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かみしばいの思い出

先週末、妻のイベント出店の立ち会いへ。秋に戻ったかのような気候で助かりました。僕は、基本的には子どもたちとの時間を過ごしました。

仕事という場で、子どもが休みの日の感覚でいること(当たり前なのですが)への焦りというか、対応の難しさは、実際に経験しないと分からないよなぁと思って見ていました。とはいえ、そんなに肩肘張った商売でもなくて、まだまだ歩き出したところではあるのですが。

家にいたら、近くの公園や、撮り溜めている録画などがありますが(我が家にはDVDプレーヤーがありません)、普段来たことのない場所でどれだけの時間が過ごせるか、これは結構子どもたちにとっても死活問題(笑)。場合によっては、お金だってかかります。

そんななかで、武蔵境駅前には武蔵野プレイスという施設があり、その中にある図書館に助けられました。嬉しくて、記事も書きました(笑)

子は紙芝居が好きで、何度も読むことに。

昔話から始まって、なぜか、アルプスの少女ハイジの「後編」だけを読み続けたり、「はだしのゲン」、「かわいそうなぞう」などの戦争ものも。

ゲンは、あの漫画のタッチで、要約版という感じでした。原爆投下の手前で「つづく」と物語が終わりましたが、読んでいる時間の重苦しさは久しぶりの感覚でした。

かわいそうなぞう、を読んでいたら「日本は40年前に戦争をしていました」とあり、出版年は1986年でした。紙芝居に限らず書籍は長持ちしますね。僕が生まれた頃からしたら、あの戦争が40年前だったというのもまた、何か怖いような気持ちがするのでした。

紙芝居、ふつうの絵本のように読むことができました。むしろ絵本よりも読みやすくて。

なんでかなー、と考えていたら、小さな弟のために図書館から紙芝居や本を借りてきては、読みきかせていた子どもの頃の思い出が蘇ってきました。さらに、小学校の図書委員の活動で紙芝居の読み聞かせをしていたのも思い出して、ふつうの人より紙芝居読んでるなぁと思ったのです。

また、近所の公園に紙芝居屋さんが来たのも思い出しました。今ではとても貴重な体験となりましたが、水飴は結局食べられないまま、会えなくなってしまったなぁと思い出しました。

ときには子が紙芝居を読むことがあって、もう字が読めるようになってるなぁと、あやうく泣きそうに。

言葉が、音から、記号に変化し、その行列で音の記憶とつながって、さらに新しい言葉を覚えて。考えてみると大人になっても同じように言葉を知るはずですが、こどもの頃は、何かを発見したようなとても嬉しい出来事だったように記憶しています。

普段使わない言葉で、動かない絵だからこそ、紙芝居の楽しさが広がるのかもしれません。

ゲンも、クララも、鬼もおじいさんも、全て僕の声。なんだか恥ずかしいけれど、絵に集中している子どもたちの顔がとても印象的でした。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました! サポートは、子どもたちのおやつ代に充てます。 これまでの記録などhttps://note.com/monbon/n/nfb1fb73686fd