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「明と暗」 

「自社工場への投資」事故後、ビルのオーナー及び管理会社の交代で契約内容、賃貸の値上等、条件変更で私は移転の検討を顧問の会計事務所、銀行と相談したのです。
早々に賛同してもらい、更に銀行は物件探しまで積極的に動いてくれたのでした。
数件の候補はありましたが、白石区にある3階建てのビルを購入して、
増築・改造工事をしたのです。
工場用フロアーの2階まで作業用のエレベーターを設置することで、従業員の負担軽減をすることが、感謝と効率に変わりました。また、3階のフロアーを後々製造と販売の分離
会社を念頭に改造工事も行いました。自社工場を持つことで、金融業界はもとより仕入先、得意先までも変化してゆきました。
日本のビジネス業界は固定資産の重要性を物語っています。

新社屋と共に輪転機を中心に機械も増台、更に販売部門を独立することで直販の自社営業を展開させました。北海道を中心に東京、関西へも進出したのです。
製造増産のために2交代制勤務を導入、独立開業の当初「億の年間売上を成し遂げる」と語っていたことを有言実行することができ、電話・電気・ガスを止められた私でも「出会い」により、会社、経済的にはV字回復することができたのでした。

人生はドラマです。
2007年、突然の腹痛が続き病院へ、結果「手術」となりました。
術後、主治医より説明を聞いて驚いた。「大腸癌!こぶし大の癌、22ヶ所のリンパ節摘出手術をしたよ」との事。後日検査の結果、悪性と判明「私の判断で癌の手術に切り替えた」とも告げられました。そして「手術にも色々なパターンがあるのだな」と改めて認識したのです。
前年、五男の弟を肺癌で亡くしていたので、検査を受けていたものの簡易検査(レントゲンと血液検査)で陰性結果のため違和感はありましたが、放置をしてしまいました。
 
当時、高校1年の長男を筆頭に、中学生の次男、長女は小学3年生でありました。
ガンとの戦い、会社経営との戦いでした。やはり、得意先へは隠しとうせません。
地元北海道そして全国の得意先へ知られるまでにそう長くはかからなかったです。
経営者が癌に侵された情報は後継の定まらぬ企業にはマイナスであります。
次第に売上も下降していったのでした。
 
特許協会に通い「フートー王」と名称登録した便箋封筒(請求書等そのまま封筒になる)の全国通販、関東・静岡・大阪また郵便局など多少の反響もありましたが、次第に売上も下降していったのでした。
 
また、当社の機械でオリジナルマスク(通気性・ワンポイント入)の作成、特許出願作成など、当時は研究施策中でしたが、時代の波には勝てなかったです。今コロナ感染症期を思うと複雑な思いであります。
デジタル化(IT化)は当社を急速に通り越していったのでした。
 
癌手術の2年後、創業29年10ケ月、30周年を待たずの倒産です。
顧問弁護士と「熟慮の決断」でありました。
 
当時の新聞には(帝国データバンク)株式会社 ○○(代表 ○○○)資金繰り悪化の為、管財人に一任する。「好調時5億の売上を保持するも、売上回復ならず倒産する」と掲載
されてしまいました。
会社・工場、自宅、土地を売却するも、売却する時は足元を見られるモノです。
到底、負債には届かなかったのでした。
「全権限を持つ代わり、全責任を負う」オーナー経営者の宿命ともいえるでしょう。
 
昼は会社整理の為、二種免許を活かし夜間、タクシーの運転手となり、妻にも早々に働いてもらいました。
また、子供達にも多大な不安と苦労をかける事となってしまったのです。
 
中小零細企業の経営者の陰と陽を再度体験する事となりましたが、今回の違いは家族がおります。
ドラマですね。
 

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