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授業参観 #創作大賞感想

以前、赤ちゃんの脳を研究している先生のお話を伺った時、読み聞かせは0歳から3歳の子にとても有効で、言葉や表情、色の概念を理解するのに役立つと聞いたことがある。

そんなこともあって、一番上の子には読み聞かせを毎日していた。しかし、二人目となるとどうか、さらに3人目には…と考えていくと、同じようにできていないことに気がついてしまった。

それぞれの子の成長の度合いは違う。親も子たちに同じものを与えているわけではないのだから、そりゃそうか、なんて思う。子どもたちには、もっと読んであげたい。

カニさんのエッセイ「私のトットちゃん」を読んだ。

「あの子、少し変わってるね」を受容するにはかなりの胆力が要る。

親になってみて良くわかる。人との違いに戸惑ったり、安心したり、イラッとしたり。誰に言われるでもなく、親自身がそう見えてしまうことだって、ある。

違っていていいじゃないか、なんて綺麗事で、普通でなきゃ困るとか、もっとちゃんとしなさい、なんて思ってしまうのは、僕だけではないはず。

だからと言って、それが親として相応しくないわけでもないと知っているから、こんなふうに考えたり行動できる人が羨ましくなった。

子が小学校に通い始めて、一体どんな風に過ごしているのだろうと思っていた。初めての学校公開(授業参観のこと)の日は木・金・土の3日間もあって驚いた。しかも年間に何度かあるのも。

それだけ多ければ”日頃の”様子により近い姿が見られるのかもしれない。


子どもの頃、授業参観にはちょっと苦い思い出がある。

国語の授業で、リレー読みといって教科書の物語を1文ずつ読み上げる時間だった。「実は、」という部分で「みは」と読んでしまったのだ。こうして書いていると、確かに「み」なのだけれど正解は「じつは」だった。

その物語も、すでに何度も授業で読んでいたにもかかわらず、間違えてしまった。良くある間違いだし、あまり気にすることもないのだけれど、間違えることや恥ずかしいことをひたすらに嫌がっていた子どもだったので、このミスはとても恥ずかしかった。

帰宅してそのことを話しても、親は「そんなことあったっけ?」と覚えていなかった(ように見せたのかもしれない)けれど。


お子さんの小学生の姿とトットちゃんを重ねた時、救われているのはカニさん自身だった。その親としての気持ちがとてもよくわかる。なんとかしてあげよう、と思ってやっていることは後々になって自分に返ってくる。子育てはそんなことの連続なのかもしれない。

きっと先生と接する機会の多い母親は、先生からの直接言葉を聞けることも多いのかもしれない。それがちょっと羨ましい。学校という場で、子を育ててくれている大人が、自分の子をどんなふうに見てくれているのか、もっと知りたいと思った。



#創作大賞感想 #小学校  



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