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大河ドラマから見る日本貨幣史15『戦国時代のお公家様』

第24話『将軍の器』は、今後の展開の要となる話でしたね。光秀は、平和な世を望むだけで「死にたくない」とのたまう覚慶を「次期将軍の器ではない」と見做したわけです。「戦えないが、平和を望む」「死にたくはない」ということ自体は、為政者として悪くないように思いますが、やはり光秀の中には古式ゆかしい武家の棟梁たる、理想の『将軍像』があることが垣間見える場面でした。

ドラマでこの後、信長のもとで義昭を奉じて上洛することになる光秀は、彼の将軍就任に何を思うのでしょうか。

さて、今回の話でまさかのキーパーソンとして再登場した近衛前久。摂関家のひとつ近衛家の若き当主です。鎌倉時代以降、日本を動かすのは武家になったため、天皇やお公家様の生活というとよくわかっていない方も多いかと思います。劇中の時代では、足利将軍家ですら暗殺されるような感じなので、朝廷もそうだろうと思われる方も多いかと思いますが、実は、この時代になると上級貴族の生活は少し安定してきています。

そもそも公家とは何かといいますと、一般的には官位「五位」以上、すなわち、天皇の住まう宮殿に上がれる身分の貴族を指します。五位以上の貴族には蔭位と呼ばれる特権も与えられており、これは子々孫々にまで身分が世襲され続けるというものになります。

公家のメインの収入源は平安時代に全国に開発した荘園です。そして荘園はご存知のとおり、平安時代後期以降、全国の武家に浸食されていきました。とはいえ、武家のなかには荘園を守るという名目で地方支配の口実を得ていたものもいましたので、鎌倉時代のころはまだ、公家へきちんと徴収した年貢を定期的に納めるものもおりました。が、室町時代は全国各地で動乱が続きました。武家は少しでも多く軍資金を得るため、公家への年貢の上納を怠るようになっていきました。

徐々に公家の財政は苦しくなっていきました。

決定打となったのは応仁元(1467)年の、応仁の乱でした。京が主戦場となったことで多くの公家が家財一式を焼け出されたうえ、戦火は全国へ広がり荘園からの年貢納入が止まりました。生活が出来なくなった公家たちは、自ら荘園へ下向し、現地で直接指揮することで在地領主化しました。

領主となれた公家は恵まれていた方です。上級貴族であればあるほど、天皇を放置して地方へ下向することは許されず、苦しい生活を続けなければなりませんでした。

近衛家とならぶ五摂家のひとつ、一条家の当主であった一条兼良は、応仁の乱により息子が朝廷に初参賀するための費用を捻出できなくなっていました。すべては大荘園である越前が年貢を送らなくなっていたからです。そこで、現在ドラマ中で光秀が世話になっている越前の朝倉家に、「荘園を返却し、未納分の年貢を京へ送るように」と要請しに赴いています。越前の守護であった朝倉孝影は、荘園の返却も年貢の貢納も拒否。手切れ金として、二万疋(現在の価値で約2,000万円)を渡し兼良を追い返しました。この金は息子の初参賀金として用いて消えました。

兼良のような上級公家は、家業として古くから受け継いだ学識を武家に教えることで、糊口を凌いでおりました。では家業もなく血筋だけで朝廷に君臨していた天皇はどうししていたのでしょう。実は応仁の乱後しばらく、天皇は生活費を工面できず、足利将軍家に居候しています。新天皇の即位の礼の費用も、葬儀の費用も用意できなくなった天皇は、しばらく自筆のサインを大名に売ってお小遣いを稼ぐようなことをしていました……。(天皇のサインが一時期武家の間で流行ったのです)

応仁の乱をきっかけに始まった戦国時代が、朝廷を滅亡させるかに思われました。

しかし、彼ら公家を救ったのもまた戦国時代でした。実力至上主義の時代となった戦国時代、多くの地方の実力者たちが困ったのは、領民や自国の周辺にいる実力者たちを納得させるだけの支配の根拠でした。それまで公家の荘園であったことを誇りとしていた領民や、公家の家臣であることを誇りとしていた守護代が支配を素直に認めるかという話です。

そこで、武家が目を付けたのが、朝廷が発給する官位でした。官職を得れば「朝廷に認可されこの地域を支配している」という権威付けを行うことが出来ますし、五位以上の位階を得れば「以後は武家ではなくお公家さん」です。子々孫々までお公家さんを名乗れます。朝廷の権威とはこのように絶大なものだったので、室町幕府の力が強いときは、幕府を通じてでしか朝廷への献金は認められませんでした。しかし、幕府が弱体化すると戦国大名たちは挙って朝廷に献金を行ないました。

生活に困窮していた公家たちは、適当な官位を高額で売ることで生活を立て直し始めました。そして16世紀の後期には力を取り戻したのです。

戦国時代の大名が特に欲しがったのが、平安時代に朝廷が地方支配のため派遣した国司の官職でした。信長の父である織田信秀は、朝廷に4000貫文(約4〜5億円)を献金し、三河守という官職を得ていますし、毛利元就は約60貫の石見銀を献上することで陸奥守を得ています。中国地方の大名である元就が陸奥というのも変な話ですが、あくまで権威付けですので自分の支配する地域とは無関係でも問題ありませんでしたし、同じ官職をもつ人物が2人以上なんてこともざらにありました。

ドラマ中で近衛前久が、命を狙われているにも関わらず三好の軍勢を見下すような発言をしていたのは、このような背景があったからなのです。

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