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はじめて会ったふたりの女性との対照的な挨拶

過日、出会った人たちの話。

以前にお世話になったドクターの葬儀に参列した。
大きめの教会だったものの、関係的には後の方に入場した方がよいかと待っていたら、かろうじて内部には入れたが、席がないので直立で45分。偶然会った知り合いのカップルと並んで立っていた。
ミサでは、最後の方に、周囲の人と挨拶を交わす場面がある。たいてい、自分の両脇や前後にいる人と握手をする。
コロナ禍の少しルールが緩やかなった時期には(厳しい時期には葬儀やミサ自体も控えられていた)、ソーシャルディスタンスでの席配置で、この握手の挨拶も、感染予防で直接的な接触を避けるため、手を振ったり、軽い会釈に代えられていた。
マスク着用も義務付けられていたと思う。
現在では、このルールや配慮は公には解除されている。
さて、この周囲の人との挨拶の段階になり、わたしは右隣りにいた知り合いの女性と握手した。左側のシニョーラ(ご婦人)にもするべきかと、そちらの方に身体を向けて手を差し出しかけたところで、彼女は微笑んで「これが挨拶よ」という体を示した。あぁ、OK。瞬時に理解して、出しかけていた右手を引っ込める。それで、コロナ禍の習慣を思い出したのだが、自分が外国人であるゆえに、それもなきにしもあらず?とちらっとは脳裏に浮かぶ。

ミサ終了後に、電話をして会うことになった付き合いのある女性とバールに入った時のこと。
たまたまその場に居合わせた彼女の親友の既知の女性と、はじめて会ったその娘さん。
最初からオープンで明るい雰囲気で、名前を紹介された時にも、彼女の方から手を差し出して来た。
大学でロシア語を専攻して、その他にスペイン語とフランス語を勉強したとのこと。クルーズ船の会社にも所属していたことがあり、その時には中国語講座も取ってはみたものの頓挫したと言う。わたしが日本人ということもあり、最近、ベルガモまで鑑賞しに行った草間彌生氏のインスタレーションを話題にあげる。周囲で春になんとかチケットが取れて体験して来たというシニョーラがいるので、彼女から話は聞いていたが、ひとりずつ水面に浮かぶ鏡張りの空間に一分間だけ身を置くことができるというもの。その体感した気分はなんとも素晴らしいのだと。
母方の叔父さん(同席していたお母さんの弟さん)がスペイン女性と結婚してスペイン在住だそうで、そちらからジェノヴァに帰って来たばかりとのこと。
彼女のおしゃべりは止まるところ知らずだったが、お母さんは行きつけの中国人経営の美容院が今なら空いているからと行かせたがっていた。
せっかくだからとその場を立ち去りたがらない娘さんも、お母さんの再三の促しに重い腰を上げた。
わたしの付き合いのある女性とは子どもの時からの仲のため、別れ際の挨拶はもちろん頬と頬を合わせるバーチョ(キス)だった。
それを眺めながら、ここは、手を振るか握手かな?と、後に来るわたしとの挨拶を予測していたところ、「バーチョしてもいい?」と確認しながら、先と同様に親しげな別れ際の挨拶を交わした。

同じ朝に、はじめて会ったふたりの女性との挨拶だが、対照的だったので色濃く印象に残った。

後者の娘さんとまた顔を合わせる機会があるといいな。

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