見出し画像

おうち中学受験が大成功だった話

私にとって中学受験は良い思い出でしかない。
それをふと、書き留めておきたくなった。
ほぼ走り書きだけどw


きっかけ

小4の頃、私が公立小で浮きこぼれてるっぽいと気付いた母。
私自身は浮きこぼれの自覚はなかったけど、母の中では中学受験への決意が固まったらしい。
そして小4終わりに四谷大塚の入塾テスト的なものを試しに受けたら、期待を大きく上回る結果だった。
それが後押しにもなり、私の中学受験はスタートした。

我が家の事情とやり方

とはいえ父は普通に忙しいし、母は車も運転できず体力もない。
よって平日の通塾は一切せず、テキストと問題集を購入して、時間を作りながら家で母が全部教えてくれることになった。
まさに↑のイラストのような感じ。…いやこれは美化しすぎかな?w
叩き込まれる感じはなく、母から教わった知恵が点数にも繋がり世界の解像度も上げてくれて、私は「頭が良くなる喜び」を楽しんでいた。

第一志望

そんな感じでわりと良い親子関係だったし、母に「こういう理由(校風や立地や通学時間)でこの学校がお勧めだけど見に行ってみないか」とプレゼンされた学校の文化祭か何かを見に行って、一発で気に入り、あっさり第一志望が決まって最後まで揺らがなかった。
私にとって無理のない背伸びで届くレベルだったのも、絶妙だった。

転機

長らくボロアパートに住んでいた私達一家、念願?のマイホームに引っ越した。
それに伴い、市内ではあるが私は転校することになった。
タイミングは、私が小6に上がる時。
あと1年で卒業なのにと、こればかりは親を恨んだ。
そして私は転校先で馴染めず、いじめられた。
それまで目を輝かせてふわふわ楽しむだけだった中学受験が、
地獄から抜け出す蜘蛛の糸の意味合いも帯びてきて、勉強に一層熱が入った。

そして受験

まあそんなこんなで、平日は母が家庭教師となり、日曜テストと夏期講習&冬季講習の際には父が塾への送迎を担ってくれた2年間。
一般的な関東の中学受験に比べると、相当ゆるふわな部類と言えるだろう。

第一志望は日程が早く、なんの肩慣らしもなしに受ける形となったが、
正直めちゃくちゃ手応えあった。
試験を終えた私は「楽しかったー!」と笑顔で戻ってきたらしい。
その二日後、学校を休んで合格発表を見に行った。
もちろん合格していた。
滑り止めとか御三家(記念受験)とかいくつか出願はしていたけど、
「もう他は受けない!」と高らかに宣言して、私の中学受験はサクッと終了。
まさかの第一志望しか受けないパターン。なんという省エネ。

まとめ

いろんな環境や資質がうまく絡んだ、レアケースだろうなとは思う。
インドア派で知的好奇心が高いが家で本を読むくらいしか過ごし方を知らなかった子供と、ただの専業主婦に見えて高学歴で教員免許も取得している母。
ちなみに父は、勉強の楽しさも遊ぶ楽しさも知ってる大らかな人。
(外遊び大好きなヤンチャ坊主が成長と共に覚醒して東大法学部へ進んだ)

いま思えば、全てが母の意向通りに進んだようにも見えるが、
当時の私は「勉強を楽しんでたら行きたい学校に行けた🎵」と認識してたので、
結果オーライだと思う。

後日談

念願の第一志望に入ってからはというと。
学年での成績は上の下〜上の中といったところで、ほどよい優越感がうまくモチベーションとなってくれて、中高の6年間も勉強は楽しかった。
校風も母のプレゼン通りで居心地良かった。

そしていつのまにか東大を目指すレールに乗っていたw
これについてもいつか書けたらいいな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?