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地域考

<あなたにとって「地域」とはどの範囲ですか?>
この問いに、町内会と回答した割合が6割程度と、あるアンケートの結果で報告されていました。ほかには、小学校区、歩いて行ける半径500メートル程度、向こう三軒両隣という選択肢があって、それぞれに回答者がいました。「地域」の範囲は時と場合によっても変わったりします。同じ県内に住む人同士での「地域」と、小学校の同級生における「地域」が、わかりやすいでしょうか。

私の住む稲城市は東京都の西部に位置し、神奈川県との県境にあります。川崎に生まれた私にとって、北部を流れる「多摩川」を超えると東京というイメージがあったのですが、稲城市は多摩川を越えません。つまり、稲城市の北部に多摩川が流れていて、川崎の雰囲気と少しだけ似ている気がします。

さて、その稲城市でも、自治体運営の優先順位付けと、効率的な事業推進のため、そして市と住民が共通認識を持つために、総合計画を策定しています。(堅い表現ですみません・・)その策定作業のひとつとして、市民の意見を聴くという大切なプロセスがあり、稲城市では市民会議を発足させ、様々な住民がグループ討議などを経て、2030年の稲城について検討を進めていました。ふつう、総合計画は10年程度の実施期間を定めているので、ゴールとして2030年を挙げているようです。

このたび、その市民会議の提言書がまとまり意見募集等があったので、読んでみました。提言書は、住民の声としてまとめられたものであり、総合計画のタネになるものです。じつは私は、仕事をしている自治体で、小規模ながら総合計画を策定する業務を担当する課にいたことがあって、住民の意見にある「価値観のようなもの」をどう落とし込んでいくか、中の人として苦労している同僚を見てきた経験があります。私も含め、稲城に住んでいる人たちが、どんな稲城を望んでいるのか、いないのか興味がありました。

初めての読後感は、「何だこれ、すごいなぁ。」でした。
うまく掴みきれないけれど身近な理想も遠大な理想もあって、でも現実味を強く感じることのできるような、そんな提言でした。当たり前のことですが、様々な人がいると、様々な暮らし方があって、要望も違って行きます。「暮らし」は文字通り、日が昇って沈んで行く日々の繰り返し。市民会議で集まった様々な住民がそれぞれの「暮らし」を持ち寄って、地域との関わり方を模索していた成果として、失礼ながら「とても完成度が高い」と思ったのです。言い換えれば、実現したらとても素敵だなと思ったことと、大なり小なり実現できそうな希望のある提言でした。

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いまさらですが、豊かさをモノで測る時代は終わり、コトやヒトが媒体となって幸せを感じられることが貴重な時代になりつつあります。提言を読み返すうち、それを地域という場で実現しようとしているのかなと、気が付き始めました。昨今、行政側に求められていることが、与えることから、関わることに変わってきている印象もあります。ここまで、抽象的に書いてきてしまったので、具体的なことを検討してみたいと思います。

提言書の大きなまとまりとして、10の「暮らしたいまち」が挙げられています。それらの中から、個人的にとても気になった3つの「まち」について書いていきます。それぞれの「まち」は以下の通り。
    ・仕事も生活もできるまち
    ・自分でつくる つながり合うまち
    ・誰もがずっと住んでいたいまち

・仕事も生活もできるまち
地域のことを顧みない現役世代、なんて言われ方をされてしまいますが、実際に仕事が忙しい人にとって、職場が自宅と離れていれば、自宅のある地域には「寝に帰る」だけになってしまいがちです。たとえば家族がいて、子どもは地域の中で育っていくのに、親世代は地域のことを知らないといったこともあります。それは、仕事をする場所が自宅から離れているから、地域にいられないといったこともあるでしょう。私のように、住む地域よりも、働いている地域のほうが詳しいという人も多いはずです。
かたや、いわゆる第一次産業に従事する方たちは、住んでいる地域が仕事場である印象があります。仕事というと、一途に続けていくという側面がありつつ、キッザニアや工場見学などのように「見学や体験」のようなものに興味が集まっている印象もあり、稲城でも続いている農業についてもうまく組み合わせられないものかと考えたりしました。

・自分でつくる つながり合うまち
私は、この提言がとても好きです。特に「自分でつくる」という点は、いまの地域づくりの大きな流れでもあります。決して流行っているから良いというわけではありませんが、多くの人が地域の良さは人とのつながりだと考えているはずです。自分以外に力やアイデアを求めるのではなく、自分で作っていくつながりづくり。それって、すごく大変なことだなぁと思う人も多いと思うのです。じっさい、僕もうまいこと出来ていないと感じますし、もっとやりたいとも思っています。特に、日中は仕事に出ていて、地域にいない人同士はどうつながればいいのか、人見知りはつながれないのか・・疑問は尽きません。
定年退職者向けのボランティア講座などでは、「地域デビュー」といった言葉が使われることもありますが、デビューといったことではなくても、例えば家族と地域のイベントに参加するといったことからでいいはずです。「つながり」というと、人脈や参加とか協働とか、人と人との関係性をとらえてしまいがちですが、まずは自分がどんな地域に住んでいるのか、それを知ることも必要でしょう。目的を持たずに過ごせる図書館や公園などでのんびりしながら、どんな人が住んでいるのか思いを馳せる(僕がやりたいことのひとつ)というような時間が、もっと必要かも知れません。

・誰もがずっと住んでいたいまち
ひとりひとり、大切にしたい暮らしがあって、その日々のためにどんなものが必要かは違ってきます。静かな環境、便利な交通、安全な道、楽しい公園、多様な願いがあるのは当たり前のこと。「稲城に住んでるの?いいなぁ!」って言われることが分かりやすい評価ですが、それはこれからのお楽しみ。
ずっと住むためには、ずっと変わらないものと、反対に変わるべきものがあると思います。守るもの・変えるものという視点もあります。行政がどちらも担当しているのが、今までの地域の運営でした。とはいえ、NPO法など、バブル崩壊以降に災害などを契機として、行政では手が回らない部分に、市民が関わっていくような社会の仕組みに変わりつつあります。稲城にも、里山保全や市民活動を支援するNPOなどがあり、地域で活動をしている方々は決して少なくはありません。
 コミュニティデザイナーの山崎亮さんの講演で、その昔は行政機能はほぼすべてが“村”にあった、という話を聴きました。政府という存在の介入があるまでは、地域や村が一体となって(多くは長老のような存在がいて)、あるいは寺なども中心的な存在を担って、住民同士がまとまっていた(まとまらざるを得ない面もあるとしても)というのです。
だからといって、私は、現代の生活を昔に戻そうというわけではなくて、住民のそれぞれが自分の暮らしにとって大事なことを感じ取り、作り出す必要があるのかも知れないと思っています。だから、この短い「誰もがずっと住んでいたいまち」という言葉は、みんながそれぞれ考えている価値を、みんなで一緒に作り出していくことへの「お誘い」のような言葉なのではないかと思います。お上である行政に任せて、住民は傍観者や享受する存在としてではなく、本来的には行政と住民の隔てなく「あなたが」感じて住みたいまちを作っていこう、という提言だと思うのです。

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行政側の見解として感じたことを書いていくと、まず「とにかく新しい」ということでした。前例がない(不勉強で知らないだけかも知れませんが)という意味で、新しいのです。さらに、予算だって人手だって限られているし、規模だってどう決めるの、そもそも成果が見えないし・・。おそらく、皆さんが知っている行政像ってそんな感じです。でも、これからは変わらなければ、どんどん取り残されていくのではないかと思えることが増えてきました。ひとりの公務員として、感じ取り動き出すことは必要なのだと思っています。

少し話がずれますが、民生委員という方を知っていますか。地域の数百世帯ごとに1名の委員さんが担当し、福祉的なつなぎ役などとして活動されています。民生委員は、実は特別職の国家公務員として厚生労働大臣の委嘱を受けて業務にあたっています。でもその始まりは、ひとりの住民が貧しい人をどうにか助けられないかと心を痛め、食事や生活の援助をしたことから。100年以上続く、日本独自の民生委員という制度になったのは、「いいことしてるから、国でもマネしちゃおう!」という発想からだったのではないかと思います。

私が好きな社会起業家の著書に、その方の師匠と呼ばれていた方の言葉が載っていました。「自分たちのやっていることが、国からパクられてナンボ」・・言葉は過激ですが、国から認められて、国の制度に採用される(そんな品のいい手続きではない・・とは、その著書による)ことで、初めて「よい社会」へ近づくのだということなのでしょう。

前置きが長くなってしまいましたが、もともと地域づくりという活動は行政や町内会がやるものでは無いのではないか、と私は考えています。ひとりの活動が広がり、つながり、強くなっていく、それには一緒にやってくれる人たちが必要だし、楽しく続けていくことも必要。はじまりについては、実は行政は必要ないのかも知れないなぁと、当事者ながら寂しい気持ちさえします。提言書としてまとめられた、市民会議の構成メンバーの暮らしを垣間見ながら、自分の暮らしを良くしていける、良い地域にしていきたい(なるといい・・ではなく!)と思っています。また、この提言書やほかの仕組みで稲城市に届けられた住民の声が、どのような総合計画になるのか、ひとりの住民として期待しています。

長々、お付き合いいただきありがとうございました。
あらためて、あなたにとって「地域」ってどんな存在でしょうか。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました! サポートは、子どもたちのおやつ代に充てます。 これまでの記録などhttps://note.com/monbon/n/nfb1fb73686fd