大人になんか、なりたくなかった
強すぎる日差しと、うだるような暑さが
雨雲に覆われている珍しい日。
こんな日は、身体と心の調子がすこぶる悪くなってしまう。
noteでは、何度も書いているけど、私はあと半年足らずで、鹿児島を出て社会人になる。
そして、今月から毎月約1週間、内定先のインターンに行って、先輩の商談や地鎮祭について行く予定だ。
あと、来年度からの仕事とその先のキャリアのために、宅建士とFPの勉強もしている。
だけど、正直言うと、今のところインターンもその先の社会人生活も、全然楽しみじゃない。むしろ、なんだか地獄に向かっているような感覚がある。
就職活動を妥協したわけじゃない。人より早く、長く活動したし、その分たくさんの喜びも悲しみも悔しさも味わった。その末に内定先に受かったときの感動はきっと一生忘れない。
内定先だって、雰囲気はいいし、同期とも仲良くできそうだし、給料も福利厚生もそれなりにいい。
でも、なんか全然わくわくできない。
そして、わくわくできない自分に心底焦っている。
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「努力は夢中に勝てない」
聞くたびに胸の奥がちくっとする言葉だ。
(昔の人は、本当に的を得る言葉を紡げてすごい)
昔から、何かと人並みにこなせてしまう私は、自分の好き嫌いや得意不得意があまり分かっていない。
勉強も運動も中の中だし、今やってる個人事業主や学外の活動も、カメラやら文章やら写真やらイベント運営やらSNSマーケやら、色々しすぎて散らかっている。
だから、この人と言えばこれ!みたいな方程式がある人が羨ましくて、それがない自分が嫌で、これまで何度か何かの道のプロになろうとしたこともある。(いろんな人に迷惑かけてきた。反省してる。)
でも、やっぱり続かなくて、結局ここまできてしまった。
続かなかった理由はなんとなく分かっていて、それは、
あらゆるものを「好きになる努力」をしていて、その原動力が「好きなものがない自分への焦り」
だったから。
そしてこれは、心の底から「好きだ!!!」と思ったり、何かに夢中になったことがない、ということの裏返しでもある。
だから、就職活動の時は、これまでやってきたことは仕事にしないと決めていたし、「好きを仕事に!」なんてマジでクソ喰らえだと思っていた。
そして結果的には、なんとなく興味はあって、割と稼げて、キャリアも見えやすい建築業界の営業職を選んだ。
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建築は好きだ。祖父が大工で、父も土木系だったからなじみはあるし、衣食住の一つだし、人に喜んでもらえる。
だから、内定先を選んだことは全く後悔していない。
でも、仕事にしたいほど好きかと言われると、正直分からない。
建築学科の子には知識も熱量も到底追いつけないし、かといって割り切る勇気もないから、今は、熱量で追いつけないなら、せめて仕事や転職がしやすいようにと知識をつけようとしている。(宅建やらFPやら)
結局、好きになることを努力してるよなぁ。
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今までは、社会と大人たちに守られてきて、色々挑戦すること、色々できることは評価されてきた。就職活動でも、「挑戦できる」「目標達成のための努力ができる」「これまであんなことやこんなことをやってきた」とアピールしてきた。
でも、これからは誰も守ってなんかくれない。
結果を出さないと仕事にならないし、評価もされない。
何でもできることは、何も得意じゃないことと同じになる。
そんな社会で、何もかも中途半端な私は生きていけるだろうか。ちゃんと社会に必要とされるだろうか。不安で仕方ない。
だけど、社会人へのカウントダウンは静かに確実に始まっていて、もう逃れることも、目を背けることもできない。
だから、今はせめて、好きになることを努力をし続けていようと思う。
努力のやり方が間違ってることは自覚してるんだけど、何もしないよりはいいと信じることにしよう。(というか信じたい)
残り半年、少しでも仕事や将来にわくわくできることを願って。
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