西日 短編

「僕は誠実な人なんですよ、なんだったら誠実だけが取り柄です」よくそんなでたらめを言えるなと彩は感心させられた。新宿駅近くのイタリアン店でそう豪語する彼は目の前のピザを綺麗な手で口に運ぶ。彼の年齢は二十六歳、ミディアムボムにセンターワケ年齢よりも下の世代で流行っている髪型を当たり前にしている。それに対して私は少しでも大人ぽっくしたくて、我慢してショートカットにしている。本当はウルフカットにしてみたいでも、この年でウルフカットと周りに思われるのが怖い。私と同じ二十六歳にはとても思えない。「誠実な人はマッチングアプリを使わないんじゃない」と教えたくなる。目の前の男性は「裕太です」と最初に自分の名前を伝えられた、アプリを通して名前は知っていた。名前は知ってるし、好きなアーティストも一緒ってことで話が合い意気投合したが、あの話は嘘だったとすぐわかった。裕太は、音楽を好きではない。好きな曲は有名なのだけで、なんならそれしか知らない。「僕ほんとはあのアーティストのことよく知らないんですよ。彩さんと話すために嘘つきました」と嘘ついたのは申し訳ないけど僕かっこいいし会えてよかったでしょという気持ち悪いスマイルをした。関係ない人からしたら、可愛い系のイケメンとして映り裕太と話している私は周囲から羨ましがられるのだろう。私の好きなバンドを利用して私に近づいてきた彼は、私にとって嫌いな第三者だ。裕太は私の嫌悪感に気づかないふりをしている。私は嫌悪感を隠しているようで、隠せていない。ピザを食べ終えた彼は、赤ワインを開けた。「乾杯」と言い私も普通のワインを一緒に飲んだ。

  目が覚めるとベットの上にいた。何が起きたのか頭の整理がつかない。彼が私の下着をはぎ取ったことに気づいたのは、私の最後の理性だった。頭が回らなくても、嫌悪感は本能として身体に残っていた。でも、抵抗するような力はない。「お前に身分証の写真は撮ったし、お前の身体の写真もとった。誰かに言えば、警察に言いでもしたらこの写真をばら撒くから」私の身体に嫌悪と本能を無視して汚い何かが身体に入りこむのを感じながら私は泣くことしかできなかった。私が意識を失う前にみたのは自分が一枚上手だったと勝ちを喜び笑うクソ野郎だった

 小田急線各駅停車はゆっくりと本厚木に向かっていく。空いている席に座り出発時刻を待っている。各駅停車から見える世田谷の街なみは日が昇る前で暗くて恐い。自分の身に起きたことを信じたくなかったが実際の現実として起きたことだ。救いはない。これからどうすればいいのだろうか。一度、裕太の連絡先に電話を掛けたが出なかった。名前も、連絡先もすべて嘘だったんだろう。「何が誠実だけがとりえだよ」胸の中で吐き捨てる。

 駅から家までの足どりはしっかりしていた。途中、部活の朝練に向かう女子中学生二人とすれちがった。彼女達は、綺麗で純粋だ。私は汚された。

 アパートに戻り、インスタントコーヒを飲むためにお湯を沸かす。職場には今日休むことを連絡しなくてはいけないし警察にも被害届を出さなくてはいけないな。いや、警察にいくのは午後でいい。少しよこになろう。横になったと同時に沸騰した音が部屋に響く。何も言わず起き上がり、コーヒーを飲み職場に連絡した。

 午後、お昼の番組が再放送みたいに同じ内容を繰り返す。私があんなひどい目にあったのもあの男にとっては日々の繰り返しなのだろう。レイプという行為に名前が存在するということは、私以外にもたくさんの人があの恐怖に直面しているということだ。許せない、あの男が今も存在し、これからも存在して、犠牲が増えることはあってはならない。できることならずっと殺し続けたい。私があの男と再び顔を合わせた時、正常に身体が精神が働くのだろか、いや、働かない。全身が震えて、泣きながらあの男の前に立つだろ。今の私にできることは、警察に行きこのことを伝えて同じ被害を生み出さないことだ。

 「誰かに言えば、警察に言えば、この写真をばら撒く」あの言葉が繰り返される。なんで今まで忘れてたのかな。動機がする、うまく呼吸できない、息できない、涙が出てる、止めたい、息は、呼吸ができない、過呼吸どうやって止めるんだっけ。助けて。誰も助けてくれない。

 そのまま、気絶したように寝てしまった。西日が頬を照らす。「決めたあいつを殺そう」そう覚悟できたのは殺すことでしか解決しないから、私がうじうじ悩んでいても変わらないし、殺さないと私は一生縛られ続ける。コーヒーを飲もうと立ち上がると西日は沈みかけだが消える光で私を照らした。

 翌日の会社にはいつもどおり出勤するはずだったのに靴を履いたあと、扉を開けることがどうしても出来ない。外にでると私の裸の写真がばら撒かれてしまっていてみんな私を見て冷たく軽蔑を含む視線、汚く獣以下の下劣な人間が舌を嘗め回し私を狙っているような気が外ではする。今日は家から出れない。私は無力だと痛感する。

 あの後、会社から電話が2時間に一回のペースできたが一回も電話に出ることはなかった。私は電話にすら恐怖していた。あの電話はもしかしたら、あの男からの電話なのではないか、絶対そうだ。不安が募れば募るほど本当にあの男から「写真をばら撒いた」と言われると思って身体が強張るが留守電に切り替わると、いつも聞いていた上司の声で連絡をお願いしますという連絡で私はほんの少し冷静になる。

 昨日はあいつを殺すくらいの勢いがあったのにその勢いはすぐに消えてしまった。感情の浮き沈みが激しくなっている。レイプがその原因なら私は乗り越えないといけない。家の中にいてはなにも始まらない。だけど、外にでるのは怖い。私が泣いてしまうと思った時、カーテンの隙間から夕陽の灯りが昨日と同じように私を照らす。外に出ようと思った。身体が勝手に動いた。誰かに言われたわけでもなく、自分の意志で動いた。

 歩き出した私の足は軽くはないけど重くない。この足で、身体で生きていく。恐怖は一生消えない。けれど、西日が照らしている間は、忘れて無垢な私として生きていく。川辺に反射する西日がまぶしくて私は目をつむる。目を開いても西日は光っていた。

 

 

 

 

 

 

 

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