つれづれに憧れ
6/18深夜
小学校か、中学校か。おそらくそのくらいの、ちょっと背伸びをしたい時期、「つれづれなるまゝに」という文章にいたく憧れたものだった。
当時、大人の書く偉そうな文章や、変に子供騙しな教科書とはどこか違う、どこかふんわりとした空気感を「つれづれなるまゝに」は発していた。
そのふんわりの正体は、おおよそ序段の印象なのでは?と今振り返ると思う。
序段といえば、
つれづれなるまゝに、日暮らし、硯に向ひて、心に移り行くよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、怪しうこそ物狂ほしけれ。
という有名な一節である。
鎌倉時代末期・現代っ子からは想像しにくい時代に、硯に向かってぼんやり、うとうとしながら(これはイメージ)よしなしごとを書きつくるだなんて、なんとも気の抜けた話だなあと、心が緩み、その心地よさよ、羨ましい!と思ってしまうのである。
---
深夜に「つれづれなるまゝに」を思い出し、なんとなく『このおもいだしたという今日のこと』を覚えておかなくては!とにわかに思ったのだ。
それで、稚拙ながらもちまちまとこんな風に文章を書いてみている。
そしてまた思う。
日々つれづれ。いつか思い返して懐かしくなる日のために、書きつくるの、賛成!
(というわけで、note始めます)
美味しいお酒を一杯飲んで、そしてそのぶん幸せになります。一緒に呑みましょう。