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5!5!5!

上の子が5歳になりました。おめでとう!

ということは、親になって5年経ったということでもあります。年齢の数え方はふたつあって、”かぞえ”と”満”という捉え方があります。かぞえ、は何年目を生きているのか、満は、何年生きてきたのか。つまり、僕たち家族は、その子とともに5年間生きてきたことになります。いちにちも、誰も欠けたことがありません。

人がそろうと、いよいよ熱気を帯びてくるわけですが、その熱気とは裏腹に、 妻は疲れてきていました・・・一体あとどのくらいこの痛みと時間と戦わないといけないのか・・・。 「もう少しですよ!」・・・ホントに?いやいや、もっと時間かかるでしょ。そもそも初めてなんだし。 

と思いつつ、緊張の時を過ごしていたら、「頭が出ましたよー」と陽気な声。 さあ、あと1時間くらいか・・と思っていたら、あれよあれよと出てきて、 水の中で泣いたような産声が響きました・・・。ホントに?そんな早く? 信じられない光景と、疑いのない赤ちゃんの姿に、僕の心は掻き乱されました。
感動すると言われていたのに、一体なんという感情なのか理解できないまま、 赤ちゃんが差し出されました。 
かわいいとか、うれしいとか、そんな感情は生まれなくて、 ただそこに生きているということが、とてもとても強く心に迫ってきて、 その新しい命をこの世に出してくれた妻への感謝の気持ちと相まって、 知らず知らず泣いていました。これは、実際に経験しないとわからない雰囲気です。 
ようやく落ち着いたころ、赤ちゃんは体を拭かれ、身体計測をされ、指を数え、 服を着せられていました。生まれたばかりなのに、目をしっかり開けきょろきょろ。 すごいな、生きるって本当にすごいな・・と、そんな簡単な言葉しか思い浮かびませんでした。
結局、分娩室に入って約1時間で、僕の腕の中に赤ちゃんがいました。 
立ち合いが出来て本当に良かったと思います。 本当に多くの人が、ひとつの命を大事に扱ってくれることが分かったり、 痛みと戦う妻の姿を目の当たりにすることも、新しい命が本当に綺麗で輝いていることも、 人生でたった1回しか経験出来ないことなのだと、痛感する思いがしました。

子が生まれた日の日記を。別のSNSに投稿していたものを引用しました。何が何だか分からないままに、小さな小さな命が僕の手の中にいて、そして3人家族が始まりました。

子は、まだ1歳にならないとき、数日間高熱を出していました。5月の連休のさなかで初夏の陽気が続き、熱を出しているのに布団もかけられず、何度測っても全然下がらない体温が、とても心配な日々でした。保育園に通い始めて1週間程度だったと思いますが、それは僕たち家族にとって痛烈な洗礼となりました。その時の記憶は、今でも、これからも、僕たちの子育ての励みとなる大切な記憶です。

時代物の小説を読んでいると、こどもの命の儚さを例えた「7歳までは神の子」という表現を目にすることがあります。大きくなったと思っても、何があるか分からない・・それは、子育てにおいて避けて通れない不安だと思います。日齢、月齢、そして年齢と、命を重ねていくたびに人間らしくなり、大きくなっていく娘の姿はとても嬉しいものですが、果たして「強くなっている」のかというのを考えると、よく分かりません。

体力や筋力的な強さではなく「こころ」のこと。

保育園に着いても、手をぎゅっと掴んだまま離れないことがありました。何かあると、すぐに大きな声を出して泣くこともありました。一時期のことでしたが、それがなくなったから心が強くなったのか、それは分かりません。子とは、話し合いというほど真摯ではないにしても、言葉を交わすようにしています。何か折り合いをつけて、成長している風に見えているのだとしたら、これからも言葉に出して伝えていくことは大事だと思います。視点は変わりますが、娘と言葉の関わりについて書いた記事が、個人的に好きなので再掲します。

5歳になった家族で、色々とやりたいこともあるし、行きたい場所もあります。こんな時期ですが、5年間生きてきたことを素直に喜びながら、好きなことができる家族でありたいと思います。ここnoteにも、家族のことをまた書かせてください。

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