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行ってきます、を抱きしめたい

ひとつひとつ、戦っているのかも知れない。

上の子は、この春から小学生になった。そして、さきの流行り病による数日間のお休みから明け、親が見送りに行けない(親の発症が子よりも遅かったため)日程での通学が始まった。幸いなことに、集団登校となっていて近所の子たちと一緒に向かえる。

しかし、である。

学校に向かう足取りは、重い。朝、晴々しく出かけているふうではないのだ。

こう書くと、眉をひそめられてしまうが、僕は小学校は1日しか休まなかった。だから、すでに数日休んでしまった子の気持ちが、なかなか推し量ることが難しいのだけれど、子は相当なストレスだと思う。

初めての小学校で、いきなり数日休んでしまったら、給食の作法も、授業の作法も、ほかの子はすでに経験したことを、ひとつ遅れて経験しているような、そんなタイミングになるだろう。

緊張と恥ずかしさと、足がすくんでしまうのも分かる気がする。僕も、緊張すると逃げたくなる質だから、それが恐怖だと勘違いしたがる気持ちは、子どもらしい発想でもあると思う。怖いのは、いやだ。

荷物が多くもなるから、余計に不安そうだ。重いというのもあるけれど、「本当に、持っていっていいの?」と確認したがる。教室に入って然るべき場所に収められれば、特にほかの子との違いはなさそうだけれど。


そんな中で、復帰初日に帰宅してから、ひとつの光のようなものが見えた。

「給食、美味しかったよ。明日の献立は何て書いてある?」

小学校の給食は、ご飯食になっている。年取ったあるある「俺の頃はな・・」と、つい言いたくなってしまうのだけれど、僕は、ほとんどパンだったので、ご飯食が羨ましい。絶対美味しいじゃないか。

僕はあまりパンが好きではないのは、きっと給食で有無を言わさずパンだったのもあるだろう。美味しいとか美味しくないとかではなくて「給食のパン」であった。「揚げパン、懐かしい!」とか、特に感慨深いものはなくて。でも、作ってくれて、とてもありがたいし、総じて美味しい給食だった(お代わりする側の筆頭でもあった)。

そうそう、子の話である。

明日の献立を楽しみにする、これは学校という日常を生きる上ではとても力になることかも知れない。僕は、小学校で楽しいのは給食だ、と言って笑われた経験があるから、子の言葉にとても希望を感じたし、共感した。

自粛期間のズレによって、在宅する親が小学校へ登下校する子を見られる状況にあった。これは、きっともう経験できないことかも知れない。

たった数日だけれど子の葛藤が見られて、心苦しさを感じつつも、その姿を想像できずに、軽々しく「行ってらっしゃい!」なんて言わずに済んだ。

子どもにとって、小学校も家も、好きな場所になってほしい。


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