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渋谷を愛してる理由

「ていねいな暮らし」がちょっと苦手だ。
手にしているものの価値を見つめ直す
という感覚をどうしても好きになりきれない。

とかいうわたしも昔は
「ていねいな暮らし」に興味があった。
興味がありすぎて、ヒュッゲの本場、
北欧に留学したくらいだ。

足るを知る感覚は、
ああ確かに幸せだなとおもった。
だけど、渋谷の雑踏が恋しかった。


わたしは東京で生まれて、東京で育った。
家族との思い出は、父の運転する車で出かけた
あちこちのおしゃれな街につまっている。

雨の日の原宿も、渋谷のあのきたない路地も。
「山手線のうち側」で過ごした青春の記憶は、
いつだって刺激的でやさしい。

東京の街を、たぶん愛している。

そんなわたしは大学進学をきっかけに
生活拠点を東京のど真ん中から
そのすこし外がわにうつした。

大学には帰国子女の学生がおおくて、
ブランドバッグの代わりに麻のバッグと
ビンの水筒をもっていた。

当時からサステナビリティの風を
ビュンビュン吹かせてた。
自然とわたしも買い物はしなくなった。


その間に、渋谷の街はどんどん変わった。
再開発が進んで、駅は見違えるほど
近未来的になっていた。
尖ったカルチャーだけでなく、
ビジネスや居住地の機能も
うけとめようとしていて、
端的にいって街としての許容性が高まっていた。

ちょっと嫌だった。
強気で流行を発信して、
たくさんの人生に色をつけてきた渋谷が、
誰にとってもきやすい街になった。
なんだか寂しかった。

あのツンツン・ぷんぷんする街は
どこに行ったんだろう?


先日ふらっと足を踏み入れた「渋谷パルコ」で、
わたしはドキドキしている自分に気づいた。
あのときのまま、尖っていた。

たまらなくひかれる気がした。
新しいアーティスト、ハイブランド、謎のデザイン。
まったいらな世界が、
さまざまなファブリックでごちゃごちゃになる。
異質な文化が渦巻くあのときの渋谷で、
久しぶりに深呼吸できた。

美しく削ぎ落とされた幸せに
納得する人生もいいけれど、ああやっぱり、
正面切って勝負してくる文化が好きだ、と心底思った。

誰かにとって帰りたい守りたい場所があるように、
わたしにとって「山手線のうち側」は
かけがえのない故郷だった。

再開発のなかで、
わたしの思い出は消し去られたと思っていた。
でも、渋谷パルコで見事に蘇っていた。

渋谷の開発はまだまだ終わらないらしい。
これからできる街を愛せる自信は、
正直ないのだけれど。
あのときの渋谷イズムを知っている
大人が作る街なら、
もうちょっと期待したいと思う。

ご機嫌な買い物ができる日常を再び愛したい。

・・・ちょっと前に行った渋谷パルコでのお買い物が楽しすぎて、こんな文章を書いてしまいました。

接客してくれたお兄さんありがとう

奥深い歴史をつみ重ねた東京が大好きです。

また楽しいお散歩があれば綴ろうと思います。

よかったらときどきのぞいてください。

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