見出し画像

月曜日の図書館12 まだ両生類

館内で迷子を見つける。親とはぐれたのだ。鼻水とよだれを垂れ流して泣き叫んでいるので、とりあえず手をつないで安心させた。
小さい子どもの手は、カエルの手に似ているなあと思う。ぐにぐにとやわらかくて、しっとりして、水かきがある。きっとまだ、人間として生きていくか、別の生き物になるか、選択の余地が残されているのだ。
予想通り、母親は児童室にいた。大人が子どものために絵本を選んでいるすきに、退屈した子どもがふらふらと一般閲覧室の方へ出て行ってしまうことはよくある。憑かれたようにしばらく歩いた後、ふと我に返って、目の前の知らない光景に驚く。

どこに行こうとしていたんだっけ?
誰に会いたかったんだっけ?

おはなし会の日、「せんたくかあちゃん」を読んだら、かみなりさまが洗濯されてのっぺらぼうになる場面でみんな凍りついたようになる。確かにわたしも小さいころはあの場面が怖かった。次のページで子どもたちがクレヨンで新しく描いてあげる顔も、なんか「ほんもの」とは違う質感でやっぱり怖い。底知れない魔力を持つ絵本だ。
息抜きに「おてぶしてぶし」をやる。どっちの手にものを持っているか当てっこするわらべうただ。おてぶしてぶし てぶしのなかに へびのなまやけ かえるのさしみ いっちょばこやるから まるめておくれ いーや。
たいていの子どもはヘビとカエルが好きなので、これをうたうと、うげえ、きもい!と声を上げて喜んでくれる。場の温度がたちまち上がった。児童担当以外の職員は数ヶ月に一度しかおはなし会に参加しないので、次に読み聞かせするころにはきっと季節が変わっているだろう。今度は「うまかたやまんば」を読んで、もっと怖がらせてやろう。

わらべうたの教室に通っていたころ、大人だけで円陣を組んでぐるぐる回りながらうたっていると、まるでカルト集団の儀式に参加しているようであった。

児童担当を長くやってきた人は年齢不詳な人が多い。子ども心をいつまでも忘れないからだそうだ。カエルを飼っている、とT野さんに話したところ、餌は何か、どんな声で鳴くのか、寿命はどのくらいか、と興味津々でたずねてきた。わたしが、おじさんみたいな声で鳴きます、と言って実演してみせると、お腹を抱えて笑う。そしてベトナムに行ったときに買ったやつ、と言って微妙なかわいさのカエルの人形をくれた。

前の図書館の係長は怒るとめちゃくちゃ怖い人であったが、ひとたび絵本を読みはじめると、聖母さまのようなやさしい雰囲気を漂わせるのだった。その場にはおだやかな空気が流れ、子どもたちは泣きやみ、窓からはあたたかい日差しが降りそそぐ。中でも「たまごのあかちゃん」の読み聞かせは本当にすばらしく、あんな風に呼びかけられたら、どれほど引きこもって耳をふさいでいても、もう一度外へ出てみようかな、信じてみようかな、と思わせる力があった。

たまごのなかで かくれんぼしてる あかちゃんは だあれ? でておいでよ

新聞の取材で、図書館司書が選ぶ人生を変えた一冊、をテーマに話をすることになった。わたしは子どものころ「カエルの王さま」の結末に全然納得がいかないまま大きくなり、仕事を始めてから「おひめさまとカエルさん」に出会って救われました、というようなことを話したが、大人になってからじゃなくて、できれば子ども時代に救われてほしい、あともう少したくさんの人が共感する話題がいい、と言われ、結局代わりにムーミンシリーズを紹介した。ムーミン谷に住む人(?)たちは、性格が悪かったり、孤独が好きだったり、とんちんかんなことを言ったりするけど、それでもお互いを受け入れて仲良く暮らしています。この物語を読んで、友だちが少なかった中学生のわたしは、みんなと同じじゃなくてもいいんだ、と気づいて、自分に自信を持つことができました。
わかりやすい筋書きに記者も今度は納得した。ムーミンもわたしの人生も、本当はそんな単純な言葉ではまとまらない。たくさんの人が共感する言葉で表現しようとすると、一番好きで大切にしている部分はこぼれ落ちてしまう。取材の最後に写真を撮られた。この新聞社はいつも写真がいまいちなので、わたしは前日から笑顔をキープする練習にはげみ、どんな瞬間を切り取られてもいいように、奥歯をかみしめて笑いつづけた。

壁にたたきつけられたカエルが人間の男に戻って、なぜそれがハッピーエンドなのだろう。

重い苦情を受けて落ち込んだ日、とにかく心に栄養を、と思って仕事後に児童室で「さかな1ぴきなまのまま」を体育座りで読んでいたら、お客さんを案内して入ってきたDにばっちり目撃されてしまった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?