トラムの車窓から

旅をしている。
日本の47都道府県と、海外もここスペイン・バルセロナで(トランジットをおまけで含めば)20カ国めとなった。
数がどうではないし、EU国内を動き回ったこともあり、私のパスポートにはそんなにたくさんのスタンプはない。
もらっとけばよかったなと思いつつ、教えもらえたものをみると、几帳面に並べてくれていたり、全然飛んだページに押されていたり、個性があっておもしろい。
ロンドンからユーロスターでブリュッセルへ入国した時のスタンプが、なんだかかわいくてお気に入りである。

旅をする旅、日記や備忘録をつけたいなと思いつつ、なんだかんだと後回しにしてしまう。
移動中に絵日記をつけてみたり、メモ書きにしてみるけれど、それは自分のためで、どこかの誰かに向けて公開しようとなると、なんだか体裁を整えねばと自意識が働き、億劫になってしまう。

それなら旅の途中に、と思うけれど、気づけば異国の景色や食べ物、声やにおいに刺激されて、気づくと1日2万も3万も歩き回っている。
ゆっくり旅する性分ではないらしい。

それほど裕福でもないし、サバティカルなんてものはないので、お金も時間も限られた旅だ。
アジアではリーズナブルにホテルに泊まれても、ヨーロッパではもっぱらドミトリーである。
夏休みで旅行してるんだ、とルームメイトと話してみても、え?ショートトリップ??と困惑される。
いろんな都市を、ものをみたくて、ついつい欲張り詰め込んでしまう。今回は8泊10日で2カ国4都市。そんな話をしたら、同室の彼女は1都市に1週間は滞在するらしい。ドミトリーの冷蔵庫にファミリーパックのヨーグルトや、大きなオレンジジュースを置けるわけだ。心底羨ましい。
ただ、駆け足の旅かもしれないけれど、満足感は高い。私がしあわせなら、それがすべてである。

コロナ禍で、旅ができないフラストレーションから、食い入るようにガイドブックを見ていた。
当時、行きたいと描いていた場所には、今回の旅ですべて行けることになる。
といっても、コロナ禍当初はメンタルダウンして旅どころではなかったけれど。

海外ひとりでこわくない?とよく聞かれる。
中途半端に生きて、不自由になったり、迷惑をかけるのは正直こわい。
ただ、どこかでもうしんでもいいか、よく生きた、というような気持ちもある。
明確な希死念慮でも自殺念慮でもない。随意的に、能動的にはしねないけれど、不随意的に、受動的にはしんでもいいかもしれないと思っている。
どこか、余生のような思いがある。

言葉にすると、傷ついてくれるやさしいひとがまだいてくれるので、誰かに伝えることはしないけれど。

飛行機が落ちる確率も、事件に巻き込まれる確率も、高くはない。それでも、そこにあたることはある。
ひとりがいなくなると、10人に影響が出ると言われているらしい。
時薬という言葉は、正直すきではないけれど、月日とともに、あの日の激情はやわらいでいると思う。泣きながら目を覚ます日は、まだ続くけれど。
その言葉は、月日を経た本人が実感として用いるもので、同じ経験をしたからといって、第三者が外から掛けていいものではないようにも思う。
自死遺族が自死遺族を傷つけないとも限らないし、私的な経験談が暴力となるこわさもはらんでいる。気をつけたい。

リスボン、アヴェイロ、コスタ・ノヴァ、アゲダ、ポルト、とんでバルセロナと移動してきた。
バルセロナに来たらメトロになってしまったが、トラムで坂道をことこと移動するのが楽しかった。街並みがゆっくり流れていくのがすきだった。
弟は、ブラジル系にまちがえられる顔つきをしていた。またどこかで面影を探してもいる。どこかで、しあわせに生きているんじゃないか、と思ったりもする。
レストランの呼び込みのおにいさんや、おみやげやさんのおにいさんに、ついつい重ねたりもする。弟には怒られそうだけれど。

トラムの車窓からではなく、ドミトリーの庭で、星をみながら。ポルトで買った0.37ユーロのビールを飲みながら。
きっと帰国して見返したら恥ずかしい文章だけれど、きっとこれは今しか書けないし書かないものだから、まぁこれでよしとする。私がよければ、それがすべてなのだ、と思うことにする。

明日はサグラダファミリアを見に行く。
ここから歩いて2kmもないところにあるらしいが、まだみていない。
今日は飛行機移動に疲れて、チュロスを食べて、暗闇のグエル邸をチラ見しただけだ。歩き回ろうとしたら、空港ですれ違ったおねえさんが残数のあるツーリストカード?的なものをくれたので、交通費が大変浮いた。お礼をしたかったけれど、颯爽と去って行ってしまった。あんな大人になりたかった。ペイフォワード的な何かで還元したい。
サマータイムの明るさに感動しつつ、夜は更けていく。
帰りたくないな、と思う。でも、家にいても帰りたい、と思うから、もはやよくわからない。
酔っているということにしておく。
人間なんてみんな、どこかおかしいんだから、酔って生きているくらいでちょうどいいと思っておく。常識を実行し続けることはきっと狂気だし、少しおかしいまま、もう少し生きていけたらいいなと思う。

Have a good day!
You,too!

という、たぶん、海外の方にとってはなんでもないやりとりに、私は少し泣きそうになっているのは内緒だ。
誰かの今日のしあわせを、なんてことないように祈れるのって、なんだかすてきだ。
明日は来るかわからないけれど、私も誰かの、辿り着いた今日のしあわせを祈ってみたい。

これは後から読んで、絶対はずかしいやつだ。

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