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いつも通りの日常を送る罪悪感。


おばあちゃんとお姉ちゃん(叔母)と一緒に
弟のお見送りのときにお世話になったお坊さんの
お寺に行った。

カフェで休憩もして、
この3人でこういうことをするのは
何年ぶりだろう。

そのあとはおばあちゃんとは解散し
お姉ちゃんと街をふらっとしたり
最後は昔から気になっていた喫茶店に行った。


いつも通りの日常。

最初は普通に過ごしていたのに
最後に入った喫茶店で過ごしているうちに
だんだん元気がなくなってしまったみたい。

昔からずっと食べたいと思っていた
念願のホットケーキと
おいしそうだなって思ったフルーツサンド。

どっちもすごくおいしくて
念願叶ってしあわせ!

のはずなんだけど、
わたしの頭の中ではこんなことが浮かんでいたみたい。

弟がいなくなって悲しいのに
こんなことしていいのかな

おいしいな〜ってしあわせな気持ちとか
嬉しいな〜って気持ちとか
そういうの感じていいのかな

弟に
「自分がいなくなったのに楽しそうにして、
どうでもいいんだな」
なんて思わせてないかな?

とか、そんなことが浮かんでいて
自分がダメなことをしている気がして
いつもの日常を送っている自分が
ダメな気がして
楽しいとか嬉しいとかしあわせとか
そんなことを感じてはいけない気がして

だからどんどん元気がなくなっちゃったのか!
って帰ってから気づいた。

同じような形で大事な人との別れを経験した人は
こんな風に思うことがあるんじゃないかなあ。


わたしが おいしいな〜とか
しあわせだな〜とか
うれしいな〜って気持ちを感じる瞬間があっても

イコール

弟がいなくなっても悲しくない
どうでもいい

なわけがない。

どうでもいいわけがないし、
悲しくないわけがないし、
立ち直ってなんかない。
そんなすぐ立ち直れるわけがない。

でも、そんな中でも
うれしいとか楽しいとかしあわせとか
そういう気持ちを感じる瞬間を
ダメってしちゃダメだと思った。
いいんだよ、って言ってあげたい。

日常のワンシーンの中で
どんな感情を感じてもいい。

家でずっと悲しんでいることが辛くて、
ちょっと外に出たり
食べたいものを食べたりすることで
自分を保てることもある。

これからも生きていくために、
わたしにとってそういう時間も必要。

写真を撮ることも大好きなことだから
撮るし、インスタに載せたりもする。


だから、この罪悪感は手放そうって思ったよ。
手放したいなあ。


今までみたいに
楽しい、嬉しい、しあわせ
そんな気持ちをたくさん感じながら
日々を過ごしていけるようになりたい。

だから、弟も地球で感じていた
苦しみから解放されて
愛、安心、幸福の中に包まれていることを
願ってる。

弟はもう大丈夫って思いたいな。
大丈夫だったらいいな。

みんな大丈夫って思いたいな。



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