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30/11/23

そういえば日が変わり12月になっている。
スキップしているかのようなペースで時が流れる。

とある青少年の凶悪犯罪についての本を読んだ。その本は、被疑者の少年たち、そしてその家族のバックグラウンドを丁寧に記述し、なぜその事件を起こすに至ったかを解き明かそうとする内容だった。その理由の根幹にある、凶悪事件を犯す人間に共通する「精神病質」について、先天的なものから後天的な原因まで、丁寧に記述してあった。
強調されていたのは、精神分析学が発達してきた20世紀後期において、「精神病質」的だとされていた心の特徴の多くを、現代の若者が抱えているということ。あくまでこの事件を犯した者たちを異常と片付けるのではなく、それを生み出してしまっている時代に責任があり、その時代自体がー作者自身もそうであるところの「戦後に生まれた大人たち」によって作られてしまったとし、強い危機感を抱いている内容だった。

ふと、子供なんて育てられるのだろうか、という気持ちになった。本の中に書かれていた被疑者たちの母親に、沢山自分の姿を見てしまった気がした。それは当時ニュースを見ていた同じ年の子供を抱える母親達もそうだっただろうし、共感してしまうからこそ被疑者自身に「異常性」を見出して安心したかったんだろう。それはいつの時代だって同じだろうが。

感情的に怒るのではなく教えるために叱ること
自分の頭で決めつけずにまずは相手の話を聞くこと
そして信じてあげること
心を通わせて精神的な繋がりを築いていくこと
無条件に愛してあげること

それらの大切さを読んでいて感じたのだが、私自身が今、それらを人に対して出来ているのだろうか。
一才出来ていないとは思わないし、満足している人がいるとも思えない。

おそろしい気持ちが顔を出すが、私の現実には今、淡々とそれら大切に思えることを積み重ねていく日々がある。そうさせてくれる大切な人たちがいることに感謝が湧いてきて、前向きに頑張ろうと思える。
悲しみは湿っていて、かび臭い気がする。 
太陽はカラッとしていて、いいにおいがする。
どこを進めばいいのかは知らないけど、心の中にある、「あたたかな泉」の存在はもう十分に感じてきたから、それが溢れる方へと、進んでいきたいと思った。

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