちになっているかとても不安だ。

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今日は好きな人と遊びに行った。この"好き"が恋愛か友好かは想像に任せる。なんせ自分の中でもはっきり出来ていないから。自分もその子ももう数日で地元に帰ることになるので、これから暫く会えなくなる。今日が最後のチャンスだった。
結論から言うと、とても楽しかったし、会えて本当によかった。好きって気持ちに偽りはないし、これからも仲良く出来たら嬉しいと思った。もっと好きになった。魅力的な人だと思った。ただ、それと同時に様々な後悔に襲われることとなった。

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「写真撮ろ」「家まで送るよ」「今日はありがとう」「また会おうね」
言えなかったことがたくさんある。こういう後悔を今まで何度してきたことだろう。臆病な自分が大っ嫌いだ。そして、その後悔を覆い隠すように家に着いた後、LINEで「直接は言えなかったけど...」というような粘っこい文面を送る自分に腹が立つ。気持ち悪い。情けない。
「卒業式で会えたら写真撮ろうね」という相手からの返信が嬉しくも、余計悔しい。なんでその時言えなかったんだ。だって卒業式だったらみんなと撮れるでしょ。2人でいるときだったら、2人でしか撮れないのに。特別な思い出にできたのに。悔しい。悔しい。こんな自分が気持ち悪い。

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相手が嫌な気持ちにならないか、傷つかないかを推し量って言葉や行動をとるのは優しさではない。ただの臆病者だ。相手を傷つけるのが怖い。相手を傷つけることによって自分が傷つくのが怖い。あの人が教えてくれた通りだ。だからと言って、相手のことを何も考えず、自分が良いと思ったことを全て見せびらかすという行為も良くはない。その葛藤にいつも負ける。優しくなんかない。ただ怖いだけ。カッコつけ。不器用。ダサい。単なる逃げだ。

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「好き」と「執着」が結びつかない付き合いに憧れる。自分も相手に対して執着心を持たない、かつ相手も自分に対して執着心を持たない。そういう関係が自分にとってベストである。そういう意味では、今日、2人で行った本屋でお互いバラバラに好きな本を自由に見る時間があったのはとても嬉しかった。相手が自分に執着していないのは100%、自分がその子に執着していない瞬間があったのがよかった。しかし、普段自分には途轍もなく大きな執着心がある。とりわけ、異性に対して。その執着心がとれない限り、自分はまともな恋愛ができないのだと思う。だから、今日の会話の中でその子が意味深なことを言ってきたことは、今もなお頭から離れない。今日寝れるのかな。明日も。明後日も。明々後日も。「寝たら忘れる」が羨ましい。
その子はよく自分に「この間友達がさ、」という話をする。その友達はどんな人だ?男か?女か?本当に友達か?そんなことが一瞬でも頭に浮かんでしまう自分が気持ち悪い。死ねば良い。殺してやりたい。
こういう執着心を抱いている自分が大っ嫌いだ。それを執着と呼ぶことも知らずに「関心」とか「思いやり」とか、あわよくば「優しさ」という言葉で片付けていたあの頃の自分をブン殴ってやりたい。なんせ自分が一番辛いんだから。他人への執着心が大きい自分が。

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執着心をなくすには自分のことを好きになることが大事らしい。確かに、今の自分は自分のことが好きではない。良い面もあるけどね、と言えるほどではあるが、そういう面を列挙しても必ず「でも」と付いてしまうところが自分なのだ。
自分を好きになる方法。なんだろう。よく言われるのは、他人の評価を気にしないということだろうか。確かに、自分は過剰に他人の目を気にしてしまう。他人の評価を基準にして自分を評価してしまう。相手から好きと言われて、自分のことが初めて好きになるのかもしれない。いや、相手から好きと言われても、その言葉は信じられないのだろう。そういう性格を直していきたい。
「自分の人生なんだから、他人の声なんて気にしてる暇なんてない。」めちゃくちゃ良い言葉だと思う。でも、今の自分にはそれが出来ていない。他人の声なんて何も聞こえないってぐらい阿呆なフリして自分に夢中でいたい。いや、もっというと自分にも他人にも夢中でいたくない。空とかネコとか風とか音とか数字とか、そういうものだけに敏感でいたい。人間のことを何も考えたくない。

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嫌われてはいないという事実だけで満足していたあの頃から変わってしまったのか。いや、でも正直別に好かれたいわけではない。その子にとっての1番でありたいとも思わない。このままの関係がずっと続けば良いと思う。横顔を眺めているだけで十分なのかもしれない。ただ、自分が好きなその子が変わってしまうのはものすごく怖い。そもそも自分が知らない彼女の一面というだけなのかもしれないが、それを知ることさえ怖い。考えただけでも頭を掻き毟りたくなる。これも執着の一種だろうか。実際、今日も泣いた。泣きそうだったから、別れた後、気を紛らわすためにランニングに行って、その後家に帰って、やっぱり泣いた。今日のその子の一言一言が気になって仕方がなかった。条件反射的に思い出される。意識はしていない、勝手に頭の中で振り返りをしているのだ。そういう自分も怖いが、そういうことをした結果辛くなるのは自分だ。

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その子は自分にとってとても美しい存在である。自分とは割と真逆な人間。せっかちな自分と、おっとりしている彼女。お酒に弱い自分と、お酒に強い彼女。執着心が強い自分と、他人にあまり興味がない彼女。細かいことも気にしてしまう自分と、「あんま覚えてないんだよね」と笑う彼女。数日間しばらく引き摺ってしまう自分と、「寝たら忘れる」彼女。そのくせ、「そういうとこがダメなんだよな〜」と自身のことを軽く責める彼女。そんな彼女が好きなのだ。魅力的で憧れる。

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「ごめんね」と「ありがとう」を何回言えば気が済むのだろうか。自分にとってその子が大切な人であることは断言できるが、その子が自分のことを大切だと思う必要はない。思わなくて良い。思わないでほしい。ただ、ずっと、そのままでいてほしい。裏の顔があるのかは分からないけど、そういうのを上手く隠し通してほしい。そして、そんな顔がなかった場合、少しでもそれがあると疑った自分を本気で叱ってほしい。疑い出したらキリがないんだから。人間なんて。

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こんくらいにしとこうか。書き終わった今、思ったより平気だ。むしろ、本当に気持ちが整理されたのかもしれない。元気ではないが。でも、これだけは忘れてはいけない。今日は幸せな1日だったということ。会って笑って話ができたことだけでもとても幸せ。忘れたくない。
何はともあれ、今の自分に必要なことは他人への執着をなくすこと、そのために自分のことを好きになること。好きになる努力をすること。自分の恋愛観の根底にある、「好きな人には幸せになってほしい = 自分と付き合わない方が良い」という考え方を何とかしたい。この考え方に従うと、一生自分は好きな人と結ばれないことになる。とにかく自分に対してもっと肯定的になろう。受け入れる努力をしよう。でも、実際本当にやり方が分からないのが事実。だってさ、こんなことを書いている時点で自分のことを好きになんてなれないでしょ?「大っ嫌い」とか「気持ち悪い」とか、挙げ句の果てには「殺してやりたい」とか。そういうことを思わないようにする努力から始めれば良いのか?それともそう思ってしまう自分を受け入れるとこから始めれば良いのか?どちらにせよ、こういう風に自分のことを否定的に捉えた文章を書くなということか?






分からないけど、まぁ終わるか。分かんないけど。


ってか、ありえないけど、これその子に見られてたら地獄だな。








Twitter:檸(@nei_monologue)

~Today's song~
eternal moment/yutaka hirasaka
(今日別れた後、どう仕様もない気持ちになって走りに行った時、イヤホンから最初に流れてきた曲。少し、だけど確実に、心が和らいだ。)


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