私のトットちゃん
「窓際のトットちゃん」
テレビで紹介されていたのを見て唐突に思い出した。娘が小学校に入った頃、私はこの本を毎晩読み聞かせしていた。
明るく快活で、偉そうで、ユニークな娘も、保育園とは違う、毎日の規則正しすぎる学校生活に窮屈さを感じていたのか、時折見せる暗い顔に心が締め付けられるようになった。
ある日、「宿題をしたくない!」「あんな遠い学校嫌や!転校したい!」と夕食時に突然泣き出した。慣れない学童で上級生に暴言を吐かれたり、友達に束縛されて身動きが取れなくなったり、学校の和式トイレが使えなかったり、その都度解決はしていたが、色んなものが積み重なって爆発したのだろう。
それでも、授業参観に行くと天真爛漫さを発揮し、一人、消しゴムのカスで遊んでいた。私が、口パクで「何してるの?」と非難の目を向けると、平然と「いつもどおり」と口パクで返してきてびっくりした。
家に帰って、「何で先生の話聞かんと遊んでたん?」と聞くと、「みんなおかしいねん!授業参観っていうのは、いつもの授業を見てもらうことやのに、みんなも先生もいつもと全然違うねん!それはおかしい!うちはいつもどおりしてるだけや」というのだ。
担任はベテランの女性教師、子ども思いの優しい先生だった。宿題をしたくないと言うことを先生に相談すると、「すごいですね、一年生で宿題をしたくないと言うのは。自我がはっきりしている証拠ですよ、一年生ぐらいだったら、何も考えずにやるのが普通ですから」
そして最後ににっこりしてこう言った。
「将来大物になりますよ」と。
私はみんなと違う個性のある娘に、少しでもそのままでいいんだよ、と言うことを伝えたくて「窓際のトットちゃん」を読み聞かせした。毎日少しずつ少しずつ。
ちょっと変わった個性を持つトットちゃんの行動に、娘は笑ったり興味を持ったりしながら楽しそうに耳を傾けてくれた。特に気に入っていたのは、トットちゃんが小学校を退学になったところだった。
しばらくして全部読みきらないうちに、読み聞かせは終了した。それが気にならないくらいに、私も娘も明るくなったからだ。
トットちゃんに救われていたのは、娘ではなく私だったということを、その時の私は気付いていなかった。
その後、元気そうに見える娘の前髪の付け根に10円ハゲが出来た。それがふたつもあって目を疑った。心配する私を尻目に、鏡を見て、「ハゲや〜!」と大爆笑している。
皮膚科に行き、ドライアイスみたいに冷たい液体窒素をあてて治療をする。元々痛みに鈍感なので、特に嫌がらず痛い思いをしないで済んだのは救われた。
2月には医者も誤診したのだが、帯状疱疹になった。小学1年生での帯状疱疹はまずないらしく、もらったステロイド薬を塗ったら余計酷くなった湿疹を再度診てもらうと、先生は顔面蒼白になり、「最悪の場合、入院になるかもしれません」と言った。
「先生、私、1週間後に出産なんですけど」と言うと、「お母さん妊娠されてるんですか?」と目を丸くした。私は身長が高い上にお腹が小さかったので、妊婦に見られなかったのだ。
3人目の出産後、1ヶ月間里帰りすると宣言していた私は、7歳の女の子に過度のプレッシャーや不安を与えていることに、全く気付いていなかった。
強がりな娘は親の前で泣いたり、甘えたりしないので、勝手に大丈夫だろうと過信していたのだ。
一年生が終わった後の春休み、先生から連絡がきた。「どうしても書写のノートが終わらなかったので、春休みに学童から教室に来てもらっても良いですか」とのことだった。
一年生にして補習なんて聞いたことがない。先生にお任せすることにした。どうも本人が納得出来るぐらいきれいに書けないと消すので、なかなか完成しないようだった。
娘は字がとてもきれいだった。みんなから書道習ってるの?と聞かれるぐらいで、その後の学校での習字でも、先生の手本より上手だと先生から言われるぐらいだった。多分模写の能力に長けているのだ。
結局、補習をしても書写のノートは完成出来ないまま、先生は転勤になった。
一年生の時に描いた絵が、某画材メーカーのサイトで最優秀賞になり、嬉しくて先生に電話をした。
先生はとても喜んで下さり、また、書写のノートの完成待たずに転勤になったことを、心残りにされていた。
4年生の時には、「廊下に立っていなさい!」と先生に言われたから廊下にいたら、隣のクラスの先生に「何してるの?」と聞かれ、「先生に『廊下に立っていなさい』と言われたので廊下にいます」とこたえると、「早く謝って中に入りなさい」とまた怒られた、と怒っていた。
「窓際のトットちゃん」を見ると、今でも当時の様々な思いが蘇ってくる。
あれで良かったのか、もっと違う選択ができたのではないか、そんな思いは時を追うごとに不思議と薄まっていき、事実だけがそこに留まっていく。
その娘も今年で20歳になる。大物になったかはまだわからない。けれど、先生の言った通り、みんなと違うことを心配する必要はまったくなかった。
むしろ、みんなと違うことや、個性が求められる進路に行くことができ、それは強みになった。
子どもを信じることは難しい。親業は迷い悩むことの連続だ。けれど、親が子どもを信じることだけは諦めてはいけないのだと思う。
遠く離れた娘と一緒に祝えるかわからないが、今年の誕生日にはとびきりのお酒で祝杯をあげよう。普段飲まない旦那もきっと一緒に飲んでくれるだろう。私たちの親業20年を称えながら。
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