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ひとりの旅のお土産ばなし

これまでのひとり旅で集まったお土産ばなしを、ちょっと聞いてもらっても、いいですか。



引きが強いとき(広島・厳島神社)

僕は、おみくじが好きです。
旅行に行くと、その土地の神社にお参りして、おみくじを引いています。その旅がいいものになるように、そしてこれからも旅に出られるように。

広島に行ったとき、かの厳島神社に行きました。
路面電車に揺られて眺めた風景も新鮮で、島内で、もみじ饅頭の食べ比べもしました。潮の満ち引きで、鳥居の見え方が変わるのもとても幻想的で、ずっと行きたかった場所でした。

因みに、神社によっておみくじの傾向が違うと言われています。厄除け系の〇〇大師と呼ばれるような場所は「凶」が多いと聞いたことがあります。反対に、お賽銭をはずんでもらうために大吉が多いところもある、といったことも聞いたことがあります。よっ、商売上手!

…どちらの意見も、結局、人間の煩悩を垣間見るような見解であり、興味深いものです。

観光名所としても霊験あらたかな神社としても、昔から厳島神社はその存在感を示しています。否が応でも、おみくじへの期待感が高まります。

木の筒を振って、棒に書いてある番号と同じ番号のくじ紙を取って読む伝統的なおみくじ。番号は忘れてしまいましたが、とにかくワクワクしながら、引出しから紙を取り出しました。

さすが有名で、参拝客が多いだけあって、くじ紙は神社オリジナルのレイアウトのよう。さすが厳島…なんて思ったりして。

糊で留められた帯を丁寧にちぎり、折りたたまれたくじ紙をパタパタと開いて行きました。

吉と出るか、凶と出るか。そんなフレーズが頭に浮かびます。

何となく緊張感が楽しめるのも、おみくじの醍醐味。

いざ!…運勢らしき言葉を探して視線を飛ばしました。



「吉凶未明」

……え?


「 吉 凶 未 明 」

きっ、きっきょう、みめ、い?


「吉凶未明」

二度見どころか、三度見、四度見をしてしまいました。…まじか…普段は口にしない言葉がこぼれました。

おみくじって、引こうとしている人間が、そういう状態だから、初穂料収めて、大吉が出ますようにとかって、お祈りしたりなんかして、引くものでしょ!

困惑した声が心の中で響いていました。

何度見返しても、

「吉凶未明」

の4文字。

あとにも先にも、こんなに不安なおみくじには出会ったことがありません。
中身は、運勢が示す通りのことしか書かれていませんでした。もう読む気力もなかったように思います。

友達と一緒ならば、そこで笑いが起こって、楽しいひとときになったかもしれません。しかし静かなひとり旅、誰にも見えない心の中でのツッコミが止まりません。

神様は「良くもなるし、悪くもなる。分からん!」と言いたかったのかも知れません。分からん!と、潔ささえ感じるような言葉。僕のおみくじに対する過度な期待が、神様へのプレッシャーになっていたのでしょうか。

神様に感謝と謝罪を伝えながら、できるだけ高いところに結んで、厳島神社をあとにしました。

神様、今度はきちんと教えてくださいませ。



1泊2日で13杯(うどん県・香川県)

日本に「うどん県」という県があるのをご存知でしょうか。
市町村合併で新しくできたわけでもなく、テーマパークのエリアとしての名称でもなく、ネット上にできた仮想自治体でもありません。

讃岐うどんが名物の、うどん県こと香川県への旅でした。

”讃岐うどんって美味しいらしい”と聞いて、勇んで夜行バスでうどんを食べに行きました。まだ当時は近所に丸亀製麺もなく、僕は讃岐うどんを食べたことがありませんでした。

美味しいうどんを食べたくて香川県に行くなんて、味噌ラーメンを食べに北海道に行った、スネ夫みたい。スネ夫は飛行機、僕は夜行バスでしたが…。

とにかく美味しいうどんをたくさん食べよう!と意気込んで、1泊2日の旅で、食事は、ほぼうどん。たしか13杯くらい…食べました。僕は麺類が好きなので、全く飽きませんでした。

うどんの写真が、うどんうどん続きます。(言いたいだけ)

薄く透き通ったつゆと、コシの強い麺が本当に美味しかった。

当時は、店に入るたびに感動していました。ぶっかけの食べやすいこと。うどんにレモンもはじめての美味しさ。

ついつい、うどんの友だちである天ぷらや稲荷寿司を取りそうになるのですが、うどんを食べるという純粋な目的を胸に、ぐっと堪えることもありました。

肉味噌もとても美味しかった。写真だと、ミートソースみたい…肉味噌を英語にしたら、あながち遠くないですね。

教えてもらったお店で晩御飯。天もりひやおろし。また食べたい。

早起きして早朝うどん。5時半から開いている店に、6時過ぎに到着。薬味かけ放題のシステムも、とても驚きました。

釜玉。玉子はそれ自体に迫力はないけれど、見た目や舌触り、喉越し、そういう味覚以外にも訴えるのが上手い。

香川県庁舎。右のやつ、めっちゃかっこいい!と後で調べたら、丹下健三の作品でした。なるほど。

そんな県庁の近くの店で。ぶっかけは、たくさん食べられそう。朝うどん3杯目。

最後くらい、天ぷら付けとくかー、とちくわ天。

沢山の店に行きましたが、どの店も共通して美味しかった。タレの味も違うし、麺の太さも微妙に違う。

家からマイどんぶり持ってきて麺だけ買う人とか、自分で麺をお湯に浸して温める店も。名物と呼ばれる食文化があるところには、朝も食べられる店があるんだなぁと思いました。

うどん県の名に恥じない、うどん文化…堪能しました。



団子の作法(京都・下鴨神社)

京都も、何度も行きたくなるまちです。
季節ごとに、景色が変わり、食べるものが変わり、お菓子が変わります。とくに和菓子は、季節ならではの意匠も多く、同じ店でも春と秋では別の店のようなショーケースになることもあります。

京都の和菓子というと、何が思い浮かぶでしょうか。僕は、それまでずっと京都で食べたかったお菓子は、“みたらし団子”でした。つたない知識として、みたらし団子の起源は下鴨神社を流れる御手洗川(みたらしがわ)であったと記憶していたからでもあります。

その水を使って団子を作ったのかタレを作ったのかは分かりませんが、名物として流行し、全国的に広まったのではないか…と、勝手に考えています。書けば書くほど曖昧…。

下鴨神社のそばに“みたらし団子屋さん”があります。そのお店に行ったときのこと、広すぎない店内は、ほとんどの席が埋まっていました。家族やカップルがいる中で、3人の女子がにぎやかにしているテーブルがありました。

女子旅で京都、さらに和菓子なんて楽しいよね・・と心の中でつぶやきながら、ひとり旅の僕は、彼女たちの隣のテーブルに座りました。食べたかった団子に加えて、季節の和菓子と抹茶のセットを注文。

僕「いまのお菓子って、何がありますか」
店「ええと、アレと、ソレと、水無月です」
僕「あ、では、水無月をお願いします」

唯一知っていた「水無月」を指定し、店内に視線を巡らせました。ガイドブックによれば、串にささった団子の一番先に楊枝が刺さっており、木製の匙が添えられていました。

一体、どう食べるのだろうか、食べる作法はあるのか…と、先達を観察したいと思ったのです。

にぎやかな女子テーブルは、一般的な串団子の食べ方でした。串を持ち上げて団子を直接口に入れ、歯で串から外すようなイメージ。それだと、皿にタレが余ってしまうし、口角がタレで汚れているようでした。まぁ楽しそうでいいやね。

別のテーブルでは、匙をつかってタレをすくって口に運んでました。子どものころから、タレだけを舐めることが“みっともない”と言われてきた僕にとって、それも抵抗がありました。
それらを見ながら、団子は楊枝で食べ、タレを匙ですくうと決め、団子と対峙しました。

小ぶりな5つの団子は人間の五体を表しているのだとか…その頭にあたる最先端の団子に、楊枝が垂直に立って刺さっていました。なるほど。

団子を串から外すため、楊枝を団子に刺したままぐっと力を込めると、楊枝からミシリと軋んだ感覚が伝わってきました。あわてて作戦を変更し、楊枝を団子から抜き、少しずつ団子を押すようにしながら、串から外していきました。

ひとつ外れて、食べるか迷いましたが、何度も同じ動作を繰り返すのは面倒だったので、とりあえず串一本分の5個の団子を外し、匙でタレをすくったところに楊枝で団子を乗せ、口に運びました。

もはや味の記憶はありませんが、庶民的な団子が、こんなに品が良くなるの?と思ったことは印象に残っています。ほどなく、抹茶と水無月が運ばれてきて、にぎやかテーブルの視線を感じました。「…あれが、水無月、なのね…」と確認しているような視線を。

「いただきます」
店員さんにお礼を言って、水無月をひとくち。…うっまーい。
声に出さないように唸りました。冷たさに加えて、小豆の食感が残り、抹茶とよく合う甘さ。やっぱり美味しいよなぁ水無月って。

ふたたび団子に戻り、コツコツと串から外し、タレを絡めて食べる、たまに水無月、を繰り返しながら、テーブルの上にあったお菓子がお腹に収まりました。

美味しかったなぁ。

不意に、周囲から物音がしなくなりました。正確には、にぎやかなはずの隣のテーブルから音がしないのです。女子会は続いてるんです。みんな座っているのに音がしないのです。

…それは、コソコソと小さな声で話しているような、黙々とお菓子を食べているような雰囲気。なぜか、そっちを見ちゃいけない感じがして、そそくさと席を立ち、会計をして帰りました。水無月が美味しかったと伝えて。

店を出てから、考えました。謎の静寂について。
自分で言うのも何ですが、僕の食べ方が「堂に入っていた」つまり「丁寧で上品に見えた」のかも知れないなと思ったのです。

僕も、はじめての団子に緊張していましたが、にぎやかテーブルの女子たちとは違う食べ方をしました。そして、季節のお菓子を尋ねるのも、受け取る時にいただきますと言ったのも、彼女たちには驚きだったのかも知れません。

もちろん、僕の中でも、かなり背伸びしていたところもあります…。

「旅の恥はかき捨て」と言う諺のように、多少の恥は良い経験。

隣に座っていた彼女たちは、自分たちの振る舞いが「恥」であったことを自覚させられ、3人もいるのに、ひとりも思いつかなかった団子の食べ方に愕然としたのかも知れないと気がつきました。…なんだか、すみません。

下鴨神社の御手洗川の水に流して、良い旅が続けられていることを、過去に向かってお祈りしています。



ぶどう農家から、ひとこと(山梨県・勝沼)

山梨に行ったのは、18切符を握りしめて向かった、ひとりぶどう狩りでした。

ぶどう狩りって、ふつう1人じゃ、やらないよね?と、色々な方に言われましたが、僕は気がついていませんでした。

ある年の秋、いよいよ有効期限が切れてしまう18切符を握りしめて、自宅の最寄駅で旅先を物色していました。

18切符とは、JRが発行している、普通電車1日乗り放題の切符。有効期限があるけれど、5枚綴りで、格安旅行にうってつけの切符。(雑な説明)

9月半ば、「ぶどう狩り」の文字が目に飛び込んできました。山梨なら日帰りもできるし、ぶどうが美味しいはず。人生で「ぶどう狩り」したことなかったし、いいね、いいね。

と自分を鼓舞しながらチラシを見ると、農園によって、作られている品種の数が違ったり、狩り可能時間が違っていました。はじめての僕は、時間無制限の10品目以上栽培しているぶどう農園さんに。

さっそく電話して、駅でチラシを見たことと日にちを伝えると、こう聞かれたのです。

「何名様ですか?」

ためらいもせず「わたしだけです、ひとりです。」と答えると、電話の奥でハッとしたような吐息が漏れていました。あれ、なんか悪いこと言ったかな。

「えっ……わかりました」

当日、平日だったので仕事を休んで、仕事のときよりも早く家を出ました。目的地は山梨ですし、18切符は普通電車しか乗れません。時間がかかると踏んでいました。

しかし、思ったよりも時間がかからずに、勝沼ぶどう郷駅に到着しました。天候も良く、絶好のぶどう狩り日和。駅に着いたら迎えに行くから、連絡してね、と言っていたのを思い出して、電話をして駅に着いたことを報告しました。

「えっ……わかりました」

あれ?また何か悪いこと言ったかな……どうしたんだろう、でも迎えには来てくれるみたいなので、待っていました。しばらくして、軽トラがやってきて日焼けしたおじさんが登場。

「おはようございますー。今日はありがとうございます。…早いですね。」

時刻は朝の9時。確かに、早めの到着でした。初めてのぶどう狩りへの期待の大きさに行動は早めになり、時間無制限だし、何なら朝ごはんを減らしていたので空腹気味でした。

「だいたい、午後からくるお客さんが多いですよ。でもね、朝の早い時間帯にこの辺は冷えるから、その温度で食べるぶどうのほうが美味しいんです。洗うと水っぽくなっちゃうから、洗わなくて大丈夫。」

なんだかすみません…朝早くから、たった一人で来てしまって…。

ぶどう農園さんは、持ち込みOKだったので、休日には家族連れがピクニックに来るのだとか。ぶどうも食べながら、お弁当も…それは楽しそう。

「ひと房食べてから、次の房を食べてくださいね。」

さらりと決まりを告げると、おじさんは作業のためにどこかに行ってしまいました。広大なぶどう畑の中で、複数の種類を食べたかったので、たくさんのぶどうから、美味しそうだけれど、大きくないものを探しました。

味の軽い品種から、濃い品種に行くのが食べやすいとの情報を得ていたので、そんなつもりで選んだ房を収穫。一口食べてみると、ぶどうの甘さが広がって、とても美味しかった。確かに、少し冷たくて、渋みが抑えられていました。

おいしい、おいしい。と食べていたら、あっという間に無くなって、さらにひと房…。ひとりなので時間を取られることも取ることもなく、黙々とぶどうを食べ続けました。

お腹一杯になったので、お土産を買おうと思って、おじさんを探して、声をかけました。おじさんは、嬉しそうに「美味しかったですか?何を食べましたか?」と聞いてくれたので、美味しかったことを伝え、その時に食べた3種類の品目を答えました。

「えっ……そんなに」

どうやら、ひとりで3品目って多いようなのです。確かに、スーパーで売られている巨峰などの房を、3房食べたって言われたら驚きます。でも、味も変わるし、なにより好きだし、ひとりで集中していたし……たぶん1時間もかからずに食べてしまったはずです。

「お客さんは、ほんとうにぶどうがお好きなんですね」

ぶどう農家さんに、そんなことを言っていただけると思わず、とても嬉しくなりました。人生初のぶどう狩りは、農家さんに何度も驚かれつつ、楽しい思い出となりました。

そのあと、駅のそばの近代化産業遺産のトンネルに入ったり、近所のワイナリーを見たり、甲府まで出てほうとうを食べて、太宰治も来たという銭湯に入って帰宅しました。午後のほうが長いのに、この数行で終わる旅よ…。

ぶどう狩りは、朝から。農家さん直伝の攻略法です。

あ、もちろん複数人で、お願いします。



都内の、島へ(八丈島)

以前、引越し屋で働いていたとき、東京都職員の方から見積りのお願いがありました。異動の時期ですからねーと伺っていると「引越し先は、八丈町なんです」と。

はち、じょう、まち?

東京にも町ってあるんだ…と、ぼんやりしていたのですが、地名もどこかで聞いたことがありました。もしや、島。

八丈島はれっきとした東京都。公務員も異動する、東京都内なのでした。調べてみると、飛行機で1時間ほどで行くことができる距離でしたが、まさか家財道具は飛行機では運べない(厳密には運べるけど、運ぶものを買ったほうが圧倒的に安いくらい運搬費用がかかる)ので、船便での引っ越しのプランを立てた覚えがあります。

そんな思い出の八丈島に遊びに行ったときのこと。

季節は春、早朝の飛行機で島へ飛びました。

八丈島は2つの山があり、ひとつは八丈富士と呼ばれていて、街の交差点には「富士登山口」という名前がついていました。僕はレンタカーで島を回っていましたが、すべての車が"品川"ナンバーでした。

品川ナンバー、ナンバープレート界では抜群の人気を誇ると聞いておりましたが、八丈島には品川ナンバーの軽トラがブイブイ言わせているのを散見しました。島には運転教習場もあるようでしたが、宿の人いわく試験は「本土」なのだそうです。

同じ東京都とはいえ、本土と呼ぶのは島らしいなぁとほっこりしました。

宿のお父さんは写真が趣味らしく、八丈島から富士山を撮影したいと頑張っておられました(実際には、僕が行く前にそれは達成されていたようです)。宿のお母さんは、とても明るくて、毎食「くさや」を出してくれました。

くさや、は島の名物で、一般的にはとてもキツイ匂いと言われるのですが、僕は言われるまで気が付きませんでした。鼻はいいほうだと勝手に思っていましたが…意外と鈍感なのかも。

唐突ですが、僕は、旅先でのお風呂がとても好きなのです。日帰りでも何とかして入りたいと思うほどに。

火山系の島で、島内にはいくつも温泉の町営銭湯がありました。夕日が落ちるのを見ながら入る露天風呂は最高でした。たった一泊二日の旅でしたが、人や食べ物に恵まれた時間は、島ならではの狭さからくる体験の濃さのように思います。

最後に、その年の開催が中止になってしまったフリージアまつりの会場に行きました。

会場といっても畑でしたが、まさに花畑そのものでした。観光客がいない中で歩いていると、畑の方がとっても喜んでくださり、「枯れるだけだから、どんどんいいわよ!」とハサミを渡してくれました。

蕾の多い花を選び、土に近いところを切って。何色もあるから、夢中で抱えていたら、そんな様子をまた喜んでくれて、知らぬ間に別の畑の花も切ってくれて。

結局、両手で抱えるほどのフリージアの花束が出来上がり、飛行機で運ぶために新聞紙で完全に包まれました。リュックよりも大きな新聞包を抱えながら、空港へ。

その日は朝から天気が悪く、島は雲に包まれることがあり、3便あるうち朝と昼の便は島の空港に着陸することができず、欠航していました。夕方便は運よく着陸出来て、無事に帰れました。

実はこの旅をしたのは、東日本大震災が起きてから1ヶ月たったくらいの時期でした。自粛ムードの高まりもあり、フリージアまつりが中止になっていたのです。島のあちこちで観光客はとても珍しがられました。

「また来てね!」と皆さんから声をかけられたのを思い出しました。



どこかにマイル、ひとりで参る(秋田・乳頭温泉)

…やっぱり、何か変だ。

このロッジで覚える違和感は、時を追うごとに確信に変わっていきました。

独特の訛りで標準語を話す従業員さんは、親切でにこやかだし、部屋はキレイに掃除されているし、ご飯もとても美味しかったし、お風呂も最高の温泉でした。

それなのに、なぜか感じる、この違和感。


ある年の2月、僕はひとり旅をしました。1年に1回くらいはひとり旅への背中を押してくれる(許してくれる、とも言う)家族のおかげで、ずっと試したかった「どこかにマイル」。

JALのマイルを使ったサービスの1つで、旅行先が直前に決まるというものでした。日程や出発地などの条件を指定すると、4つの都市が提示されて、申込んで数日、通知が来ました。

候補は、高松、秋田、広島、富山だったと思いますが、メールには「秋田」の文字が。雪深い季節、ドライブがてらの移動はできそうにありませんでした。

慌てて「るるぶ」を買い、パラパラと眺めていると、秘湯と名高い温泉地を発見したのです。その名も、乳頭温泉郷。

空港から新幹線に乗り1時間、そこからバスでさらに山の中に1時間。真っ白な景色と、ありえない高さに積もった雪が、秘湯感を昂ぶらせました。

最奥の湯、蟹場温泉(がにば、と発音)につくと、お風呂は4時までとのことで、離れの浴場には間に合わない時間でした。取り急ぎ、入れるところに走り込んで、乳白色のお湯に浸かりました。

思いつきだけど、こんなに奥まで来られて、温泉に浸かれてよかったー。外は2月の酷寒の雪、温泉はとてもあたたかく、予想以上に乳白色が濃くて、束の間の秘湯を楽しみました。

事前に予約していた宿は、温泉郷から戻った場所にありました。宿は、広いロッジのような建物。しっかりと掃除されたロビーや部屋は居心地がよく、お腹が空いていたのですぐに夕食にしました。

一人用の鍋には、肉が盛られ、ツヤツヤのご飯も美味しかった。銀河高原ビールが気になったけれど、ひとりで赤くなるのもつまらないので、ジンジャーエールで喉を潤しました。

部屋で少しのんびりしてから、本日2度目の温泉へ。大浴場もきれいで、貸し切り状態でした。湯船に浸かり、ぼんやりしていると、ある思いが湧いてきたのです。

ほかのお客さん、ぜんぜん姿が見えないな。

大規模とは言えない、3階建てのロッジ風の宿で、動線だって多くはないし、夜遅くにチェックインしたわけでもないのに。

周囲にはいくつも同じような宿が立ち並ぶエリアで、隣の宿の灯りだって見えました。

きっと、たまたまだよね。僕みたいな、ひとり旅の人が部屋にいるんだろう。

そう考えて自分の部屋に戻ると、いよいよ物音がしなくなりました。日付が変わる頃、ロビーからは明かりが消え、足音も物音もしない夜。

ひとり旅は、寂しくなるときがありますが、それは周りに人を感じるときなのかもしれません。その夜のシンとした静けさは、人や命の気配すら感じられず、途端に恐怖のような、言いようのない不安が立ち込めてきました。

僕は、その夜、宿のたったひとりのお客さんだったのです。

確かに、レストランのサーブのタイミングが独特でしたし、温泉に入っても誰も使った形跡がありませんでした。

そして思い出した景色に、じわじわと感激がやってきました。

ロッジの入口や中庭に光っていたイルミネーションも、たったひとりの僕のために点けてくれていたのです。

怖さから、嬉しさに変わる、気配のない世界。

翌朝、僕はゆっくりと温泉に浸かりながら、この宿を選んで良かったなと思いました。



モニュメントの名前(名古屋)

僕が生まれて初めて、ほんとうにひとりで出かけた旅行。
確か中学2年生で、目的地は名古屋でした。

これと言ってトラブルやハプニングもなかったように思い出します。考えてみたら、そりゃお金もあんまり持ってないし、携帯もない、基本的には事前に計画した場所を観光して、ホテルに泊まって帰ってくるだけ。

当時、中学生がひとりでホテルに泊まることって、黙認されていたのでしょうか。それとも、僕が大人びていて(老けているとも言う)、わからなかったのかなとも思うのです。

新幹線に乗って、名古屋で降りて、地下鉄やバスに乗って移動しました。うっすら覚えていたのは、東山タワーに登り、東山動物園でイケメンなんて言葉がない頃のゴリラを観て、熱田神宮でお守りを買ったこと。

大人料金で電車に乗っていても、まだまだ子どもだったので、喫茶店やカフェなんて一人で入れないから、マックでランチして、夕食はコンビニで買って、ホテルの部屋で食べました。

思えば僕は、賑やかなお店でひとりになってしまう食事の時間が寂しくて、ホテルの部屋で食べたり、ランチを抜いたりしがちです。

はじめてのひとり旅で、すでに片鱗があったのですね。

窓から見えるのは、知らない街の雑踏でした。その景色の中に、銀色の富士山のようなモニュメントがありました。駅のすぐ近くに泊まっていたのです。

夜、もう寝ようかとベットに横になると、突然部屋の電話が鳴りました。何事かと思って飛び起きて受話器を取ると、「お電話が入っております」と丁寧なフロントスタッフの声が。

「大丈夫?ホテルに着いたの?ちゃんと電話してよ」

はじめてのひとり旅、不安だったのは、母親も一緒でした。

「大丈夫だよ、今日は動物園に行ったよ」

およそ14歳とは思えない会話をして、僕もふっと力が抜けました。

はじめてのひとり旅は、家でもなく学校でもない、僕自身を頼ることの心細さを知りました。

親戚に会うわけでもなく、何か目的があったわけでもないけれど、名古屋に行ったこと。はじめてのひとり旅から帰った家が妙に心地良かったことを思い出します。

今はもうない駅前のモニュメントは「飛翔」という名前でした。



ひとり旅は、何が起きてもお土産話になります。
僕は「ただいま」が言いたくて、旅に出ているのかもしれません。


おわり


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