拝啓、四十の僕へ #呑みながら書きました
あぁ、呑み書きの期間が終わってしまう・・今夜は書けるか・・なんて何度か寝落ちを繰り返して、ようやく日曜のようるに書けそうなことになった。
しかし、日曜夜ということで、ちょっと不安なのでノンアルコールで行きたい。そうなると、呂律が結構明瞭になることもあって、誤字脱字、変換ミスrにもrもrも(諸々)起こらないかも知れない。・・早速起こってるけど。
6月は、僕の誕生日がある月だ。投稿にも書いたけれども、40歳という年齢になった。40歳が書く文章にしては、軽い感じがするのは、僕が単にこういう文体で書き続けているからだと思う。
もっと書くのが上手くなりたい、とよく思う。誰かの投稿を読んだ時に思tたり、スキの数を比べてみて思ったり、何より自分が書いたものを読み直してみて、驚くこともある。それなのに、直らないというか進化しdない。毎日書いていれば上手くなるとか、質より量とかっていうkれど、果たしてそうか。
そこに気持ちが備わっていなければ、見つかるものも見逃すし、変えるべきことを変えられず、結果として同じものをただ続けているだけのようにも感じている。
毎日、ちょっとでも上手くなろうという気概がないのだと思う。目標がないのか、それとも諦めが早いのか・・わからないkれど、読み直してみたら変なの・・ということがよくある。
僕の投稿は、コメントの数が多くはないと思う。それは、決して読んだくださる方が少ないのではなく、コメントし辛いのだと思う。かといって、文末に「みなさんはどうですか」などと書くと、まずます白々しくなってコメントは寄せられない。これは純粋に、僕の文章がよくない、と言いたいのだ。決して、コメントしてないからと読み手を責める意図は毛頭ない。
かつて、コメントのことについて考えていたことを書いた事があったけれど、やはりコメントが着くことはとても嬉しい。共感なら尚更、新しい視点を与えてくれるようなものもとても嬉しい。幸いにして、これまで批判的なものを頂くことはなかった。
コメントの返信も僅かの時間に考えて書いていることもあって、あれでよかったかな・・と、よく考えてしまう。もっといい答えがあったのではないか、などと考えてしまう。実際には、もっといい答えがあるし、そもそもコメントの趣旨を読み間違えていることもあるかもしれない。
読み返した時に「変なの・・」って気がつくのに、そのあとに直してみようと思わないから、きっとまた同じ繰り返しをしている。変なのの原因を探ったり、修正することで読みやすくなったり、ほんとうは楽しく読めるような文章になって欲しいのに。
どうも僕の投稿は、話の展開がスムーズじゃないことが多いように感じる。実際に思いつきで書いていたり、休み休み書いている投稿などは前後関係が歪になっていることが多い。そりゃ読みづらいよね。
書いて、読み直して、変なところは原因を探って、修正してから投稿する・・この時間的余裕がなくて、書いて、投稿する、修正する、みたいな順序になっている気がする。というか、なっている。
毎日更新しなくていいじゃん、と思う。もはや、毎日更新が僕の生きる道のように思えているから、じゃあ辞めますって言えないのだけど、読んでくれている方がいるなら、もっとちゃんとやらなきゃ駄目だろ、とも思う。
毎日更新ってだけじゃないけれど、こうして長いこと自分勝手に書いてきたことは、果たして何か成したのかなと心配になる。もちろん、ここで出会ってやりとりをさせていただくようになった関係性はありがたいものだし、妻の仕事に関しても興味を持ってくださる方がいて、助かっている。
40歳の誕生日は、四十肩と迎えた。しかし、瀬じゅつしてもらって、原因がわかったり、痛みの場所を知ったら、どんどん回復した。週に2回来たほうがいいと言っていた背術師さんも、週1書いでいいです、なんて言ってくれたり。妻は、そのことを聞いて「やっぱり真面目だねぇ」と、嬉しそうに言っていた。
このまま書いていて、何かになるのだろうか。エッセイは、自分や家族の記録だなんだと思っているけれど、それも読み手の存在を忘れたら日記になってしまう気もする。でも、読んでくれた方が、何か思ってkくれたらそれでいいかなとも思う。
例えば、仕事依頼の記事も書いてみたい。それはでも、公務員は兼職禁止でしょーみたいなことを言われていて、実際に禁止されているけれど、報酬をもらっていいこともある。それが、執筆とか講師としての活動ならOKらしい。先駆けて活動されている公務員と名乗っている方の仕事以来の記事を読みに行こうと、今更気がついた。
でも、そんな記事書いても誰も依頼せんだろ、というのもある、自信はやっぱりないのだ。それでいて、お小遣い稼ぎとか、副業とか、なんなら公務員卒業後の進路みたいなイメージはあって。いやー烏滸がましい。
自分の文章が誰かに読んでrもらている、それはnoteでも感じられるけど、使った時間をお金にしたら、その感覚というか感触はどんなものになるのだろうか。お金がもらえないからこそ、伸び伸びと書けているのだろうか。謎だ。
兎にも角にも、もっと書く、読み直す、考える、修正する、を意識的にやっていこうと。そうして来年の今頃(遠いか)には、別の悩みで悩んでいるように願いつつ、今回の呑み書きは筆を置くことにする。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
今夜の呑み書きのお供は、午後の紅茶「まろやか白桃ミルクティー」でした。よっ甘々。今度は、酔って書きたい。
いつもありがとうございます。今回で、12回目だそうで。ダース。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました! サポートは、僕だけでなく家族で喜びます!