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大河ドラマから見る日本貨幣史6 『貨幣の歴史を変えた金1枚』

緊急事態宣言が出されてしまいました。世間は新型コロナウイルスで大変なこととなっております。私も昨日から在宅勤務となりました。ただ、やってみると不要不急の業務である本の編集作業などは、取材でもないかぎりは意外と問題なくできるものだなと実感しております。

しかし、仕事環境を整えたり方々への連絡をしたりで、始めたばかりのnoteの更新を一週間以上放置していたのは良くなかったなと思います。きっと、こういう事態でもしっかりと決めたことを続けられる人が、どのような世界でもトップに立つのでしょう。

まあ、私はこの場を駄文を書く場所と位置付けていますので、緩い気持ちで使わせていただこうと思います。

今回は、第11話『将軍の涙』で将軍への陳情のためにと十兵衛が土岐頼芸から借りた「金10枚」について語りたいと思います。金10枚を文字通りに受け取るならば、平べったい金を10枚用意したということになりますが、いくら世の中が荒れた戦国時代とはいえ、金なら何でもよいかというとそうではありませんでした。

金はとても柔らかい金属です。仏像などの表面に張られている金箔は、なんと厚さ0.0001mmしかないそうです。そんな金属ですので、誰かが適当に作った平べったい金だと、その重量に大きな差が出る事は容易に想像できるかと思います。

日本ではもともと、金とは砂金を指す言葉でした。奈良時代以降、おもに貴族への献上品として用いられていましたが、やがて貴族へ献上するもの→価値のあるものと意識が変わり、重量を計りながら売買に用いる貨幣的な性格を帯びてきました。砂金なら秤を使えばすぐに重量を計れますし、不足時には袋に少し砂金を足すなどして微調整が可能なので便利だったのです。しかし砂金は、万が一袋が破れた時にばらばらと飛び散ってしまいまうため保管が難しい。そこで戦国時代のころ、金を溶かしたあと固め直して保管をする手法が考案されました。

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写真はきちんと撮影機材を用意していない時に撮影したものですので私の手とスマホが写ってしまっています。ご容赦ください。上が謙葉金(ゆずりはきん)、下が蛭藻金(ひるもきん)などと呼ばれている戦国時代の鋳造金貨の本物です。どちらも現在マニアの間で1枚うん百万円で取引されております。こういう形にして保管を始めたんですね。これなら保管している箱や袋が破れてもなくなることはありません。そして、この譲葉金や蛭藻金にはある特徴がありました。

重量が、ある程度そろえられているのです。

大河ドラマから見る日本貨幣史2でちらりと触れましたが、戦国時代にはまだ国内の単位は統一されておりません。金の価値だって国によってまちまちでした。実際、武田信玄が考案したという甲斐の甲州金(ヘッダーの金貨です)と、上杉謙信が考案したとされる天正越座金の1枚あたりの重量はまるで違っており、とても両国で対等な決済ができるとは思えません。

ですが、戦国大名が、戦乱を生きるためには友好国や京・堺などの有力商人から物資を購入することは必須でした。そこで、京の彫金師が開く金屋に自国の砂金を持ち込んで、譲葉金や蛭藻金を買っていたのです。室町時代に全国の守護が集まった京には武具を装飾したり、あるいは皇室への献上品をつくるための彫金師が数多く暮らしていました。その名工たちが威信をかけて製造した金貨は、領外での売買でも高い信用力を発揮しました。上の譲葉金の画像を見ると中央にうっすらと文字が書かれていた形跡が見えるかと思います。これは、「中まで金でつくられている」と金屋が確認したことを示す署名です。自らの名前が汚れないよう、金屋は決して金の品位をごまかすようなことはしませんでした。やがて、京の彫金師が手掛けた金貨のうち、重量44匁(約165g)のものを「金1枚」と呼ぶようになったのです。

大体金1枚で50石のお米が買えたとされています。この「石」という単位は聞いたことがあるという人も多いでしょう。ですが、これが非常に扱いにくい単位でして、人間ひとりが一年間に食べる米の量を表しているんですね。そんなの、フードファイターと食が細い人で大きく異なるじゃないかという話です……。さらに1石は面積を表す単位でもあります。人間一人が一年間食べる量のお米を栽培できる土地の広さという意味になるのですが、穀倉地帯と砂漠では広さが全く異なってしまいます。日本人はこのようなあいまいな世界で生きていたことを、几帳面に行き過ぎている現代人は改めて知る必要があると感じます!

さて、現在、1石はおよそ現在の150㎏であろうと言われています。ということは、金1枚で買えるお米の量はなんと7.5t!1㎏が平均550円ほどで手に入る現在の感覚ですと金1枚は412万5000円にもなるのです!

十兵衛はさらりと金10枚を要求していましたが、そりゃあ、土岐様もびびるというものです!

この金44匁を基にした金貨の製造で、大いに栄えた家のひとつが後藤四郎兵衛家です。特に第五代・後藤徳乗(とくじょう)の時代に絶頂を迎えました。徳乗は織田信長と豊臣秀吉に仕え、金の改役(検分係)や、分銅の製造を行い、日本の重量の基準をつくりました。彼が秀吉に命じられてつくった日本初の大判である天正大判は、教科書で見たことがある人も多いでしょう。

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↑天正大判

徳乗の才能を高く評価した徳川家康は、三河から江戸へ移封された際、江戸で用いる金貨を製造してくれないかと彼の引き抜きにかかっています。しかしすでに高齢であった徳乗はこの誘いを断り、弟子の中でも優秀だった庄三郎を養子に迎え、彼を名代として江戸へ派遣しました。この庄三郎が、家康の小判を鋳造し、後に江戸幕府が成立すると小判や一分金などをつくった金座の座主となりました。

徳乗直系の子孫が支えた京の金屋はというと、江戸幕府によって金座とは別の金貨をつくることが許されました。これが大判座です。徳乗家は家康によって、金1枚を引き続き製造することが認められたのです。大判は価値にすると小判10枚、江戸時代初期で100万円程度の価値と少々価格は下げられました。が、1枚の重量は44匁でした。戦国時代の金1枚を製造する技術はこうして、明治維新の円の登場まで引き継がれることとなったのです。



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編集プロダクション勤務を経て、さまざまな書籍や雑誌の制作に携わる中で、『貨幣史』という一風変わったジャンルにのめり込み、それについて個人で研究を始める。気がつけば、貨幣についての原稿を書いて暮らす変な編集者になっております。

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