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始まりの木



友人と花見をした時に、桜の枝が地面に這いずっているのを見ていくつか条件を決めてお互いに小説を書きました。
少し(結構?)怖いお話なので苦手な方は気をつけてください。


「なんでこの木が低いか知ってる?」
カチャカチャと音をたてて食膳が片付けられていく。どうやら旅館の女将が兄に話しかけたようだった。
「なんでしょう」
「いえね、先ほどからずっと窓の外の桜を眺めていらっしゃるでしょう」
「ああ。見事なもんだと思って。桜の枝が地面にまで伸びきっている。こりゃ迫力がある」
女将は部屋の窓を少しだけ開けて桜の方へと兄を促した。
「この部屋が一番桜に近いんですよ。ほうら、目の前に枝が伸びているので窓を開けたら部屋の中に花びらが落ちてくる」
ひらり、と何枚か文机の上に舞った花びらを拾いながら兄に語りかける。
「で、一体なんでこんなに桜が低く咲いているのだろうか」
「それはね、子供の精霊がどうにもこの桜を好いていて樹の上に座っているのよ。その重みで枝が垂れ下がってこのような背ぇの低い桜になってしまったの」
「なんとまぁかわいらしい話ですね」
「先生を揶揄っているわけではないのよ?昔からこの旅館に伝わっているお伽噺ですの」
「いや。いや。いい話を聞けました」
「ふふ。気晴らしにうちの桜の絵も描かれたらぜひとも見せてくださいな。どうぞごゆっくりなさってね」
食べ終わった食器に桜の花びらぱらりと入れ、女将が去っていく様子を布団の隙間から私は盗み見ていた。

 絵描きである兄は小説の挿絵の仕事のため、取材としてこの旅館に数日間世話になっている。体の弱い私は療養にと兄に連れてこられ近辺をふらりと観光することもなく床に臥していた。

「椿、しばらく出掛けてくるが一人で大丈夫だね?」
そう問いかける兄に私は一度だけ頷いた。どうせついて行けやしない。気分が優れたら温泉にでも入ろう。
兄は仕事道具を持って部屋を出て行く。廊下の途中で誰かとでくわしたのだろう、女性と兄の話し声が聞こえた。
兄は私と違って人懐っこく、誰に対しても打ち解けるのが早いので旅館の従業員どころかたった2、3回顔を合わせただけの旅館の利用者にまで先生と呼ばれている。
控えめな笑い声が聞こえたあと、足音が遠ざかっていったので兄はやっと外に出掛けたのだろう。

 兄が帰ってきたのは夕方も過ぎた頃だった。頭に桜の花びらをいくつかくっつけて帰って来たのでそれをじぃと見つめていると、
「椿も体調が良くなったら見に行こうな。ここから見える桜も結構なものだが通りに咲いている桜並木には圧倒されるぞ」
と言いながら文机に向かった。窓から見える桜の木は夕暮れに染まり赤く燃えているように見えた。

この旅館はいつでも大浴場につかりにいってもいいらしく、私はなるべく人のいないような時間に向かうようにした。
日を跨ぐ頃にそろりそろりと部屋をでて風呂へと足を進める。

入り口付近にはささやかな憩いの場があり、長椅子には二人の老人が腰かけ話をしていた。
こんな時間に何をしているのだろうと訝しみながら横切った。

「まぁた人探しが始まった」
「これで何人目だい」
「もう数え切れん。不謹慎だがうちの婆さんがその度にこちらへ桜を見に行こうと言いだす。おかしな話、人がいなくなるとここの桜はより一層綺麗になると抜かすもんだ」
「桜が食っちまったのかねぇ」
「とりわけ、女子供がまぁ行方知らずに」
「桜が食っちまったんだ」
「いかんいかん。そんなことを言っちゃあ。ここの女将に聞かれたら追い出されてしまう」

 なんと気味の悪い話をする老人だろう。誰か行方不明にでもなったのだろうか。
脱衣所に着いた頃には老人たちの話し声も途切れたので自分たちの部屋に戻ったのだろう。
なるべくはやめに済まして私も兄のいる部屋に帰ろう。
そう思いながら湯船に向かうと一人だけ先客がいた。
「あら、こんばんは」
長い黒髪を一つに纏めた女性が声をかけてきて、戸惑いながら会釈を返した。
「こんな時間に一人で温泉へ?ご両親は?」
そう尋ねる声で、この女性は今朝兄と廊下で話していた人だと気づいた。
「兄と来ていて…。もう、眠っているので」
私は言葉少なに返してそれ以降は目を合わせないようにした。
「まぁ。もしかして、先生の妹さん?わたし、隣のお部屋を借りているの。明日には帰ってしまうけれど」
 女性は視線を逸らす私に構わず話しかける。
「お兄様、素敵な絵を描かれていらっしゃるのね。夕飯の時にここの女将さんが話してくれたの。本がでたらきっと買うわ」
結構な時間、湯につかっていたのか女性の頬は夕暮れの桜と同じ色をしていた。
返事をしない私に少し困った様な顔をしてこう言った。

「あまりにも遅くならないようにね。怖がらせたいわけではないのだけれど、この街は行方不明者が多いみたいだから」

彼女がざぶりと湯船からあがろうとしてようやく私は言葉の意味を飲み込んだ。
どういう事なのかと問いかけようとしたら彼女は

「わたしの弟の恋人が数か月前にこの街へ旅行をしてからというもの行方を眩ませてしまったの。弟も気がおかしくなってしまって、わたし居てもたってもいられないから調べるためにここへ来たのだけれど。
誰に聞いてもめぼしい情報はなかったものだから、最後にもう一度よぉく探して戻るわ」
とタオルを体に巻き付けながら言った。

「あなた、大丈夫?お部屋まで一緒に帰りましょうか?」
浴場の扉を開ける手前で一度振り返り、私に声をかけた。
それに首を振り「だいじょうぶです」とだけ答えて女性を見送った。

 部屋に戻ると兄は静かに寝息をたてていた。
兄の写生帳を開くとこの街の風景であろう絵がいくつか描かれていた。小さな頃から私は外に出られなくとも、この兄の絵があるのでそれだけで楽しんでいる心地になれた。
しかしこの絵は、先ほどの老人や女性の話もあって些か不気味なようにも見えた。

これはいけない。はやく眠りにつこう。いらぬことを考えだしたらおしまいだ。
布団に潜り込み、闇に溶けるように息をひそめる。なんだか花びらが舞う音が聞こえた気がした。

 翌日も兄は外へ絵を描きに出掛けた。隣の女性はもう帰ったのだろうか、彼女の弟の恋人が無事に見つかるといいと思いながら窓を開けてみるとそこには女将がいた。

「あらこんにちは」
箒で地面を掃きながら挨拶をくれた女将に軽くお辞儀をした。
「桜のね、花びら。あんまり放っておくと見栄えが悪いから。毎年散るのが遅いんだけど今朝は何故かたくさん散ってしまっていてね。

誰かいたずらでもしたのかしらね」

声の温度が測れるのならば恐らく最後の言葉だけぐんとさがっているような気がした。
怒っているようでもない、悲しんでいるようでもない、ただ感情が消えてしまったような呟きだった。

 
 昨日よりも少し遅めに帰ってきた兄はどうも様子がおかしかった。
呼吸を荒くし、右の手で胸をおさえながらぽとりと言葉を落とした。

「女の首のように見えたが、あれはなんだったのだろうか」

耳を疑う台詞をこぼした兄に驚いた私は思わず咳き込んでしまった。

「あぁ。すまない、椿。忘れてくれ。どうか忘れて。きっと絵の描き過ぎで目が疲れてしまっていたんだ。なんでもないよ」
私の背中をさすりながら兄は自分にも言い聞かせている風に何度も言葉を繰り返した。

それからしばらくして、夕餉の支度に女将がやってきた。
「今年の桜はいつもより花の色が濃くて香りもいいからお茶にいれてみましたの。食後にお持ちしますのでどうぞ飲んでみてくださいね」
「ええ。そう言えばお隣の方はもう帰られたのでしょうか。一枚、絵を渡す話をしていたのですが」

「お帰りになりましたよ。ええ、今朝」
「そうですか…。すれ違ってしまったのかもしれません。では良ければ女将さん、もらっていただけないでしょうか」
「まぁ。まぁ。先生の素敵な絵をくださるの。うちに飾って大切にいたしますわ」
女将はそう言って兄から渡された一枚の紙を懐にしまった。

食事が終わって私はすぐに横になった。座卓には先ほど出された茶が二つ。
兄はしばらくの間無言で窓の外を眺めていたが茶が冷める前にといただいたものを喫することにしたようだった。
湯呑を手に取りふと中身を覗いた瞬間
「うわああ」
と叫んでそれを放り投げた。

いきなり兄が取り乱しだしたのですぐさま起き上がりどうにか落ち着けようとした。
すると目に入ったものに言葉を失った。

赤いのだ。桜の、花びらが。

色が濃いどころではない、これは赤すぎる。

まるで、血に染まったように。

ちょうど強い風がふき、外の桜の木が嘲笑っているように見えた。

余りにも兄の声が大きかったのか女将が駆けつけてきた。

「どうかなさったの」
女将は横たわる湯呑を目にして、すぐに畳を布巾で拭いた。
「この桜の花びら、赤すぎやしませんか」
兄は震えた声で問いかけた。
「これは風味づけのため赤紫蘇に漬けたからでしょう。お客さまに喜んでもらおうとしたことですが、嫌な気分にさせてしまったかしら」
「いいえ、赤紫蘇に漬けたとてこんなに染まりましょうか」
「うちの桜は色が濃いですから。特にこの春はすごいもので」
「すみません。疲れているのかもしれません」
「ええ。ここのところ先生は毎日絵に集中なさっているから充分にお休みして」
「申し訳ないけれど、新しい茶をいただいてよろしいでしょうか。何も入っていない茶を」
「ええ、すぐに。何も入っていないお茶をお持ちしましょうね」

 その夜、どうも息苦しく長い時間咳がやまなかった。
咳き込む音で目を覚ました兄は私の背中を何度もさすった。
「椿。大丈夫だから。お兄ちゃんが楽にしてやるからな」
寝起きだからか虚ろな瞳で私を、いや、私越しにある桜を見ながら私が眠るまでさすり続けた。



 もうここに来てどれくらいたったのだろう。
この旅館で時間を過ごすことにも退屈になってきた私を、兄は初めて外へと連れ出した。

「ここがよく使う喫茶店。何か飲んでいこうか?」

桜並木を過ぎたあたりにぽつりと佇む蔦の覆う古びた店を指さし私に語りかける。
兄は珈琲、私は紅茶を頼みこの街のことを話した。

「あの桜並木はすごかっただろう。花びらが雨のように降り注いでいた」
「旅館の桜は枝が低いからあの様にはならないね」
「桜は散り際が一等美しいのだからお前に見せてあげられて良かった」
「この辺りの桜は色が白く見えたね」
「体は大丈夫かい。調子が悪くなければもう少し散歩しよう」

兄に小さく頷き返事をしたら頼んでいた飲み物がやってきた。
真っ黒な液体と赤褐色のそれ。
良い香りがする、と兄の方に視線をやればぽた、と額から汗が流れ落ちるのを見た。
どうやら兄にはこの飲み物でさえ違うものに見えているようだった。

「椿、それを飲むのはよそう。そうだ、オレンジを頼もう。それは気味の悪い色をしているからね」

‘‘これはあの桜の花びらではないんだよ‘‘

そう伝えたかったが、兄にはもう言葉が届かないらしい。

新たに頼んだオレンジを飲み終える。
紅茶は出された時と変わらぬ色をしていながらも温度を素っ気なくさせていた。


 地べたに座り込んで景色を描き写す兄の隣で遠くを眺めていると、あの旅館の桜の木が映った。
視力が良い方ではないのだけれど枝の方に何か黒いものが絡まっているように見えた。
ふと兄の手元へと視線を移すと絵の中の桜はあの日の赤を通り越し、どす黒く塗りつぶされていた。
兄の目は血走り、本来の色を失っていた。

 もうじきに夕暮れ時だ。
薄桃色の花びらがはやくお帰り、と私たちに伝えたそうに風に吹かれていた。

もう帰ろう。
そう兄へと言葉を投げ掛けようとした瞬間だった。






辺り一帯、どろりと赤く染まっていった。







兄は無言で私の髪の毛を桜の枝へと巻き付ける。


"何を、しているの"


そう発したつもりでいたけれど、もしかしたらただの呻き声にしかならなかったのかもしれない。 
いずれにせよ、兄には聞こえていない。



見慣れた私のほっそりとした体を抱き上げて遠ざかっていく。
どこへ行くのかしら。

なぜ、私は今もこの状況で、あの桜の木を、知覚できているのかわからない。


嗚呼、あの黒く見えた塊は先日風呂で一緒になった女性に違いない。あの日夕暮れの桜色をしていた頬は蒼白になってしまっているのだろう。



あの桜の木の話の、本当の訳を知ってしまった。



きっとこの低くもない白い桜の木はいずれ枝が垂れ下がり、赤く赤く花びらを染めるのだろう。
精霊なんかではない私の重みで低く、低く。








「おい、聞いたか。ここいらでとびきり物騒な事件が起きたんだってなあ」
「ああ、兄貴の方が妹をやっちまったってアレかい」
「どうも妹の体がめっきり弱かったらしく、看病疲れでおかしくなっちまったんだってぇなあ」
「どうにかならんかったもんか」
「しかし、いろいろなものが狂っちまってるなぁ」
「そうだ。もう5月だってのにまだ桜の枯れる気配もない」
「桜の名所と言えば聞こえはいいが、美しすぎる桜はいけないよ。美しすぎるものは人の狂気に触れちまう」
「おい、そんな恐ろしい事を言っていると女将に追い出されてしまうぞ」






こちら友人の小説なのでぜひ読んでみてください。

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