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庭トネリコ

すっきりと早起きをしたので、久しぶりに走ってみました。久しぶりすぎて、街の景色があちこち変わっていることに驚きつつ、夜明けの清々しい空気を吸いながら。

マスクをせずに走っていると、数年前に毎日のように走っていた時を思い出しました。まだ息は白くないけれど、体の中の空気を吐き出して、外の冷たい空気を取り込む感じは、とても気持ちが良いものです。

マスクをして歩くこと、走ること、当たり前になっているとはいえ、やはり感覚的にも気持ちとしても、息苦しいのですよね。


帰宅して、玄関脇にあるシマトネリコが不意に気になりました。家を買った時に、すでに植っていた木は、数年経ってもう手が届かないほどに成長していました。

気が付いた時に、剪定というか枝を落としたり、高くなりすぎないように調整したつもりですが、やはり自然の営みは人間には制御できないものです。

思い出したのは、起きてから布団の中で読んだ、琲音さんのエッセイ・・庭木を手入れすることと、庭木に宿っている命は僕もあると思うのです。

伸びすぎた木々は、葉っぱも増えて、例えば雨樋に落ちて詰まってしまったり、風の強い日には枝が壁にぶつかったり・・

我が家の場合には、青虫の良き住処になったようで、一時期はたくさんの落とし物が地面にありました。黒いものが日々大きくなっていくのも、ちょっと怖かったのですが、ある日突然落ちなくなっていました。

どうやら鳥が青虫を咥えていったらしく、鳥としては絶好の餌場を見つけた気分だったかも知れません。そのことに気がついてからは、青虫を探そうとはせず、鳥に任せています。


そんな庭のトネリコちゃんたち・・まだ早朝でしたが、少しづつ切ることにしました。ノコギリで幹を切ると、青々とした葉っぱがガサガサと鳴ります。

何度も剪定したので、幹も枝もグニャグニャと折れ曲がっていましたが、僕の目の高さくらいで幹からバッサリ切りました。

それまで、視界にあった緑たちは嘘のように無くなって、家の外壁が少し寂しげに見えました。

琲音さんのエッセイを読みながら、積読している植物学の本を思い出しました。植物はきっと人間よりも高いところから世界を見ていて、人間には窺い知れない能力がありそうで、読みたくなってきました。

切ったところから、また芽が出て緑が戻るのも経験済みなので、今回切った場所からも新しい緑が生まれるのが楽しみです。

早起きして、走って、庭の手入れをして、身体も心もスッキリした朝でした。


#朝 #植物 #手入れ





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