金晩の美味しい話

 今日はよく働いたなと思える一日だった。わたしはとある会社の事務職として働いている。任される仕事が増え、年始ということも相まって、普段は30分残業で済むが今週は1時間~1時間半残業の日々が続いた。今日もまだまだ仕事は残っていたが金晩なので夜は長い方がいいと思い、パソコンを強制終了させ、退社した。帰り道、歩いていると急にまっちゃんって何であんな面白いんやろ?という疑問が頭をつきまとい始め、ルーツを探るため松本人志の『遺書』を借りようと図書館へ寄った。図書館は改装中で、倉庫が別の施設にあるため今日は借りられず、『遺書』は予約ということになった。予約だけしてさっさと家に帰ろう。
 歩く、歩く、ああ寒い。手袋がほしい。ごんぎつねが懐かしい。膝丈の薄っぺらいスカートにロングコートなんて、全然寒い。歩く、歩く。すると、左手に、ぽっと光の灯る小さいお店が見える。わたし好みのレトロな雰囲気が漂う外観。ガラス張りで、テーブルは手前から数えて三つほど。店の外に置かれたブラックボードを見ると、シチューやピザや、書いてある。値段は2000円前後。いつも自炊をしている身には奮発の値段。けれど、これで身があったまるなら、よし。たくさん働いたし、よし。店の中にいる長めのコック帽を被ったおじさんのコック帽……長ければ長いほど美味しい料理を作れる人だとどこかで聞いた、よし。
 そしてわたしはレトロな建物あるあるの重たい扉を開けて中に入った。いちばん手前の席に案内される。わたし、外から丸見えじゃん。なるほどね、宣伝看板にしていただけるのね。足元にすっとストーブを持ってきてくれた。たしかにこの店、このストーブなかったらかなり寒いぞ?あれか、食べ物のために温度調整管理徹底してる店か?渡された大きいサイズのメニューをめくる。ベリベリに端が切れた紙。字が詰め込まれすぎている。値段もインクがこすれ、読みにくい。これ、わざとだろ。これはわざとだろ。ピザ、スープ、グラタン、肉の煮込み料理などとカテゴリー分けされていて、品目としては100種類ぐらいありそうである。優柔不断な人は一人でこの店に入るべきではない。わたしはとにかくお肉をひたすら食べたかったので、肉煮込みから選ぶことにした。ビーフストロガノフ1800円。ビーフストロガノフって普段食べないもんな。小学5年生のとき、家庭科で作ったの美味しかったなあ。あれって、ビーフが美味しかったんだっけ、添えていたサワークリーム(先生が近所のスーパーで買ってきたやつ)が美味しかったんだっけ。11年ぐらい前になる思い出を確かめるためにも、ビーフストロガノフにしよう。わたしは決意した。けれど、初めての店ではいちばんオススメのものを食べたい気持ちもある。注文をとりにきたシェフのおじさんに、「ビーフストロガノフが気になってて食べたいんです。けどここ初めてなのでオススメも知りたくて……」と正直に聞いた。「お肉料理の中からでしたら、皆さんタンシチューをよく頼まれます。」「え、タンってあの牛のタンですか」(普通そうだろ)「そうです」「わたし、タン好きなんです!じゃあそれで!」いや~ビーフストロガノフの真下に書かれてあったのに何で目に入らなかったんだろう、わたしったら!あと、11年前の真実を知ろうという決意はどこへいったんだろう、わたしったら!
 待ってる間、店の看板娘になるべくおもむろに小説を取り出し読んでいたら、「シチュー、時間かかりますので」とサラダを出してくれた。細切りにんじん、輪っかオニオン、レタス、オレンジ色のドレッシング。美味しい。それも食べ終わって小説が2ページも読み進まないうちに、シチューは出てきた。黒いお鍋に入っていて、タンがどーーん!ゴロゴロしたじゃがいも、にんじん、ブロッコリーがどーーん!火傷しそうなくらい熱そうだけど、とっても美味しそう。平皿に取り出してタンを食べやすい大きさに切り、ソースをたっぷりつけ、チーズを溶かしながら食べる。そうだ、ここ店名にもチーズって入っているぐらいだから、チーズが売りのお店なんだ。タンが程よい甘さのソースと絡んでとろけていく。え?タンってこの量食べようと思ったらまぁまぁ値段張るぜ?こんなに美味しく柔らかく味付けてもらっちゃって、1900円で済むの?耳を疑っちゃう!最後に残ったチーズの絡んだソースも一口一口噛み締めるようにすくって飲み込んだ。永久にソースがこの鍋から沸いてほしい。
 食べ終わって、水を飲み終えると、すかさず次の水が出てきた。え、わたしのことずっと見てた?看板娘の役割果たせてた?程よい甘さで美味しかったです!って伝えたすぎる!お会計のとき、言おうとしたら、「普段はこの料理普通の皿で出すんですけど、今日は寒いので鍋でお出ししました。ビーフストロガノフ頼もうとされてたのにシチューを召し上がっていただいたので、100円まけときますね」なんだ神か?サラダまでいただいて、1800円で済んでしまった。「えええ!ありがとうございます!めっちゃ美味しかったです!また来ます!」だけは言えた!もっと言いたかったけど!けどね、シチューだけが美味しい可能性もあるからね!もっと言ってよくなるのは3回目以降よ!うん。どれだけ美味しく思って食べたかは、お鍋の食べあとの美しさが物語ってくれるだろう。コックさん、ソース舐め回したわけじゃ、ないからね。スプーンですくってそんだけ綺麗なんだからね。勘違いしないでよね。
 満腹満腹、良き金晩となった。これからも一月に1回は1人でふらっと良さげな店に入るというささやかなご褒美を自分にあげたいなと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?