攻め方、守り方 一つの方法論じゃダメだ

 表題は福山雅治の「Get the groove」という曲の歌詞だ。
 最近この曲が何度も頭の中をリピートしている。
 歌詞の刺さった部分を抜粋しようと思ったが、ほぼ全歌詞抜粋になってしまうので是非一度ご自分で調べて欲しい。

 最初は「全力でやれば色んな人や幸運はついてくる」という言葉だった。
 気付きは「以前はクリティカルだった言葉を受け止められるようになってる」だった。
 きっかけは「うたわれるもの」のハクの底抜けの楽観主義と、それが魅力的だったことだった。
 納得はとあるコミュニティーでの「人の振り」だった。

 まだうまくまとまってはいないから乱文になるとは思う。

 結論から言うと、僕の場合ひきこもっていたのは究極の守り固めだったのだろうということ。
 思い描く格好良い自分になるには(防衛のための過剰な牽制でない)攻めの段階に入るべきなのだということ。
 何故なら人はギヴァーの元に集まるのだから。
 そしてそろそろ防御陣形を解除してもいいのではないかということ。
 何故なら、僕も大分守り方を分かってきたのだから。

 一つ目の「全力でやれば~~」についてはニー株内での対談の中でいただいた言葉だ。

 この動画シリーズでのことなので興味を持ったら見て欲しい。

 まとめると、「わき目も振らず我武者羅にやってたら人が集まってくる。量子力学的にも『流れ』は引き寄せられる」という話だ。
 それに対して僕は「元手が無いとそれは難しい。そんなバイタリティも資金も人脈もスキルも、何もない」と答えた。
 その翌日の会議で最内翔は何故わき目も振らず動けないのか、みたいな話をした。バイタリティがないのもあるし、それ以上に自分が傲慢になり過ぎないか、周囲の価値観を上塗りしてしまわないかが怖いという結論が出た。

 今の俺はファランクスを組んでいるような状態だ。
 守りをガッチリ固めて、近寄ってきた奴に猛烈にツンツンする。
 だが本体の自分の機動力というか、身軽さは皆無でノロノロ前進するのが精一杯。しかも防御に体力を滅茶苦茶使ってて気軽に攻めに転じられない。
 だとすると引きこもっていた時はその更に上、全方位に盾を構えて、盾の中に立てこもっているような精神状態だった。
 ファンブルを出さない確実な方法はダイスを振らない事なのだ。何も能動的にしないで守りを固めることで自分の身を守っていたのだ。
 ただ、当然の如く何も行動しなければ何も変化しない。周囲の時間は進んでドンドン変化していくのに。ファランクスを組んで防御力を上げて、極稀に来る攻撃に過剰牽制して身を守っているうちに、誰も自分には近づいてこないまま、時は流れる。それが俺の引きこもりだった。

 それは今でも間違っていなかったと思う。その時の俺はそれが必要だった。今までの俺はまだまだ防御を固める必要があった。
 ただ次のステージを思い描いた時、必要なのは人が傍にいて力を貰えるような存在になることだ。そうでないと人は集まらない。近寄ると牽制ばかりしてくる人の元に人は集まらない。
 正しさそれ自体に意味は無いのだ。幾ら自分は正しいと弁を並び立てても、そしてその弁に筋が通っていたとしても、結局のところコミュニティにとって有益でなければただの鬱陶しい人でしかない。守り方は、一つの方法論だけじゃ足りないのだ。
 防御陣を解いて、駆け足で進まなくちゃならない。自由に方向転換できるようにならなくちゃならない。それでいて必要に応じて瞬時に集合して方陣で迎え撃つ技量を持たなくちゃならない。そんな人間になりたい。基本姿勢が防御では限界があるのだ。

 だとすると、今の俺にそれが出来るのかが問題だ。今まではその準備が整っていなかった。が、今現在はどうだろう。
 意外と不可能では無い気がしてきたのだ。クリティカルな言葉を防御しきった経験がつい先日あった。その上で自分に足りない部分を冷静に吸収することさえ出来た。防御陣の中で練り続けた結果、自分の打ち立てた哲学がしっかりと根付いてきたのではないか。ある程度戦えるレベルにまで練度が上がってきたのではないか。
 この盾の壁を解除するのは怖ろしい。ただ、その先に次のステップがあるように感じる。

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