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エールを贈る

なんだかんだで8月も20日。

久しぶりに自分の中に言葉がモヤモヤと渦巻いたのでnoteを開いたら、noteを始めてからちょうど2年経ったとお知らせが来た。

2019年から2年。あの時、山形で文章を書き綴っていた私は、その半年後、こんなに世界が変わるなんて思ってもいなかった。

当たり前のように出かけて、当たり前のように旅をして、そんな日々がまったく変わってしまった。

それでも世界は変わり続けているし、日常は消えない。


怒涛の勢いで6月から日々が目まぐるしくなって、あっという間に7月、8月と走ってきて、身体は相変わらずボロボロ、そして夏にマスクはやはりしんどい、気がついたら秋が目の前に来ていた。

暑くて早朝に起きたのに、気づいたら畳で寝ていた。

たまった服やタオルを洗濯し、何週間ぶりにかけたかった掃除機をかけ、ふうと息をつく。

2021年、もうあと4ヶ月か。

それでも、一つ一つ、今年やってきたことがあった。

ふと、私は13歳のころから俳優になりたかったんだよなー。と思いも掛けない記憶にタイムスリップした。

あれから、いろんな経験をして、いろんな曲がり道を通って、道もないような途方もない思いをしたりするけれど、それでも、私なりに選択を重ねて、歩いてきたんだよな。と思う。

中学生から高校生まで、縁もゆかりもない表参道にひたすら通っていた頃のことや、悩みながらも足を運んだ大学生の頃。

いつも通っていた場所の近くの小さな通りのカフェで、これからの人生を考えてコーヒーを飲んでいた冬。

しんどかった夏。池袋に通っていた頃。

学校が終わると、新宿で乗り換えて、京王線に乗って代田橋まで行っていた頃。沖縄タウンでみんなとご飯を食べるのがとても好きだった。

あてもなくトロントの街を歩いていたあの頃。

佐賀へ通っていた日々。ささやかな日々の発見が、なによりだったあの頃。一緒に仕事していた人たちに、支えられていた。

新たな挑戦。京都で悔しい思いと、やはり演劇が好きだと思えた日々。

東京の中央線満員電車で、二度と東京には住めないと思った日々。

静岡。打ちのめされた。私は何ができるのか、本当に考え、考え、考え、苦しかった。でも、今思えば、本当にあの日々があったからと思えた経験。

山形。私を、蘇生させてくれた場所。私にとって「豊かに生きる」ことを教えてくれた場所。

今、私はどこにいるのだろう。

私にとって、「現在地」とはどこだろう。

そんなことを、ぼんやり考えている。


現在、免疫が弱まっていろんな症状が身体のあちこちに出ていて、

コロナだけでなくとも、人はその命の灯をどこかで燃やし尽くすときが来るんだ、ということを思ったりする。

あっという間に20代は終わり、私はいつまで、この人生と伴走していくのだろう。

誰かと一緒になることはあるのだろうか。

日本から出る日はいつなのだろうか。

この人生の中で、

何か、やり遂げた。

という思いはいつか、あるのだろうか。

考えても、きりがない。

答えは出ない。

ただ、日々に感謝して、今日も一歩を踏み出すだけだ。

それでも、あの頃の小さな私に見せてあげたい。

悩んで、悔しくて、自分には何もできないかもしれないと思っていた小さくうずくまっていた私に、

それでも、進んできたよ。

それでも、ここまでほら、やってきたんだよ。って

それだけでも、進んできたんだ。


まだまだ、ちっぽけなまま。

もしかしたら、ちっぽけなままかもしれない。

でも、それでも、一ミリでもいい。

ああ、あの頃の私よ、みてみなよ。

ここまで、生きてきたよ。って

そうやって言いたいから。


過去の自分にエールを

未来の自分から、今の自分にエールを


フレー!フレー!私!

フレー!フレー!みんな!




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