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悲しみの声や涙で育つ、沖縄の涙(なだ)の木、うむまあぎー

  敬愛する沖縄の詩人、山之口獏の詩にうむまあ木という不思議な木が出てきます。
 
(略)
 さうかとおもふと琉球には
 うむまあ木といふ木がある
 木としての器量はよくないが詩人みたいな木なんだ
 いつも墓場に立つてゐて
 そこに來ては泣きくづれる
 かなしい聲や涙で育つといふ
 うむまあ木といふ風變りな木もある
        (山之口獏詩集「世はさまざま」より)

 この詩に接したのは中学生の時ですが、以来、私はこの木のことがずっと気になっていました。「かなしい聲や涙でそだつ」なんていったいどんな木なんだろう、と単純な疑問を抱いていました。

 ところが、いろんな人にこの木について尋ねてみたのですが、誰も知りませんでした。わずかに知っている人がいても、それは私と同じように山之口獏の詩を経由してのことでした。ある人は、
 「うむまあ木というのは実は山之口獏の創作であって、実際はそんな木など存在していないんじゃないかな」
 とさえ言うのでした。それから、実在するとしたら、
 「よくお墓なんかに植えられている木といえば、クヮ—ディーサーという木のことじゃないかな。日陰用の木として、海洋博公園とかあちこちにたくさん植えられているよ」
 「クヮ—ディーサーですか…」
 「そう、コバテイシともいうけどね。少なくとも沖縄本島南部ではうむまあ木という木は誰も知らない。北部はどうかわからないけど」
 ということでした。

 「無いものをあるみたいにして、詩人がそんな嘘ついていいんですか?」
 当時、純粋でまっすぐな心の持ち主であった私(^^;)が怒ったように尋ねると、
 「詩人はみんな嘘をつくものだよ。想像力が飯のタネだからね」
 と、あっさり言われてしまいました。
 私はがっかりしました。すばらしい詩だと思って感動して、真剣にどうしてうむまあ木と名づけられたのだろうとか、どうしてかなしみの聲や涙でそだつようになったんだろうとか考えていたのに、屋根に上ったらすぐに梯子を外されたような気がしたものでした。

 それ以来、うむまあ木のことからは離れてしまい、再び巡り合ったのは成人して、沖縄平和祈念公園をチャリティライブの件で訪れた時のことでした。売れないシンガーソングライターとなっていた私は、戦争の記憶を歌で伝える場を求めて交渉にやってきていたのでした。
 当時の担当者の方は公園の説明をていねいにレクチャーしてくれました。公園内には平和の礎(いしじ)といって戦没者の名前を刻み込んだ石碑が188基もあるのですが、それに沿うようにして植え込まれている街路樹の話になり、そのときクヮ—ディーサーという言葉が耳に飛び込んできたのです。クヮ—ディーサー、あのうむまあ木かもしれない木の名前です。

 「クヮ—ディーサーって、平和の礎のところにずらっと植えられている樹のことですか?もしかして、うむまあ木とも言いませんか?」
 私は思わず気負いこんで言いました。
 「いや、クヮ—ディーサーですよ。正式にはモモタマナと言いますね」
 担当者の方は、やはりうむまあ木のことはご存じありませんでしたが、うむまあ木のモデルとなったと思われるクワ—ディーサーは公園内に植えられていたのでした。
 不覚にもまったくそのことを知らなかった私は、確かめるべく外へ出て行きました。すると、それまで見ていたにも関わらず、気にも留めていなかった光景が目に飛び込んできました。そこには、真っ赤に紅葉した木が園内に、そして平和の礎に沿うようにして何百本も枝を伸ばしていたのです。

 うむまあ木だ、私はそう直感しました。うむまあ木が紅葉するとはだれも言っていません。しかし、涙でそだつ、と獏はヒントを書いています。涙で育つのなら、塩分で葉は赤く染まるはずです、クヮ—ディーサーはまさに紅葉する木だったのです。やはり山之口獏は嘘などついていない、うむまあ木は実在していました。
 「涙の木、うむまあ木か…」
 と、私は一人感動に震えていました。

 それから年月が経過した現在、ネットや図書館で調べたところ、うむまあ木は和名をモモタマナ、沖縄名をコバテイシ、クヮディーサーまたはウムヤーギー、ンマーギー等というそうです。ウムマア、ウムヤー、ンマー、というのは『思う人』、『片思い』と訳していいかと思います。『うむまあ木』というのは、『思い人の木』、『片思い人の木』という意味ではないかと思われます。

 8世紀半ばに編纂された歴史書『球陽』には『枯葉手樹』という記述が見られます。これはコバテイシの関連語なのでしょう。また今帰仁村今泊には樹齢三百から四百年とされるコバテイシがあり、県の天然記念物に指定されています。

 単純に年代的に考えると、8世紀半ばに記述が見られた『コバテイシ』というのがもともとの一般的な呼び名で、20世紀に入って山之口獏の詩に登場した『うむまあ木』というのは後からつけられた名称だという気がするのですが、どうでしょうか。

 ウムマア木関連語に関しては、やはり山之口獏の詩が唯一の拠り所となっているようです。言葉をかえて言えば、『うむまあ木』はあやうく失われるところを山之口獏の詩によって、かろうじて世間に繋ぎ止められたのです。

 しかしなぜクヮ—ディーサー、コバテイシがうむまあ木と呼ばれたのか?そしてなぜ「かなしみの聲や涙でそだつ」と言われたのか、ということについてはいろんな資料や人を当たりましたが、何もわかりませんでした。

 個人的な意見ですが、こうは考えられないでしょうか。
 かつて島の人たちは、常に台風や干ばつなどの自然災害や税の取り立てに苦しめられ、貧しさにあえいできました。その苦しみを乗り越える方法として、彼らは半落葉樹のコバテイシに悲しみの声や涙を受け取る役割を託し、うむまあ木と名づけたのではないか、と。
 あるいは冷徹に考えれば、権力者が島の人たちの生き血をどこまでも搾り取るために考え出した、方策だったのかもしれません。つまり、うむまあ木という悲しみを肩代わりしてくれる木をでっちあげて島人たちの気持ちをそらす、という具合にです。

しかしこの場合、うむまあ木、思い人の木、という名前を思いつくことはないような気がします。やはり島の人たちの心の叫びから生まれた『作品』であるように思えるのです。

 人のかなしみの聲や涙で育つ、といういかにもロマンチックな考えですが、いま流行りの量子力学によると決してありえない話ではないように思えます。量子もつれか何かで人の気持ちと木を構成している粒子が反応しあって…そのへんのところは話すとボロが出るので以下省略いたします(汗)。

 いずれにせよ、うむまあ木。追い詰められたとき、あるいはドン底に陥ったとき、何もないところに意味を作り出し、自らの救いとする。私たちが失った本物の沖縄文化のギリギリの生命力をつくづく思い知らされるのです。