MonkeyPanda じじい

約30年間の経営・倒産の体験を貴社の運営全般を共に悩み成長を目指す。 中学卒業後、定…

MonkeyPanda じじい

約30年間の経営・倒産の体験を貴社の運営全般を共に悩み成長を目指す。 中学卒業後、定時制高校、大学夜間部(中退)で学び、15歳、米屋の製造兼配達員から働き始めて、会社経営までの 前後28回の転職をする。自分史を紹介しつつ記載します。

最近の記事

「生涯現役」明と暗の闘い!

(⁠1) じじいは ゆく 生まれた時から貧乏農家のランプ生活で、トイレはボットン。 父親はアルコール中毒で、びくびくとする母親を目の当たりにする。 中学1年の夏のおわりからか。親元を離れ、兄貴と8畳一間のアパートで暮らした。 定時制高校に通うのがやっとだった。自分でなんとかするしかない人生で、でも耐えられないことばっかりで、非行に走った。高校は、卒業に6年もかかってしまった。まがりなりにも21歳で高校を卒業して、当時の夜学生には高給のタクシー会社に就職した。 当時の夢は学校の

    • 「七転び八起き」

      私を強くしたのは子供達・家族の存在であろう!「私は 死ねない」そう決意した。                                       それと、「逃げない!俗にいうホームレスは負けの象徴でずるい!」と、        逃避の心を持つ私も、青年時代の体験が生かされる事となったのです。       定時制高校5年目の時でした。                                 美幌・網走・北見・留萌と飯場生活をする。人生嫌になり、最後に母が居るとい

      • 「明と暗」 

        「自社工場への投資」事故後、ビルのオーナー及び管理会社の交代で契約内容、賃貸の値上等、条件変更で私は移転の検討を顧問の会計事務所、銀行と相談したのです。 早々に賛同してもらい、更に銀行は物件探しまで積極的に動いてくれたのでした。 数件の候補はありましたが、白石区にある3階建てのビルを購入して、 増築・改造工事をしたのです。 工場用フロアーの2階まで作業用のエレベーターを設置することで、従業員の負担軽減をすることが、感謝と効率に変わりました。また、3階のフロアーを後々製造と販売

        • 「出会い」

          信頼による業務拡大と共に、印刷業にも様々な業態があることが分かっていきました。 取引先のシール印刷会社から、印刷工業組合への加入の依頼と全国組織で活躍する青年会への勧誘があったのです。 それに伴い、異業種との交流など忙しい日々を過ごすことができたのです。 三十代の青年らしく、様々な行事・催しのスタッフとして積極的に参加することで信頼と責任を任せられるようになりました。青年会では札幌、そして東北の常任理事を担当。仕事と共に会の運営含め全国34都府県・アジア(中国・韓国・タイ・台

        「生涯現役」明と暗の闘い!

          信用を得る

          事業・転職の決断で生き残った零細企業の私達。 運転手から機械工に変身したのです。 その業種とは・・・ コンピューターのフォーム用紙の印刷業です。 (プリンターで使われる連続用紙) 1980年代、ビジネスフォームの絶頂期でもありました。 人々の生活を一変させたコンピューターの一連です。 その業界の一部に参加することとなりました。 技術習得の弟から、私達素人軍団は学び、商品化へとチャレンジするも、なかなか上手くいかない日々が続き従業員が帰宅後、弟と泊まり込みで機械を動かしまし

          「事業・転職」

          出発!! 個人開業から3年後、様々な問題もありましたが、定期チャーター便も獲得し、車両4台・従業員共に5名体制で法人組織へと発展することができました。 今では笑い話ですが、従業員の一人が双子の兄の免許証を使って配送業務を行い、違反で免停になるまで分からなかったという身辺調査も甘く、40数年前とはいえ管理体制のずさんな経営者でありました。(笑) 開業当時は売り上げが500万にも満たない時代でも、友人に「億の売上」を達成すると豪語してはよく笑われたものです。 「拡大!」い

          「事業・転職」

          「2024年問題」 独立開業/ 30年の    会社経営

          「個人&法人」 起業する人にとって、誰でも悩む問題であると思います。 私が起業を目指した頃は、有限会社300万・株式会社1000万以上の 資本金が必要でした。 現在は「一円起業」が可能なため、チャレンジする人も多いでしょう。しかし、福利厚生等を考慮するとそれなりの運転資金が必要と思われます。 私は1980年の転職24回目で、個人として独立開業しました。 前職で貯めたわずかな資金と人脈を頼りに、組んだローンの車で、軽自動車運送業を始めたのです。 軽運送業は許可制ではなく、届出制

          「2024年問題」 独立開業/ 30年の    会社経営

          家 族・「オヤカク」

          「オヤカク」 就職シーズン……多くの新卒採用メンバーも新出発をされていることと思います。冒頭のオヤカク内定メンバーも、自身と葛藤しながら奮闘していることでしょう。 そもそもオヤカクとは、就活(就職活動)内定時にする親への内定確認のことをいいます。最終内定後、親からの反対で本人が辞退する事態を防ぐため、企業側が取った作戦です。 特にコロナ開けの現在、売り手市場が続いているようです。 就活生のアンケートでは「就職活動中、親に相談」が60%を超えていたとの結果もでていました。 私

          家 族・「オヤカク」

          「札幌市民です」30年の会社経営・前後28の転職・・・

          タクシー乗務員として、1970年代はチップで食費がまかなえるほど日銭が入ってきました。 当時、札幌の初乗り料金は200円台。現在は670円です。 これだけ乗車料金が上昇しているのに、労働賃金が上がっていない。失われた30年とも言われていますが、最悪の労働賃金水準の低下です。 当時の私の給与は手取り十数万です。物価などから考えても、懲罰的な給与の減額であります。「何故……」疑問だらけでした。結論は「2000年代の構造改革」です。 タクシー業界も需要と供給のバランスの崩れが主な理

          「札幌市民です」30年の会社経営・前後28の転職・・・

          春・待つ「歩道」

          会社経営30年 前後 28の転職 学生時代は若いこともあり、運転が嫌いな私でも馬力がありました。 21時10分の授業終了後、職員駐車場からススキノ方面へ向かう途中でお客を拾うこともありましたが、ほとんどは屋台のラーメン屋へ直行です。 麺をすすっていると必ず「○○方面、頼むよ」と万札を渡された事もしばしばありました。 当然、チップも入ります。しかし、悩ましい事も多数発生しました。 運転手と客、コミニケションの能力強化、車内は密室、特に酔っ払い、泥酔者への対応です。 今はカーナ

          春・待つ「歩道」

          札幌市民です。28回の転職、体験をもとに・・「お客様は神様?」

          「お客様は神様です」 この精神は大切だ。しかし、過度な「神様」はいかがなものか。 初回も記載したが、「いらっしゃいませ」「・・・・」「どちらまで」「・・・・」 「まっすぐ行け・・・」「はい」「左だ、左」  またある客は「急いでください」まではお嬢様ですが、 信号待ちで止まると「チ、おそいわね」と舌打ちする。 酔っ払い・泥酔者は更に最悪である。助手席に足をあげ「運ちゃん」で 始まり、「どこ走っている!」など、乗車時に道順を確認していても豹変される。 「辞めよう」・・・現役時

          札幌市民です。28回の転職、体験をもとに・・「お客様は神様?」

          北海道 札幌市民です28回の転職・・今回もタクシー時代の体験をもとに・・・

          コロナ感染症の影響は様々な業界・業種に影響を与えた。 公共交通機関、移動手段も変化した。その影響で需要と供給のバランスも崩れ、廃業・倒産、失業・転職と崩壊する。危機管理の対応対策の厳しい現実を味わった。 その結果、コロナ感染症開け後の人手不足の要因に拍車がかかってしまった。 今、国内観光客の増加とともに円安の影響も加わり、海外からの観光客が増加している。 移動手段である飛行機・鉄道・バス・タクシー・レンタカー等、さらに、 インバウンドの増加(訪日観光客)だ。 海外客のトラ

          北海道 札幌市民です28回の転職・・今回もタクシー時代の体験をもとに・・・

          じじいは ゆく

          生まれた時から貧乏農家のランプ生活で、トイレはボットン。 父親はアルコール中毒で、びくびくとする母親を目の当たりにした。 中学1年の夏のおわりからか。親元を離れ、兄貴と8畳一間のアパートで 暮らした。 定時制高校に通うのがやっとだった。自分でなんとかするしかない人生で、でも耐えられないことばっかりで、非行に走った。高校は、卒業に6年もかかってしまった。 まがりなりにも21歳で高校を卒業して、当時の夜学生には高給のタクシー会社に就職した。 当時の夢は学校の教師。大学入学資金を

          じじいは ゆく