映画『成功したオタク』から”推し方”を学ぶ
ドキュメンタリー映画『成功したオタク』を観に行った。
「ある日、推しが犯罪者になった」
私より3つ上の監督が撮ったこの映画は、つらい話だけどちょっと笑えて、最後はスカッとする映画だった。
映画『成功したオタク』公式サイト (alfazbetmovie.com)
ツイッターで偶然見つけた上の文章が気になって、映画の予告や監督のインタビュー記事を読み漁った。私は、フェミニズムは追求してないけど、ルッキズムをヘイトする自分と、アイドルを推す自分に矛盾を感じていた。だから、この文章を読んで近しい何かを感じた。
インタビュー記事を読んだら、映画を見る前からオ・セヨン監督の聡明さに惚れた。これは、観に行くしかない!
兵庫県の片田舎から、心斎橋のミニシアターに足を運んだ。(投稿した時点で観に行ってからだいぶ時差があるので、もう上映期間終わってるかも)
犯罪者のファンは被害者?加害者?
映画の中で、監督はカメラを持って同じように推しが犯罪者になってしまったファンの子たちに会いに行く。インタビューでみんなが言っていたのが、このこと。犯罪者のファンは被害者なのか、加害者なのか。
突然、推し自身に夢を壊されたという意味では被害者。だけど、推しをここまで有名にしたのは自分たちファンの存在。
なかには、推しがしてしまった事実を認められず、有罪の判決が出たあとも擁護し続ける人もいる。行き過ぎると2次加害になる。そうなったらやっぱり、ファンも加害者?
これ、韓国だけじゃない。日本でも同じようなことになっていたはず。
でも、推しを擁護し続ける気持ちも分かる。推しと自分をあまりに同一視しすぎると、推しになにか問題が起こると、まるで自分自身にも問題があるかのように捉えてしまう。自分を守るために、推しを擁護する。そうなっちゃうのも、仕方ない。
ファンは本来、加害者じゃないはず。だから自ら加害者にならなくてもいいはずなのにね。
監督は最初、有罪になっても推しのしたことを認めない人に会って、問いただすつもりだったらしい。でも、会いに行く旅の途中で、それは間違ってると思ったそうだ。推しを擁護したくなってしまうのも、それ自体は罪じゃないはずだよね。
推しと自分は違う
難しいけど、推しと自分は別の人間なんだと気づくことが、この辛さの解決策になる。私はこの映画を見てそう思った。
だから、推しが有罪になったからって、自分たちはなにも悪いことはしていないし、推しがその判決によって心無い言葉をかけられたからって、それに一緒に悲しむ必要はない。推しより大切なのは、自分のはず。
個人的には、ファンは被害者なのか加害者なのかって考えさせられてる時点で、絶対に被害者だと思う。
楽しいことには、楽しいって言う権利がある
推しが犯罪者になろうが、推していたことは罪にはならない、と私は思う。
私たちにはいつでも、素直に楽しむ権利があるし、たとえ推しが犯罪者になろうとも、彼の過去のCDを聞き返していい。好きだと言うこと自体は、何の罪にもならないはずだ。
それは、推しと自分は別の人間だからこそ、だと私は思う。推しの罪がファンの罪になるなんて、やっぱりおかしい。
本当のソンドク(成功したオタク)とは、彼のことを推していた期間を自分のなかで幸せな思い出として残せること。
映画の終盤で、そんな風なことを監督は言ってた。自分を否定することも、彼を否定することもせず、ただ楽しかった思い出として取っておく。いい失恋をした時の考えと似てるかも?
何はともあれ、この理不尽な問に真っ向から向き合って答えを出した監督はもうすでに、立派なソンドクだと思う。
自分を大切にすること
推しと距離をとることが、イコール自分を大切にすることだとは言い切れないし、この映画ではそこまで言及されてない。だけど、私はこの映画を見て、そういう考えが生まれた。
あえて私が好きなのが誰かは言わないけど、その彼は本当に努力家で、仕事熱心。だから、彼と比べて劣等感を感じる。時々ではなく、割といつもそう。
それだけじゃない。もともと、ルッキズムって何なんだろうとぼんやり考えてた人間なので、そもそもアイドルというビジネス自体、ルッキズムを利用して金を巻き上げる、どうしても好きにはなれない業界だった。だから彼を追いかけるのは、楽しくもあり、苦しくもある。(なんでハマってしまったんだろう…?)
だけど、線引きすると楽になる気がした。彼は彼で、私は私。アイドルという業態も、彼という人間一人とは直接かかわりはない。
推しと自分は他人。心のどこかで、”いい距離感”を保っておくことが大切だと思う。
彼に憧れてるからって何もかもを真似する必要はないし、彼みたいになれなくても大丈夫。合わないところや理解できないところがあっても大丈夫。他人なんだし、当然のこと。
でも、幸せなところはちゃんと享受する。結局好きでいることは辞められないんだし、極論こちらは金を出してる以上は顧客なんだから、幸せという対価をもらって当然。
彼に深入りしすぎないことって本当に難しいけど、彼よりも自分の人生を大切にして、人生がつらくてもちゃんと向き合えば、自然と”いい距離”でいられる。
近すぎると盲目になってしまう。盲目になっている自分に気づいたら、一旦離れてみればいい。そしてまた、彼に会えばいい。
映画館を出たら、なぜか無性に大好きな彼の顔が見たくなった。難しいことを考えたら疲れたし、癒しが欲しいってだけかもしれないけど。笑
こうやって好きで溢れさせたり、ちょっと離れてみたりを繰り返しながら、人生を長く彼と歩んでいこう。
心のなかで、ただいまー!って言った。
おまけ
先日、友達と『劇場版名探偵コナン』を観に行って、エンドロールで流れたaikoさんの主題歌が、あまりにも私が彼に対して普段思っていることを言語化してくれていたので、コナンのことは一旦忘れて、ドキッとしてしまいました。自分の頭のなかがTOHOの大きな映画館で、観客全員に暴露されているかのようで、恥ずかしかった、、、。
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