学校で寝たふりしてたやつは大人になってもふりばっかしてる

新しく結成したバンドの、ギターの車の助手席に乗っけてもらいながら、寝たふりをしてる自分の存在を意識していた。知り合って1ヶ月強、顔を合わせたのは3回目。結構、仲良くしてもらっている感覚はあるけど、こうして私は、助手席で寝たふりなんかをしている。

スタジオで初合わせの後に、車で家まで送ってもらう。ありがたい。ガチャリと助手席のドアを開けて乗り込む。おもむろにシートを倒して、目を閉じたら、「疲れたの?」とギターがいう。いや全然疲れてはいない。わけではないのかもしれないが、眠いわけではないような気がする。このあたりの気持ちも、いまいちよくわからないが、とにかくこれは寝たふりなのであって、寝ようとしているわけじゃないことはたしかなはずだ。「べ、べつにぃ......」とかいう。なんていっていいのか分からない。寝たふりだから。

人の目が気になってたまらない。つねに、みられているテイで行動している。自分でも、気持ち悪いなと思う。悪い意味ではないけど。昔から、なにかのふりばかりしてきた。

だけど、私だけじゃないんでしょ?この感覚は。

学校で寝たふりしてたやつは、きっと今も何かしらの「ふり」をしているに決まってるんだ。誰かと二人きりの時に、意識的に鼻歌を歌ってみたり、別にいう必要ないところで「おっと」とか言ってみたり、普段はそんなこと本当に言わないのに、妙なキャラクターを演じてしまったりするんだよ。なにとは分からないが、人の視線を意識した、なにかしらっぽいキャラクターな動作をしている。助手席で寝たふりなんて、わけがわからないと思う。別に、話がしたくないわけではないんだけどね。

寝たふりをしている私のことなんて、だいたい意識の外だということなんて、わかっている。わかっているけど、寝たふりをしてしまう。

初めて寝たふりをしたのは小学校5、6年生の頃だった。どうして寝たふりなんて始めたんだろう。でも、始めたときのことを思い返してみると、なんだか、寝たふりそのもののために寝たふりをしはじめたような気がしなくもない。もう少し記憶を辿ってみる。昼休み、私はなにか、気に入らないことがあって、悲しいような......そうだ、悲しいフリをしていた。そうだ悲しくて、悲劇のヒロイン的な心持ちになって、漠然と、机に伏しているのが、寂しげでなんかこう、グッとくる、儚げな美少女的な絵面に見えた。気がする。それで伏した。机に。これが、全ての始まりなのか。

いや、ふりで言えばまだある。たしか、小学校2年生くらいかな。算数の授業で直角を教わっていた。「直角って、こういうやつです」という授業で、先生が直角を書いて見せてくれた。多分垂直がどうとか直角の条件とかちゃんと教えてくれたんだと思うけど、よく覚えてない。直角って義務教育で習ってたんだみたいな驚きが今になってクる。話を戻すけど、やっぱり、直角がわかるふりをしていた。直角をノートに書いて先生に見せて合格をもらわないといけなかったんだけど、多分2、3回かそれ以上戻された。結構自信があったように思うんだけど。こういうことがある。

それから2年くらい後に、淡く想っていたクラスの男子が「な、地味におもいしろいよな」みたいなことを言ってくるから、すごいわかってる感じで「ね、ほんと、地味に○○だよね!」と返した。ら、また、「そうそう○○が、地味に、な!」みたいに盛り上がってしまったので「そうそう、▲▲なんかも、地味にね!」って返すと「▲▲地味じゃなくない?」って言われちゃった。またふりをしている。なんだろう、小学4年生くらいの私、地味にの意味が全くわからない。多分、地味に......全然例えが思いつかない。思いつかないけど、すごい「はあ?」ってこと言ったんだと思う。冨樫くん、、、、、、

でも、もっと思い返したら、保育園児のとき、誕生日イベントが保育園で開催された時、「生年月日言えるかな?」に「うん!」「せいねんがっぴ!」と言った。これもふり。生年月日、わからないのに。でも全然、わかってないことを隠し通す気とかはないみたいね。人の目とか、全然気にしてないじゃないか。ふりばっかしてるやつの動機は一体なんなんだよ

ふりばっかりしてるから、人と話す時も「話をしている人」のふりをして、言葉ってよりもセリフばっかり喋っちゃったりしちゃう。3回しか会ってないのに仲良いふりしちゃったりね。今日もなにかのふりしましたか。カフェで、なんか表情作ったりしてませんか。誰もみてないのに

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