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思いやり と 自己犠牲

過剰なくらいの思いやり? 行動をとる子がいた。
どちらかと言うと
" ハッ!! 〇〇しなければ " 的 条件反射で スッと行動した後、
周囲から褒められたり 感謝を告げられる間
終始目が泳ぎ どこか悲しそうで
心と体と頭がバラバラでいるような 様子だった 。

表向きには  正しいとされる行動や
評価の獲得を意識した言動を探し 静かにとるのだけど
誰にも見えない場所で 人知れず
密かないじわる的行為をすることもあった。

反射的に賢く立ち回るため
気付かれることもなかったけれど、
ある時 私が こっそりと 二人きりの場を作り
言葉少な目に 質問 (指摘) を入れた。

ドキッとした表情の後 はぐらかす返答をしたため
「そう…もう少し話したかったんだけど
  …うん、 分かった。」   と返し
部屋を出ようとしたら、
「親には言わないで!」 と
小さな悲鳴のように呼び止められた。


いじわる的行為の矛先は
多動的で加害行為からのトラブルの多い 頭の回転の速い子が対象で
正しくあれるはずの機会をよく奪われてもいた。

その日、矛先の子が 靴が無くなったとずっと探して回り
色んな人に尋ねては 「何でねぇんだよ!」 と 当たり散らす中、
心配気に協力をする素振りで 大人の人に
"あそこもここもなかった" と報告をしていたが
夕方遅くに その子のお迎えが来て 大人達が相談始めたタイミングで、
迷わず1つの遊具に走って行き
二足の靴を持って嬉しそうに 「あったよ!!!」 と
先生に報告をして手渡していた。


「よくあの場所にあったって、分かったね
 ひょっとして どこにあるのか 知ってた?」

私の問いに  "知ってた" とも "知らない" とも 答えない

でも、落ち着かず 爪を噛み
震えながら 目に涙をいっぱいに浮かべつつ、
頭の中では 正解の説明 を 探している様子。

「何かAとのことで
  ムシャクシャとか、 イライラする事があった?」 と尋ねたら
グシャグシャの顔になり
「うう…ん、 分からないけど…
    あったかもしれない…」 と
迷いながら絞り出して つぶやいた。

でも、 気持ちの確認には頷くので

気持ちだけは 自分で認め 吐き出せるよう
2-3択の YES-NO的質問をした。
決して誘導せず、 本人の感情のみを 一緒に辿るよう意識して…

事実を認めたら親に言われる=それだけは避けたい 気持ち を尊重し
ギリギリ核心には触れず、
何より本人が 怯えない状態で 自分の中の感情に気づき 整理し、
無意識に正当化する必要性を剥がし
誰かからの評価や 大人の好む正解 を意識せずの
生の自分に 辿り着けるように。

吐き出し終わった辺りで 本人のお迎えの声がした

「大丈夫よ、 心配しないで」 と伝えると、
目を見開いて安堵した様子

「でも、靴のこと 話してくれてありがとう」 と言うと
俯いて また少し不安そうにした。

「何か誰かに言えなくてモヤモヤとか イライラする時は
  私のとこでも 他の人のとこでも来てさ、言っていいよ。
  そうかそうか、って聞くからさ」  と 言葉を添えたら
安心したように ギュッと閉じた口で ウン!!! と頷き、
迎えの方へ走って行った。

翌日以降 じんわりとだが、
その場で相手に不満や反論を漏らすようになり、
やりたい事への優先や 断る姿も少しずつ増え、
誰かの求めを察して動くよりも
興味を持った相手を そっと観察し 「何してるの?」と 尋ね
自分は何もしないで ただ そこで何となく眺める
そんな姿を見かけるように…

隠れた嫉妬を重ねていた相手に対しても 執着はなくなり
その時々 意気投合したり 反発し合ったりで過ごせるようになっていった。


家庭背景の諸事情に加え、
親の発信や関わりと その子自身のキャッチの仕方とに
些細なズレが 生じることもある。

でも 第三者のほんの少しの関わりや
見守りが あるかどうかで
土台となる 見方や捉え方に 自分自身の模索の余裕が生まれることもある。
そう思う。 

当時の自分の思考を振り返り、
あの対応が良かったどうかは分からないし、
もっと別な関わり方もあったよな…とも思い続けてる。

ただ、そうして 経験と 思考の間に
想像の余白や枝葉を増やし 記憶が繋がる今に来れたのは
本当に良かったな と 思う。



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