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【短編小説】ふわふわメロンパン密輸事件

「高嶺くん、週末って何か予定ある?あのね、食べたい物があるんだけど、週末付き合ってくれない?」


 同じクラスの古賀さんに誘われたのが水曜日の昼下がりの出来事だった。
 どうやら古賀さんの用事は必ず複数人でないといけない条件があるらしい。古賀さんには日頃からお世話になっているため二つ返事で承諾したが、何を食べに、どこへ行くのかをきちんと聞いておくべきだった。

 午前8時ちょうどに高校近くの駅に待ち合わせで約束をした僕らは、中央・総武線と京浜東北線を経由して東京駅に着くと、更にそこから茨城県のサッカースタジアム行きのバスに乗り込んだ。


「えっと、何かを食べに行くんじゃなかったっけ?」
「そうだね。あぁ、ええと」


 どこに連れて行かれるんだ。と僕が疑問に感じていると、いつの間にか待ち合わせの際に身に着けていたラベンダーのトップスから地元の黄色いサッカーチームのレプリカユニフォームに着替えていた彼女はこう続けた。


「これから行くスタジアムはスタジアムグルメが美味しくて有名なの。特にもつ煮込みが有名かな。一年前に食べたことあるけどあれは最高だったなぁ。サッカーの試合ももちろん目当ての一つなんだけど」
「へぇ。そうなんだ。」


 食べ物を食べにスポーツを観に来ることになるとは。それにしても、もつ煮込みかぁ。最高の食べ物としてこのメニューの名前を挙げる女子高生がいるとは思わなかった。


「それでね、今日はモツ煮の他に究極のメロンパンって言うのを食べたくて。知り合いの子が言うにはね、しっとりとした生地と柔らかいクッキーの食感がふわふわで最高なんだって。それでね、生地にはメロンの風味が詰まっていて、メロンパンの間に挟まっているカスタードクリームとの相性が抜群で。カスタードクリームもほどほどな甘さで、これを食べると他のクリームメロンパンには戻れないほどの美味しさらしいの」
「へ、へぇ」


 思わず女の子の甘いものへの熱に押されてしまう。聞くにスイーツと言っても過言ではないレベルの菓子パンだし、やはり女子はスイーツに目がないものなのだろうか。古賀さんの目がキラキラと輝いているように見えた。古賀さんの解説を聞きながら、究極のメロンパンとやらをネットで調べてみると、パン工房のホームページを見つけた。そして、画像を見る。なるほど、これは確かに美味しそうだ。

 それにしても究極のメロンパンとはなんとハードルを上げた商品名なのだろうか。「極上の~」や「天使の~」といった単語が接頭につくメロンパンは聞いたことがあるけれど、まさかそれらを突き詰めたかのような究極と銘打ったメロンパンが存在していたとは。僕も興味が出てきた。


「そう言えば。はい、これ」
 古賀さんはトートバックからクリアファイルを取り出した。その中には、スタジアム周辺のマップが書かれたB5の用紙と、コンビニのロゴが入っているチケットブックが入っていた。彼女はチケットブックの中からチケットを取り出し、僕に手渡した。チケットにはメインスタンド2F指定席と書かれている。


「どうも。いくら払えばいい?」
「あぁ、お代はいいの。今日は付き合ってもらってる訳だし」
「そう言うことならお言葉に甘えさせてもらうね。今度別の何かで返すよ。ところで僕を付き合わせたのは何か理由があるの?サッカー観戦ならいつも1人で行ってるのに」
「そうだ、肝心なところを言っていなかったね。高嶺くんには”密輸”に協力して欲しいんだ。」




 僕らを乗せたバスは東京駅八重洲口を出発すると、約2時間で目的地に到着した。
「意外と時間かかるんだね」
「うん、千葉寄りにあるとは言え茨城県の端だしね」


 木々に囲まれた何とも立派とは言い難いバス停から降りると左手にはサッカースタジアムが見えた。強風に煽られ、大きなサッカーボールのモニュメントをよそ目にスタジアムの外周部をぐるっと時計回りに回ると、スタジアムグルメを販売している店が見えた。


「一応確認なんだけど、あそこのお店ではメロンパンは売ってないんだよね?」
「うん、調べた限りあそこにはないと思う」


 古賀さんの言う通り、『メルカリロード』と呼ばれるエリアには、ケバブや唐揚げ、クレープなどのキッチンカーが主だった。あそこにお目当ての品があれば話は早かったのだが、無ければ仕方がない。

 スイーツに燃えている古賀さんは、僕に対し早く行こうと促すと、「やっぱり密輸するしかないのよ。このスタジアムは」と小さく呟き、歩き始めた。

 スタジアム外のスタジアムグルメ売り場から離れ、マップを頼りにスタジアムを反時計回りに少しだけ進むと、目の前には『GATE 1』と書かれたエリアが見えた。


サッカースタジアム 2F見取り図



「高嶺くんはメインスタンド席だからそこの1番ゲートか、あっち側の2番ゲートから入ると近いよ」
「あ、そうなんだ。古賀さんは別のところからだったよね」
「うん。私はビジター自由席だから7番ゲートからしか入れないの。じゃあ究極のメロンパンと食肉事業協同組合のモツ煮を買ったら連絡をちょうだい。モツ煮の方は列が出来ているから分かると思う。モツ煮は何個か出店しているお店があるけど、食肉事業協同組合のモツ煮だからね」
「了解。じゃあ」


お互いに手を振り別々の方向へ歩き出した。そう、他でもない”密輸”のために。



 近くの1番ゲートからスタジアムへ入場し、食肉事業協同組合の売店の列に並びながら情報を整理した。

 バスの中で話を聞く限りはこうだ。このサッカースタジアムはホームチーム用のエリアとビジターチーム用のエリアとがフェンスで区切られている。これは、古賀さん曰く乱闘などの騒ぎが起きないようにするため。とのことだ。ビジターチーム用のエリアは円形状のスタジアムの一角に存在しているため、ホームチーム用のエリアとの接点は2つ存在しているが、当然その2つともにフェンスが設置されており、さながら隔離されているようなエリア構造になっている。

 また、古賀さんのお目当ての究極のメロンパンと食肉事業協同組合のモツ煮の売店は、ホームチーム用のエリアであるメインスタンド2Fに存在しており、そのエリアに入るためには唯一のビジターチーム用のエリアのチケットであるビジター自由席以外のチケットを購入する必要がある。ビジター自由席のチケット購入者は上記の通り、フェンスでさながら隔離されているためメインスタンド2Fに行くことは出来ない。

 そう、ビジター自由席のチケット購入者は、有名と噂されるこのサッカースタジアムのスタジアムグルメを堪能できないのである。そして、生まれたのが”密輸”だそうだ。

 密輸とは何を隠そう、ホームチーム用エリアで購入したスタジアムグルメを、ビジターチーム用のエリアを隔離するフェンス下の隙間越しにビジターチームのファンへ受け渡しを行うと言うものである。なるほど、確かに密輸。言い得て妙だ。斯くして、密輸実行のため僕がホームチーム用のエリア、古賀さんがビジター自由席のチケットで入場し、フェンス越しに密輸を行う‘’究極のメロンパン密輸作戦‘’が練られたのだった。


 そうこういている間に自分の番が来た。両手が塞がってしまうため、先ずは古賀さん用のモツ煮1つだけを購入し、次は究極のメロンパンを探しに歩く。

 究極のメロンパンは案外簡単に見つかった。スタジアムのコンコースを反時計回りに進み、お目当ての究極のメロンパンを密輸用と自分用の2つ購入した。
 包装紙に包まれたメロンパンを鞄にしまい、手筈通りに古賀さんへ連絡を行おうとすると、不在着信の通知が3件とメッセージの通知が2件ほど届いていることに気が付いた。双方ともに古賀さんだ。メッセージの方の内容は、「見たら折り返しちょうだい」と言う文章と「お願い!」と言うメッセージ付きのスタンプがそれに添えられていた。すぐさま折り返し発信を行う。


「ごめん、食べ物買いに行ってたから連絡気づかなかった」
『あ、うん。いいの。私が頼んだし、そうだろうなぁって思ってたから』
「えっと、何かあった?」
『うん。それがね...』

 古賀さんの声色が神妙そうなものに変わり、こう続いた。
『密輸用のメインスタンド側のフェンスが風で倒れてきたらしいの』

 密輸用ではないだろう。と冷静に突っ込みたくなった。が、ここで話の腰を折るのは野暮だろう。
『それで怪我した人もいるからか、フェンスに近づかないでください!って警備員さんが言ってずっと立ってて。だから密輸は出来そうにないの』
「なるほど。今日は風が強いもんね。でもフェンスってメインスタンド側とバックスタンド側の2箇所あったよね。そっちはどう?」
『そっちは怪我人はでてないんだけど、同じように強風で倒れてきたらしいの。警備員さんは建て付けが悪くなってたから~とかなんとか言ってた』

 なんてこった。今手に持っているモツ煮はどうすれば。
『だから、密輸は出来そうにないの。ごめんね。買った分は高嶺くんが食べていいから。じゃあまた試合が終わったら連絡するね。』
「了解」
 と言いかける途中で通話が切れた。これは古賀さんにとって相当ショッキングだったようだ。

 たかがフェンス1枚のせいで食べたいと懇願していたものが急遽食べられないと言われたのなら僕も同じ感情を持つだろう。僕は古賀さんの思いを汲み取りながら自席を探した。



 自席である2F2列3番の席は北スタンド寄りのメインスタンド2Fの指定席だった。視界の端にはビジター自由席が見え、ビジターチームのチームカラーを身に纏った黄色の軍団が見える。あの中に古賀さんもいるのか。

 スタジアムを眺めていると、北スタンドのビジター自由席とホーム指定席の間にちょっとした空いたスペースが出来ていることに気が付いた。スマートフォンで写真を撮り、古賀さんに『これってなに?』とメッセージを送る。2分後に古賀さんから返答があった。あれは「緩衝帯」と言うらしい。これも接敵したサポーター同士の乱闘騒ぎを防ぐためのものらしい。ビジター席側にフェンスがあるとは言え1mもない距離で相手チームのサポーターと接敵していれば、確かに乱闘騒ぎになりかねない。それを証明するように緩衝帯には警備員さんも立っていた。勉強になった。ただ、2Fのビジター自由席の真上の4Fにホーム自由席があり、ホームチームのサポーターが陣取る構図は大丈夫なのか...?なにか物を落とされたりしないだろうかと不安に感じた。




 初めて訪れたサッカー専用スタジアムの構造やピッチで行われている水撒きを眺めつつ、僕は申し訳ない気持ちを持ちつつ古賀さん用にと購入していてたモツ煮を食す。ちょっと濃い目の味付けで、出汁は味噌がベースに作られているのだろうか。モツがこれでもかと言う程入っていて美味しい。確かにこれは名物になるな。




 試合結果は2-2の引き分けだった。前半はホームチームが試合を優勢に進め、1点のリードを奪ったものの、後半は打って変わってビジターチームの流れに変わった。あっという間に2点を取って逆転し、このまま試合が終わるかと思った後半アディショナルタイムにホームチームのディフェンダーの選手がセットプレーから頭でゴールに流し込んだ。なんというドラマだろう。僕はあまりスポーツを観る人間ではないが、こんなにも興奮してしまった。ペットボトルに入った水を飲み干し、ピッチを横目に席を立った。


 スタジアムから外へ出ると、すっかり陽が落ちつつおり、ちょっぴり肌寒い横風が僕の熱気を攫っていった。中立の立場で観ていた僕は気持ちの良い試合だったが、勝利寸前で同点に追いつかれたビジターチームのファンである古賀さんはあまり良い思いはしていないんだろうなぁ。と思いつつ、古賀さんへ通話をかける。古賀さんは2コールで通話に応じた


『もしもし』
「あ、もしもし。今どこにいる?」
『まだスタジアムの中にいるよ。ゴール裏の撤収作業に付き合ってる』

 ゴール裏とは、サッカーチームのサポーターと呼ばれるファンの中でもより愛の強い人たちがいるエリアのことらしい。その名の通り、ゴールの裏のエリアである。そのゴール裏のサポーターたちは、楽器やフラッグ等を用い、声を出し、飛び跳ねてチームの鼓舞をするらしい。撤収作業とはその名の通りで、応援に用いた道具の片づけをしていると言うことだろう。

「了解。僕はスタジアムを出てるから、外のどこかで待ち合わせしよう」
『じゃあジーコ像の近くにいて。あと10分くらいで終わると思うから』
「じゃあまた」

 通話が切れ、僕はジーコ像とやらに向かう。そういえば、今日はビジターチーム側に上半身裸で応援している人がいたけど、あれは何かの罪にしょっぴかれたりしないだろうか。と言う疑問が僕の頭の中に浮かび上がったが、あれはグレーなのだろうと思い込み忘れることにした。


 ジーコ像はお昼に見たキッチンカーの近くだった。案外簡単に見つかったな。と心の中で呟いていると、見知った女の子が僕の前を通り過ぎた。

 あれは隣のクラスの人で生徒会長をやっている。確か名前は伊東さんだ。
 古賀さんと同じ黄色のレプリカユニフォームを身に纏った彼女は、一回りほど歳の離れた男の子と、二回りほど歳の離れた男性と一緒だった。恐らくは父親と弟との3人サッカー観戦に来ていたのだろう。知り合いでもない一歩的に名前を知っているだけの関係なので特には声をかけないでいると、こちらに見向きもせず彼女たちはスタジアムの外周部を反時計回りに歩いて行った。


 それから5分ほど待つと、ラベンダーのトップスに身を纏った古賀さんが走ってきた。どうやら黄色のレプリカユニフォームからは既に着替えてきたらしい。

「ごめんね、お待たせ」
「あぁ、うん大丈夫。そんなに待ってないよ」
「じゃあ帰ろうか」
 と言い出す古賀さんの表情はどこか朧げだった。あれ?悔しそうではなく?疑問に思った僕がその疑問を投げかけようとした時、古賀さんが消えそうな声で発言した。

「あのね、隣のクラスに生徒会長の伊東さんっているでしょ?今日お昼に見た。その伊東さんが究極のメロンパンを食べていたの。

 古賀さんの感情は、試合の不満よりも、自身が食べたかったと懇願しているものを目の前の知り合いが食べていた不満が勝っているようだった。古賀さんは些細なことは気にしない大らかな性格をしていると思っていたのだが、どうやら甘い食べ物が絡むと話は別らしい。


「今日スタジアムでは密輸はできなかった筈だし、どうやってビジターチーム用のエリアに持ち込んだんだろう。私も食べたかったのに。ねぇ、聞いてる?これっておかしいよね?」
「うん、そうだね。まるで密室トリックみたいだね」


 夜風で古賀さんの頭の血が引くだろうと思っていたが、古賀さんの不満がまだ煮え切らないらしい。彼女はぶつぶつと独り言を唱え、推理しているようだ。

 そんな会話をしながら歩いていた僕らは、そうこうしている内に高速バス乗り場に辿り着き、東京駅行きの帰りのバスに乗り込んだ。そしてバスが発信すると、納得のいっていない古賀さんはこう切り出した。


「高嶺くん、ごめんね。あの件、私まだ納得がいかなくて。伊東さんがどうやって究極のメロンパンを密輸したのか、良かったら一緒に考えてくれない?」
バスの中で2時間の間、不満そうな友達の横で素知らぬ顔が出来るほど僕の面の皮は厚くない。暇つぶしにもなるし、是非謎解きに付き合おう。
「いいよ。分かった」


 


 究極のメロンパンを食べるため、購入するには、メインスタンドもといホームチーム用のエリアに入る必要がある。ただし、ビジター自由席のチケットを購入している場合はフェンスで仕切られている都合上、メインスタンドには入ることが出来ない様になっている。
 そのため、古賀さんの当初の想定と同じく、究極のメロンパンを食べるためには”密輸”を行う必要が出てくる。しかし、今日の試合ではフェンスが強風で倒れてしまった都合上密輸は行うことが出来なかった。何故、伊東さんは密輸しなければ食べることの出来ない究極のメロンパンを食べていたのだろうか。


「えっと、どこから話そうか」
「じゃあ時系列順に話していってもらえる?」
「うん、分かった。じゃあそれで話していくね」


 こほんと咳払いをしてから古賀さんは口を開いた。
「まず、ビジター自由席の開場時間が11時ちょうど。で、11時15分にはフェンスが倒れていて、それ以降はフェンスに近づけないようになってた。もちろん、2つともね。私が高嶺くんと別れてスタジアムに入ったのが11時20分くらい。この時に、伊東さんとそのお父さんと弟さんの3人が私の前にいて、同じタイミングでスタジアムに入場した。

 それから、密輸のためにビジターチーム用のエリアを区切っているメインスタンド側のフェンスの近くに行ったら、フェンスにはもう近づけないようになってた。メインスタンド側が使えないって分かってから、バックスタンド側のフェンスも見に行ったんだけど、そっちも同じく近づけないようになっていた。それを見たのが11時30~40分くらいかな?高嶺くんに何回か通話かけたのもそれくらいの時間だよ。それから席に座って、2回お手洗いに行ったけど、それ以外はずっと席に座ってたよ。

 伊東さん一家は何度か代わりばんこに席を外してたけど、私と同じタイミングで入場しているから当然この時間には密輸は出来なくなってる筈。だけど、伊東さん一家はハーフタイムの14時50分~15時くらいの間で、究極のメロンパンとコンビニかどこかで買ったであろうサンドイッチを食べてた。それで密輸が出来るようになったのか気になってハーフタイムと試合終了後にメインスタンドとバックスタンドのフェンスを確認しに行ったけど、状況は私がお昼見た時と同じで密輸は出来ない状態だった。
 うん、こんなところかな」


 なるほど。気になる点がいくつか出てきたが、それよりもこれだけ記憶していて饒舌に喋られると古賀さんの不満がこれでもかと伝わってくる。


「了解。流れは大体分かった。まずは、伊東さん一家がフェンスが倒れるよりも前に来ていた可能性はありそう?」
「それは、私と同じタイミングで入場するよりも前に伊東さん一家がスタジアムに入場していたか。ってこと?」
「そうだね」
「それはないかな。あそこのスタジアムのビジター自由席は再入場不可だから。一度外に出ちゃうとチケットをもう一回買わない限り、再入場出来ないの。それに開場が11時で、一度スタジアムに入ってから密輸して外に出て、それから11時20分にもう一度別のチケットで入場したって言うことになっちゃうんだけど、密輸してから外に出るメリットを感じない。それに、短時間でそれをやるなら別の方法が良いと思うの」

「と言うと?」
「チケットを2枚買うならの話だけど、同じビジター自由席のチケットを2枚じゃなくて、ホームチーム用エリアのチケットとビジター自由席のチケットを1枚ずつ買った方が納得は出来る」
「自分でホームチーム用エリアに先に入場して商品を買って、11時20分のタイミングでビジターチーム用のエリアに持ち込むんだね」
「そそ」
「ホームチーム用エリアの入場も11時なの?」
「うーんと、シーズンチケット購入者だともうちょっと早めに入場できるけど、他はビジター自由席と同じ3時間前だった気がする。ごめん、私そこは自信ないかも」
「大丈夫。先に入場できる可能性があるかどうかの確認だから。でも、確かに可能性自体はあるかもね。それこそ怪しまれたとしても「間違ってチケットを買ってしまいました。」って言えば言い逃れは出来るし」


 そもそも4,000円以上はするチケットを2枚購入してまで1個300円のメロンパンを買うだろうか。ご当地グルメのために旅行する人は少なからずいると思うが、それと同じだとは思えない。3人で1人3個ずつ食べたとしても合計金額は1,800円だ。最悪通販でも買える代物なので尚更疑わしいが、少しでも有り得る可能性を消していこう。


「ただ、それも違うと思うの。伊東さんの弟さんはユニフォームを着ていなかったけど、伊東さんとお父さんはユニフォームを着ていた。私も着てたビジターチームの黄色のユニフォームだね。で、究極のメロンパンの売り場って言うのが、ホームチームのゴール裏の近くなの。ゴール裏だから当然ホームチームのサポーターが多いんだけど、そんな場所をビジターチームのユニフォームを着てうろうろするのはマナー違反。どちらかというとモラル違反になるのかな?何れにせよマナーに反するよろしくない行為で、それこそ乱闘騒ぎにも成りかねない案件だから」

「ユニフォームを脱いて行った可能性は?」
「それもないと思う。伊東さんが肩掛けの小さいポシェット、お父さんがサコッシュを持っていたから、ユニフォームを脱いだとしてもきっと鞄の中には入らない。スタジアムへの入場時に荷物検査したでしょ?その時にチラッと中身が見えたんだけど、財布が入っていて、代えの着替えとかも入ってなさそうだった。伊東さんがコンビニの袋を持ってたけど、飲み物やサンドイッチが入ってただけ。その中にも着替え類は入ってなかった」

「なるほど、自分で再入場した可能性はなさそうだね。じゃあ、知り合いに再入場させた可能性はどうかな。それなら自分たちの入場は一度だけになる」
「それなら理論上は可能なんだけど多分違うと思う」
「多分?」
「確証はないの。確かにその方法なら可能だと思うんだけど、一度中に入ったその知り合いが外に出てくる理由が分からない。ホームチーム用エリアの入場列は凄い並ぶのよ。人が良く入るからね。増してや開場時間ちょうどとなると尚更。早い時間から列に並んで待機して、入場したかと思えば、席取りもせず究極のメロンパンだけを購入して外に出る。それをわざわざ外で受け渡しした理由も分からない」

「受け渡しするならそれこそフェンス越しの密輸で良いじゃないかってことだね」
「そう。フェンスが倒れたのが11時15分って言ったでしょ?そのタイミングには私と伊東さん一家はビジター自由席の入場列に並んでる。フェンスに近づけなくなって密輸が出来なくなった後で外で受け渡しするなら分かるんだけど、列に並ぶ前の時点ではフェンスで受け渡しが出来るのにわざわざ外に出る理由はないのかなって。もちろん、不良とパシリのような関係性であれば成り立つと思うんだけど。流石にそれはないかなって」

「でも仮にタイトなスケジュールになるとしても、フェンスの下から密輸するより外に出て手渡しする方がお互い良い気持ちにならない?フェンス越しに拘る理由はないのかなと感じたけれど」

「そこはサッカーファンならではの考え方かも。牢屋に入った囚人みたいにフェンスの下から物を渡されるのは確かにあまり良い気はしないけど、密輸はこのスタジアムの名物になっているから。ビジターチームのファンは、このスタジアムに来たからには密輸してもらおう!ってくらいの気持ちでいる人が多いの。ほら、福岡に行ったら明太子食べよう、とか大阪に行ったらたこ焼きを食べようみたいな。名物なら味わいたいであろうあの感覚。伝わる?」


 うーん、その例えは分かるような分からないような。
「なるほど。であれば密輸での受け渡しを望むのがベターかも知れないね。可能性自体は有り得るけど再入場して持ち込んだ線はかなり薄そうだ」
「うん、とは言えスタジアムの中で受け渡しするのは不可能と言い切れるの」
「それは言い切れちゃうの?」
「うん。唯一可能なエリアを仕切ってるフェンス越しに受け渡しって言うのは、仕切っている2つのフェンスに近づけないから出来ないし、他に近づきようがない」
「じゃあ、緩衝帯を超えて渡したって言うのは?」
「それはダメだよ。そんなことしたら警備員さんに捕まっちゃう」

 そう言えば緩衝帯には確かに警備員さんが立っていた。
「警備員さんに中継してもらったとかは?」
「うーん、警備員さんの人柄によっては出来なくはないだろうけど、現実的じゃない気がする」

 そりゃそうだ。僕が警備員だったとすれば不審物かどうかを先ず疑う。それに持ち場を離れてまで渡された物をすんなり踵を返して逆方向のビジターファンへ渡しに行くとは考えにくい。


「じゃあ投げたって言うのは?」
「緩衝帯越しに?」
「それもあるかもだけど、ビジターチーム用のエリアの上層にホームチーム用のエリアがあったよね。そこから下層に向かって投げるとか」
「もし見つかったりしちゃうと不審物を落としたって問題になる可能性があるし、それはリスクがありすぎると思う。それに、普通のメロンパンならともかく、究極のメロンパンでそれは無理だよ」
「え、どうして」
「潰れてクリームが溢れちゃう」
「食べれなくはなさそうだけど」
「そういう問題じゃないの。それに伊東さんが食べてた究極のメロンパンの形は綺麗だったよ」


 うーむ、確かに。こう並べるとスタジアムの中で受け渡しをしたと言う線は、古賀さんが言うように不可能と言い切っても良いかも知れない。リスクを犯せば可能かもしれないけれど、伊東さん一家がその危ない橋を渡るかと言うと、もちらん渡らないだろう。
「事実を並べると、中でも外でも受け渡しされた可能性はなさそうなのか」
「うん、だから謎なの」
古賀さんの発言に僕はかぶりを振る。
「いや、それなら考えられるケースは1つだけになったよ」



 再入場して持ち込んだ線が消え、入場してから受け渡しされた線が消え、僕には謎が解けた。これは俯瞰で見ることによって解決できる内容だ。

「どういうこと?高嶺くん分かったの?」
「うん、消去法だけどね。因みに今までに挙げた方法以外に何か思いつく方法はある?」
「えっと、直接の受け渡しは出来ないし、物を投げるなんてことはメロンパンなんだからもちろん出来ないし、唯一の頼みの綱であるフェンスが使えない以上は...ないんじゃないのかな」

「そう。ないんだよ。中から受け渡しするのも、外で受け渡しするのもこれまでの考察によるとすべて可能性はないと言い切ってもいいレベルなんだ」
「でも、あれは確かに究極のメロンパンだったよ?写真で何度も見てるし、見間違ってないと思う」
「うん、古賀さんが言うのなら見間違ってないんだろうね。でも古賀さんは究極のメロンパンを”スタジアム内で買って食べるもの”として認識しすぎていた」
「と言うことは?」
「こういうことだと思うよ」

 僕は鞄の中からプラスチックの包装紙に包まれた究極のメロンパン2個を取り出した。




 伊東さんが何故スタジアムの中で買うことの出来ないメロンパンを、如何にしてビジター自由席に持ち込んだのか。その疑問において考慮しなければいけない点は”持ち込んだ方法”ではなく、”購入した方法”だった。
 古賀さんは購入方法についてはまるでこれしかないと言わんばかりに議論に上げていなかったが、それ故にこの謎を解くことは出来ず古賀さんの思考回路を圧迫している。恐らく彼女は知らないのだろう。そのため方法がないと結論付けた。


「さっきも言ったけど、これは事実を元にした推測だ。もしかすると少し違うかも知れない。でも、これだけは十中八九そうだと思ってる。伊東さんはスタジアム内外での受け渡しでメロンパンを購入したのではなく、スタジアムの外で購入したんだと思う。
 スタジアムに向かうバスで古賀さんの話を聞きながらスマホで究極のメロンパンを調べていたんだけど、近くのパン屋さんが作っているメロンパンらしい。お店の場所はスタジアムからちょっと離れているけど隣の神栖市だ。そしてもちろん、究極のメロンパンはそこでも買うことが出来る。売り切れていなければね。土曜日の朝はお店が10時オープンだからまず買えるだろう。
 伊東さん一家が車で来ていたのであれば先にお店に寄ってからスタジアムに来ることも可能な筈だ。そして、お店で買ったパンをコンビニの袋に入れてスタジアムに持ち込んだ。これが伊東さん一家が行った密輸の方法だと思う」


「なるほど...。確かにスタジアムグルメだったからスタジアム限定って固定観念があったかも。これ外で買えたんだ。なんか悔しいな」


 古賀さんは静かに僕の膝元に置いてある究極のメロンパン1個をそっと自分の手元に引き寄せた。そう、究極と銘打ってはいるが至って普通のパンなのだ。増してや高級品ではない。

「中と外からの密輸がダメなら確かに消去法でそうなるね。それにサンドイッチもそこのお店で買ったものだったかも知れない。ってことね。」

「うん。サンドイッチがお店の物と一致しているか確証はないけどね。スタジアムでも何個か総菜パンが売られていた。
 ただ、仮にメロンパンやサンドイッチをスタジアムで密輸していた可能性は有るけど、その2つだけを密輸するのは違和感がある。古賀さんの発言やスタジアムの売店を見るに究極のメロンパンは有名かも知れないけど、サンドイッチはそんなに名物な商品でもないだろう。わざわざその2つをチョイスして手間のかかる密輸をさせるメリットもそこまで感じない。
 百歩譲って有り得たとしても、それこそモツ煮なんかと一緒に密輸してもらったりするんじゃないかな」

「そうね。そこは個人の好みもあるかも知れないけど。でもどうしてスタジアムの中で買うことの出来る究極のメロンパンを買って持ち込んだんだろう」
「これは僕の妄想だけど、伊東さんも究極のメロンパンを食べたかったんじゃないかな。そして、調べる内に外でも買えることを知った。サッカースタジアムではスタジアムグルメが名物らしいし、スタジアムに着く頃にはちょうどお昼時だから人も多いだろう。そこで、事前に買っておいてスタジアムに持ち込む方法を採用したとか」

「うーん、確かに私は知り合いの話を聞いた程度だったなぁ。リサーチで言うと伊東さんの方が上手だったか」
「まだ正確には分からないけどね」



「あーあ、高嶺くんにお使いを頼んでたんだから結局究極のメロンパンは食べれたのに、変な嫉妬しちゃった。頭を使って変に勘ぐっちゃったし、せっかくアウェイまできたのに試合もそんなに楽しめなかったし。お腹空いたし」

 古賀さんが深い溜息を漏らした。古賀さんも僕も頭を論理的思考力を持った人間であるが、それ故に不毛な事象に頭を働かせ続けたことは、彼女にとってやはりストレスだったらしい。

「糖分補給に良さそうな食べ物がそこにあるじゃない」
「これはデザートに取って置きたかったんだけどね。せっかくだし食べようかなぁ。」
「僕のも食べていいよ」
「それは嬉しい提案だけどやめておく。今日付き合ってくれたお礼ってことで取っておいて。お金は着いてから払うね」
「あぁ、別にそれくらい良いのに」
 古賀さんはバスの中なので出来るだけ物音を立てないように究極のメロンパンの袋を開封した。



 謎が解け彼女の機嫌が直ったのを見かね、最後に1つ気になっていたことを念のため確認しておく。
「そういえば、直接伊東さんに聞けばよかったのに。それどこで買ったの?って。そうすればこんなに知恵働きする必要もなかったんじゃないのかな」
「それが出来たら楽だったけど...」
「けど?」
「だって私、伊東さん苦手なんだもん」
 古賀さんはそう呟き究極のメロンパンに噛り付く。
「そっか、なら仕方がない」


 彼女の横顔を盗み見ると、幸せそうな様子が伝わるほどに満足な表情をしていた。お腹がすいてきたので僕も自分の分をプラスチックの包装紙から取り出し、一口齧る。


 ふむ、なるほど。これは確かに究極だ。

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