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いつの間にか元日だったことなど

初詣に行ったら、超長蛇の列だった

2022年になっていた。
テレビもつけずにぼんやりと考えごと(うたた寝?)していたら、いつの間にか年を越していた。
あわてて蕎麦をつくって、妻と食べた。年越した蕎麦になった。
それから寝て、起きて、お雑煮とか食べて、昼ごろに近くの神社に初詣に行った。

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近所の神社だからそんなに人出はないだろうと高をくくっていたら大間違いだった。長~い蛇がさらにいっぱい並んでいるくらいの超長蛇の列。
1時間半並んで、15秒で参拝した。並んでいる途中で何度も帰ろうと思った。たった、15秒のお参りのためにこんなに時間を使うなんて。
しかし、齢65にして悟った。この並んでいる今の時間にこそ意味があるのだ、と。

元日の初詣、人出が多いに決まっている。
そんな時にわざわざ来てお参りするのは並ぶことを覚悟してのこと。
気温摂氏6度の中、足先の感覚がなくなっていくのをがまんしながらの1時間半の苦行の末にたどり着く拝殿。そこで祈りを捧げるからこそ意味がある。
所によっては、もっと寒くてもっと長く待たされることもあるに違いない。それでも多くの日本人が待つことに耐えている。

ネットが発達して、並ぶことや待つことが減った。
お金払って優先レーンなんてのもある。今やお金よりも時間の方が大切。
時間が最高度に貴重化している時代だからこそ、逆にこれだけの時間を参拝に費やすというのは、賽銭箱に1万円入れることに匹敵するくらいの価値なんだ、などと言い訳をしながら、賽銭箱に100円を入れて、そそくさと家路に着いた。

人生論ノート

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夜、読みかけの三木清さんの「人生論ノート」を読んだ。
「嫌われる勇気」がベストセラーになった岸見一郎さんが「日経トップリーダー」に記事を連載している。その記事が仕事上参考になることが多い。
そこでよく引用されるのがこの「人生論ノート」だ。
きっといいことがいっぱい書いてあるのだろうと思ってアマゾンで購入した。

来てびっくり。170ページほどのとても薄い本だった。新潮文庫版で奥付を見ると昭和29年初版(書かれたのは戦前)で現在116刷だった。こんなに薄いのに超ロングセラーだ。

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死について、幸福について、孤独についてなどの直球なテーマでそれぞれ10ページくらいの分量。著者は哲学者だが、この本の文章は平易で読みやすい。決して難しいことは書いてない。
しかし、文章量が少ない分、一つひとつの言葉の含蓄が深いので、ちゃんと理解できているのか、心もとない感じがする。
いいことがいっぱい書いてあっても、読み取れなかったらどうしようもない。いつもななめ読みみたいな読み方をしているので、じっくり読むというのは意外に難しい。
時間に比較的ゆとりのある正月向きかもしれない。

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令和4年の始まりは時間について考えさせる日だった。
明日は…、なんと誕生日ではないか。

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