見出し画像

【制作日誌 #06】 物語ってなんだろう。

2020年9月12日(土)

今日は1日中、雨。8月から続く暑さと湿度のせいか、最近身体が重く、思考もうまく働かない。

「なんだか、元気が出ない。」とポツリと友人に弱音を吐く。

「ボーッとするべし、頑張るな。」と言われ、久しぶりにあまり何も考えずにだらだらと過ごす。

考えない。ということが苦手な私である。

9月になって、少しずつお散歩の範囲が広がり、美術館にいきたかった展示を見に行ったり、家族と出かけたり、それでもマスクをしているせいか、ステイホームで外出に慣れていないせいか、その次の日にどっと疲れが来る。

やろうと思っている書きかけの色んなあれこれが、部屋に散らばっている。

購入した世界地図や絵本や雑誌や図鑑が、バラバラと机の横に置かれている。

なんか、元気が出ないのよなあ。

ま、そんな時もある。

だから、変に元気を出そうとしなくて良いのだ。

じんわりと、味わってみる。


今日から始まった目黒パーシモンホールの大人の演劇ワークショップ。みんなで「物語」について考えてみる。本当にひとりひとり、個性が出る。正解なんてないのだよなあ、とじんわりと思う。

「物語」という言葉から連想するもの。1分間で書き出した。

あたたたいもの・光・影・苦しさ・切なさ・紡いでいくもの・時間・音・語られるもの・おばあちゃん・脈・まなざし

私にとって、物語ってこういうものなんだ。と、改めて言葉にして見えてくる、自分の「物語」に対して持っているイメージ。

あたたかくて、脈打っていて、まなざしを感じる

なんか、生きものみたいやなぁ、と一人ふふっとする。

みんなそれぞれ、「物語」

私のこの質感を、大事にしてあげたい。


そして、自分の持っているこの世界を、どう広く伝えるか。

受け止めてくれる人たちに、どう届けたら良いか。

人が想像するものに思いを馳せること。

自分自身の感覚と同時に、受け止める人たちのことを想像すること。

柴さんの言葉は、演劇だけでなく、コミュニケーションというものの、大事な部分でした。


自己紹介を、物語のように組み立ててみる。

まとまらなかった。

でも、私の中にいる、小さな女の子のことは、言葉にできた気がする。

散らかっているが、3分で組み立てたのでしょうがない、とりあえずメモしておこう。


「あるところに不器用な女の子がいました。

その子は、踊ることと、歌を歌うことが大好きでした。

でも、走れば走るほど、自分はどんな表現ができるのか、誰に何かを届けられるのか、わからなくなりました。

自分の中にある光と闇を、おさえられなくなっていきました。

旅の中、たくさんの人が助けてくれました。

自分の中にある世界を、おそれずに描いてみようと思いました。

そんな中、ふと一枚のチラシが目に入りました。

「物語」というものと、向き合ってみようと思いました。」


まとまってないし、ぐちゃぐちゃだ。

でも、本当の私は、ほんとに、このまま。

これが、真実な気がする。

私の中身は、こんな一人の女の子だ。


私は不器用なので、一度に全部のことをできない。

だから、やっぱり時間がかかる。

でも、もう、自分の中にある世界を形にしていかなきゃ、と決めたから

だから、書いてみる。


山形の作品の再構成はなかなか進まず、要素がバラバラに浮かんでくる。

それとともに、11月までにもう一本書いているシナリオがある。

私の中には大鳥の山の奥の静寂と、瀬戸内海のコポコポと寄せては返す波の音が

交互に頭の中に流れてくる。

まとまっていない。でも、芯はある。ちゃんと。

焦っても仕方ないので、波にただよう細胞の如く、今は、流れに乗って、潮が満ちるのを待つ。


言葉には、力がある。

物語を書き上げる、ということは、

つくってしまう、何かを決める、ということです。

と、最後に柴さんが言った言葉が、印象に残った。

その「物語」を、この世界に産み落とす、ということ。

それは、その「物語」のお母さんになるということ、その子の命に、責任を持つことなんだろうな、とふと考えた。


私は、どんな子を、この世に産み落とすのだろう。

その子は、どんなふうに、この世界を見るのだろう。


今はまだ、わからない。

でも、きっと、その子にとって、この世界が

光にあふれますように。

そんなふうに、祈りながら、書きたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?