思ったことのメモ


日曜日で特にやることもなく
だからと言って外に出るのにも耳鳴りがひどくて
結局今日も家にいてのんびり本読んだり原神やったり
そう言う1日だった

私はいわば「夢小説」の同人ジャンルで本を書いていた人間だけど
大学に入ってからはずっと古典、近代文を読むようになって
ここのところ硬い平文じゃないとなかなか読めないようになってきた
私自身が書くのは硬い平文ではないのだが、書き方は読んでいた文献―例えばヴェーバーだとかヴィヴィオルカなどのドイツやフランスの近現代の文献―が多いせいかこういった書き方をしがちにはなっている 気がする
上のはわざとだけど 体系的に捉えるには実際に視覚に訴えるのが1番早いからね


だからなんですか?ってことだけど
私は今日プロ倫を読んでいて この本を開設するには1週間 私の前に座り続けてもらわなきゃいけないのでそういうのはもっと上手い人におまかせするとしても
やはり予定説、合理的禁欲、天職、予定説、資本主義論ってのが社会学につながっていくというのがとてもとても面白くて
本当に学術資本のなかった大学3年の私にはちんぷんかんぷんだったけど 28歳になってようやくわかる
社会とは 経済とは何なのかと
今の日本政治には興味はないけど社会システムにはすごく興味があるので 資本主義を掲げた時点でヴェーバーのようなシステムを踏襲していくのが基本なんだなと納得したりだとか
天職を探す人々っていうのも何となくわかったり
まあ日本は八百万で神がいるので 何を信仰するかってのに自由があるから この『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』という一理論を網羅するように追いかけているわけではないのだが ある種の資本主義というのはなにか「儲けの神」に対して信託を得ようとする人々のために生きている倫理観なのではと思わせるような そういう理論を感じている

カルヴァン論にあった予定説もやはり我々から見れば「そんな神にあらかじめ決められた人生なんて笑笑」ということがほとんどだろうが
本当ですか?
あなたはあなたのなかに神を作り出していませんか
神だと思っていなくても あなたをあなたたらしめる思考はありませんか
その思考を元に生きているから「性善説」的考えに至ったり 逆に「性悪説」を信じることになるのではないんですかね
と思ったりしている
要は「金運」「恋愛運」「健康運」と「運」がついている時点で
我々も我々で信仰や信託を求めるんじゃないですか と思うわけで
ひとりひとりの思考や理想や理論こそが「神」なんだよなあと
そう思っている 28歳なりの解釈
あの時はまだ19歳だった 8年経って何か変わったかと言えば肩書きに「歯科衛生士」がついたくらい
他はあんまり変わってないかも
あ そうそう 人に対して理論を投げつけることは変わったし この解釈を得るまでにそれはそれはたくさんの経験と伝聞と知見を得て 私はここに立っている気がする
人に攻撃的な部分はやっぱり 19〜22歳の間に得た力
元来攻撃性は高かったけど 武器を手に入れたから

と 言うことを思い出して
言語化できなくなる前に何となくメモ


おわり

最後にプロ倫をうまくかいつまんでくれているサイトをどうぞ