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明治維新〜ゆとりか、学力か(NHK)〜

2005年に放送されたNスペ明治(NHKオンデマンド)の「2. 第1集 ゆとりか、学力か」を見たので、簡単にポイントをまとめてみます。

明治以降、身分制度に関係なく、教育が受けられるようになると、成績が良い人が前に座る、成績が良い人のみが進学できるという、超学歴主義(記憶・暗記主義)、試験主義社会に日本社会は変革したようです。その結果、試験前に体調を崩す子供が現れるなどの問題もあったとのこと。また、学費が高かったことや、試験に不合格だと進級できなかったことから、明治初期の進学率はそこまで高くありませんでした

明治初期の進学率は、尋常小学校(4年生まで):324万人、高等小学校(5、6年生):54万人、中学校:4万人、高等学校:4200人、帝国大学1833人という状況。帝国大学進学者は「末は博士か大臣か」と言われ超大人気であり、官僚の給与は職人のほぼ10倍と言われていたそうです。

上記の超学歴主義(記憶・暗記主義)、試験主義社会を見直すため、明治 33年(1900年)には、教育制度改革(個性尊重)が行われ、小学校教育は無料となり、試験ではなく通常授業に基づき、成績が付けられるようになりました。体育などの授業が取り入れられたのもこの頃です。その結果、明治末期(1912年頃)には小学校進学率は98%となりました。

一方、その後も記憶・暗記主義を過度に有害視した結果、日本軍に入隊する成人男性の基礎的学力の低下は顕著であり、防衛省から文部科学省に対して、記憶暗記主義の復活を要請するための文書も発出されたようです。その結果、再び試験制度・社会が復活しました。

なお、戦後のGHQの日本の教育制度に関する報告書では、「過度な試験主義(詰め込み教育)により、日本人は批判的判断が出来なくなってしまっていた。」と記載されていたようです。

それから現在に至るまで、日本では「ゆとり(個人尊重)」か「学力(試験主義)」のどちらかが良いかということで、教育制度の議論がされています。







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