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赤信号から読み取る秩序と攪乱―――国際女性デーマーチを振り返る

プロローグ

皆さま、日々お疲れ様です。もねです。
8か月前の note がなぜか拡散され大勢の方に閲覧され、そのメール通知が就活サイトのプロモメールより高頻度で届くというアウェーな経験をしたので、久々に書きたいことを書くことにしました。
今回は、3月8日に実施された国際女性デーマーチに遅刻した()私が、マーチに合流する直前、目にしたある出来事と、どのように国際女性デーを過ごしたかについてです。

国際女性デーマーチ

国際女性デーとは

まずは、国際女性デーについてかいつまんでご説明いたします。
国際女性デーは毎年3月8日。現在は、「国や民族、言語、文化、経済、政治の壁に関係なく、女性が達成してきた成果を認識する日」とされています。最も詳しくわかりやすいのは国連広報センターが発表しているこちらの記事です。どうぞご参照ください。
世界及び日本では、私が参加したマーチの他にも国際女性デーにちなんだイベント・キャンペーン・デモなどが開催されています。黄色くふわふわで可愛らしいミモザの花など、皆さまもどこかでご覧になったでしょうか。

当日の私のスケジュール

マーチそのものは夕方から行われる予定でしたので、それまでは私のスケジュールがすっからかんでした。そこで、それまでいくつかのスポットを回るかと思い、以下のように予定を立てました。
(昼ご飯をどこで食べたとかはどうでもいいので除いています)
13:00 「エトセトラブックス」訪問
17:00 「ウィメンズマーチ」参加
19:00 「ゲリラガールズ」展示見学
一部の予定についてはリンクを貼り付けておりますので、気になった方はリンク先をご覧ください。

国際女性デーに遅れて、見たもの

さて、先に書きましたように、私は国際女性デーマーチに遅刻しました。
なぜだったかははっきり覚えていませんが、恐らく地下鉄を乗り間違えたせいですかね。まあ、よくやります(東京在住3年目なのに)。
渋谷の坂道を人の流れに逆行するように駆け上がり、集合場所である国連大学の方向へ向かいました。その道すがら、遠くから響くように拡声器を通じた声が聞こえてきました。私は眼鏡がないと遠くの人すら認識できないのですが、耳に届いたそれは間違いなくシュプレヒコールでした。
そこで重要なことに気付きました。私が走る歩道から見て、デモが通っている道は、広い道路を挟んで向こう側だったのです。しかも私は臆病なので、マーチも先頭の方ではなく、中間あたりの位置から参加したいと思っていました。
であれば、少し時間を置いて横断歩道を渡る必要があります。そこで、目についた横断歩道の前で立ち止まりました。信号は、赤。

ところが、待てども待てども信号の色が変わりません。
頭上の灯りは、ずっと赤なのです。
マーチに見惚れていた私は、流石に遅すぎることに気付き、周囲を見渡しました。そして目に入ったのは、信号機がついている柱についた蓋のようなものを開け、手を突っ込んだままマーチの方角を見つめている警官でした。どうやら、彼が意図的に赤信号のままにしているようなのです。交通整理の一環でしょうか。

私はずっと立ち止まっていました。
私を立ち止まらせたきっかけは確かに赤信号ですが、
私が今立ち止まっている理由は赤信号ではありませんでした。
赤信号がずっと点いている間、私の後方からぱらぱらと人が駆け出しました。赤信号の長さに耐えられなかったのでしょう。警官たちは、それを注意しません。
普段であれば信号無視として即刻お咎めを受ける行為が、その場では黙認されていました。
マーチが邪魔だから集団で立ち止まるのではなく、マーチがきっかけで公権力が引き起こすある種の不条理、秩序統制。それを搔き乱す個人の行為がやがて一つ、二つと始まるということ。それらはおおもと、マーチによって起こされた変化だということ。
そんななかで大人しく立ち止まっている私は、一体どうして立ち止まっているのかわからなくなって、思考だけが歩き出したのです。

ジェームズ・C・スコット『実践 日々のアナキズム』のなかにも信号の話が出てきます。
ドイツのとある田舎町の通り。車通りが途絶える夜、人々は律儀に信号が変わるのを待っているのです。しかしスコットは、アナキズムの実践として信号を無視して渡ることを決めます。

今起きていることは、どことなくその本に書かれていたことを想起させました。
やがて信号が青に変わり、私の身体も歩き出しました。
歩き出し、走り出し、マーチの最後尾を追いかけました。

エピローグ

今回は、3月8日に実施された国際女性デーマーチでの経験を私なりの考察に落とし込んでみました。
マーチ実施中に交通整理の一環として行われた臨時の秩序統制の一つ、信号操作。それは紛れもなく、あの日マーチで歩いた人々によって引き起こされたものでした。その影響のなかに、ルールを柔軟に考え、時には法的秩序を攪乱するという実践の片鱗を見たように思います。
マーチ参加経験が多くない私にとって、今回の出来事とそれによって呼び起こされた思考は、マーチが確実にもたらす一つの波を見つけさせてくれたものでした。
来年も是非参加したいものです。今度は遅刻せずに!

それではまたどこかで。さようなら。

もね


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