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肯定ノートには、書けなかった
何度も何度も読んだ、若林正恭さんの「ナナメの夕暮れ」は、ひとりの男の生きる姿でした。どことなく僕にも同じようなところがあって、彼の作品を読んでいました。
悩み、怒り、諦める、そんな生き方が身に染みて、生きづらい世の中になってしまったと嘆く。
意識高い系、勝ち組、そんな言葉で「自分とは合わない」人をより分けていく。
スタバでグランデを買う人を「恥ずかしい」と嘲笑う。
作品に書かれていたのは、紛れもなく、僕にも当てはまる思想であり行動指針でした。
「人見知りのお笑い芸人」という相反したキャラクターであったけれど、芸としての彼は受け入れられたし、なによりも僕は、勝手ながら筆者に親近感を覚えていたのです。
自分の好きなものが分からなくなってしまった。
筆者の、社会がつまらないという勝手な思い込みは、やがて切実な悩みとなって自らに返ってくるのです。
そこで、筆者は「肯定ノート」を書き始めました。ノートに、肯定したことをひたすらに書いていくのです。嬉しかったこと、楽しかったこと、嫌いな相手のいい部分、お気に入りの作家、美味しい料理、気の合う友達・・肯定していくことで、社会は思っていたよりも悪くない、と気付き始めます。
好きなことを見つけ、没頭していたら、その熱量は、嘲りの笑いを跳ね返す。
そうか、それなら僕も肯定ノートをやってみよう。
昨年の年明け「肯定ノートを書く」が毎週の目標となりました。
それから僕は毎週のように、ノートを開いて、その数日間にあったことを肯定しながら書き連ねて・・いなかったのです。ノートすら手元にはありませんでした。
しかしその年、毎週の目標には「noteを更新する」もありました。
週に1回の更新で年間で50本の記事を書くことが、数字の目標でした。それをすることで、何を得たいか、そんなゴールはありませんでした。
緊急事態宣言が出たのをきっかけに、生活は一変しました。noteに書かれた記事を何度か読むことが増えました。これは、僕もきちんとやってみようと思うのは必然でした。
毎日更新するのは、「自らに由る」ための試みである、これは今でも変わりません。しかし、それは自由を求めるというよりも、自分の好きなものを見つける旅のようなものでもあることに、気が付いたのです。
好きなことを熱心に続けることの凄さ、これはnoteという街の中でも多くの方の作品を見ることで感じてきました。中でも、小説やエッセイなど、何度も励まされ、反面では悔しく思いました。
いつのまにか僕の投稿も1年を過ぎて、今更になって気がついたことがあります。先日、放送作家のせきさんに、僕のnoteの中での紹介を書いていただきました。
ほぼ全ての投稿に目を通していただき、僕の好きなものをいくつも拾い上げてくれました。それはまさに、僕が肯定ノートでやりたかった「好きなものを見つける」作業でした。
「手作り感」の記事から、
もつさんの記事が変わっていった。
記事を書くことで気づき、考え、見つける作業をすることが多い僕は、書き始めてみないと結論が出ない投稿もとても多かったです。
自分の投稿にある「手作り感」に気がついたあと、僕は投稿するのが楽になりました。手作り“で”いいのと同時に、手作り“が”いいのだと、少なからず自信になったから。
肯定ノートで見つけたかった、僕の好きなものは、実はnoteのなかにありました。
もともと、自分の好きなことしか書いていない、だから知らないうちに遠くへ来てしまいました。過去の僕は、noteに書いている人をナナメに見ていました。何がnoterだと(笑)そんな僕の視線など届かない遠くへ歩いてきました。
息をするように、
歩くように、
これからも好きなことを書いていこうと思った朝でした。
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