誰かのためでいる必要とは
よく顔色を伺いながら過ごしていました。
人と話すときも常に、表情をみていました。
あ、この人今ちょっとつまんなそうだな
あ、このときあんまりいい表情してなかったな
あ、今日は声のトーンが低いぞ
しゃべり方もなんだかぶっきらぼうな感じ…
そんな風に、表情や声色、相槌の仕方など
常に他人の顔色が気になる。
ひとり反省会は当たり前でした。
別にその人はそのつもりもないだろうし、私の勝手な思い違い。
だけど、考えてしまう。
たぶん、人はそこまでなんとも思ってないんだと思うし、
私こういうのが気になってさ…って言ったら意外と、え?そんなこと思ってないよってあっけらかんな感じで言われる。(ことが多かった。)
そう。だから、他人に振り回されるな。
別に相手は自分にそこまで興味ない。
あと、相手に期待しない。
あるときからこれをやって、すごく顔色を伺うことがなくなったし、期待もしていないから仮に相手が不機嫌でもなんともおもわなくなった。
前は、私がなにかしてしまったかな?とかこういうところがダメだったかもってなってたけど
無駄です。
誰かの気分に振り回されるのいやだ。
もちろん私もそれで振り回したくない。
だから気をつけてる。けど、意外にできてないかもしれないなと…(不安)
もちろん、反省会も大切。あきらかに自分が悪かったなってときとかはね。
だけど、人の基準はそれぞれだから
つまらないとか面白くないとか、この人合わないなって思われることもあって当然で。
でも、それに振り回されるのは違う。
別にその人のためだけの私ではないので
無理して変わる必要もないと思うのです。
自分が落ち着く、安心できる、素でいられる
そういうところ必ずあるよ。
だから、誰かのための自分でいる必要ないよって思います。
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