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引きこもり哲学者(笑)の諸行無常

近況報告と前書き(興味なかったら飛ばしてください)

 花粉症で鼻がムズムズする最内翔です。
 あれ小さいころはなんも関係無かったのに、ある時からもう無関係でいられなくなるのエグいよね。なんか許容量を超えるとアレルギーが発生するかなんかだったっけ。まぁそこまで酷いほうじゃなくて、鼻がムズムズ目が少し痒いたまに鼻かむ程度なんだけど。

 で、そうそう。5月から自立訓練施設に通うことにしました。
 あれね、職業移行訓練じゃなくて、その手前的な奴。
 利用目的はシンプルに、朝起きる理由が欲しいから。何かしら用事が無いと遅寝遅起きに歯止めが利かなくなるから、いけなくても問題ない用事がコンスタントに欲しかった。
 あと、基本場所というか、環境を変えると諸々スイッチ入って作業が進むようになるタイプなので、そういう外の場所が欲しかったのも大きい。
 そういう意味では、ある種脱ひきこもりの第一歩を踏み出したとも言える。その心境に辿り着いた今、これまでの軌跡を振り返るとなるほどな、って思うので、それをつらつらと書いていこうという感じだ。

認識の変遷の振り返り

高校時代編(レールの上)

 高校卒業まで、俺はまだ普通の範疇に居た。いや、進学校に通わせてもらって旧六帝学に入れてる時点でむしろ恵まれていたと言えるだろうが、どちらかというと主観の話だ。
 いい大学に入って大きい会社に入ることが正しいと思っていたし、そうするべきなんだと思っていた。日本はまだまだ先進国だと思っていたし、戦争は過去か遠く離れた中東のものだと思っていた。頼りがいがあって仕事が出来て責任感があって家庭を持って、そんな社会人になるのが普通で当たり前なんだと思っていた。
 いや、思おうとしていた、というのが正しいだろう。
 その時から違和感は抱えていたんだ。普通の常識を、万人に認められるからこそ正道でありそうあるべきだと自分に言い聞かせていたことを。
 それにしっかりと覚えている。「将来俺は落ちるとこまで落ちぶれるか、ドデカく成功するかのどっちかだろうな」と思っていたことを。
 そんなわけで、色々と直感では違和感を覚えつつも頭で自分に言い聞かせ、普通の(その実高すぎる理想の)レールの上に居たのが高校までだ。

大学時代編(転換期)

 大学時代は転換期でもあり、解放期とも言える。
 実家を出て一人暮らしをし、バイトを始めて働いてお金をもらうという事を体験し。
 親の監視と、通学という決まった生活習慣からも解放され好き勝手出来るようになると、一年もしないうちに自堕落になっていった。
 ○○しなきゃを破り続けて自尊心を加速度的に破壊したのがこの時期だ。働くことにそれなりにやりがいと楽しさを感じ、深夜のバイトから帰ってきてからゲームをして朝方寝て授業を欠席する。そんなことを繰り返していた。
 生活費のことや背伸びして入学した学校での劣等感などもあるが、まぁほぼほぼ自分の性質のせいだ。6年の後中退する頃には本当に酷い生活習慣だった。今も部屋は汚いが、あの頃と比べたらまだマシといえる。極稀に片づけた時、一度に捨てるゴミ袋は45Lを6,7個とか当たり前だったし、ぶっちゃけ流石にドン引きされるから書けないようなエピソードも幾つかある。
 この頃はそうだな、自己理解を深めた時期だった。自分がどういった性質を持った人間で、何が好きで、ほっとくとどうなるかを知った。

就活編(未練タラタラ期)

 そして大学中退辺りを機に、流石に普通に一流企業への就職を目指すのは流石に無理だなと諦めた。それでその頃にはTRPGへの熱が固まっていたので、そこに向けて準備するために、まずは正攻法として営業の正社員を目指し、その足掛かりとして携帯ショップの派遣を選んだ。まぁ今思うと諦めてそこかよとも思うが、それまでの環境が環境だったのだと思う。
 一年間携帯ショップで働いたあたりでそろそろ正社員を目指したいと(焦っていたのだろう)契約更新を機に辞めて、就活をする。そして甘ちゃんを一瞬で見抜かれ続けて就活に失敗(そもそも5社も受けてないが)し、ダラダラ、気が付いたら一年が経つ。
 半年くらい経ったタイミングで引きこもり相談支援課や若サポなどを利用しつつコンビニバイトを始めていたのだが、それもあってなんとか東京で営業の正社員を勝ち取る。
 この時期はなんというか、未練タラタラ期といった感じだ。
 自分の感性というか直感が、完全に普通と食い違っていることを分かっていながら、自分より普通に、常識に、正道に拘泥し矯正し、戻ろうとしていた時期だ。
 そしてその結果が仕事選びの失敗だ。
 正直既に自分が「興味のあることじゃないと前向きに取り組めない」「バリバリ系社会人とは見ている世界が違い過ぎて合わない」というのを分かっていながら、矯正するのだと、他に取ってもらえるところ無いと見切り発車、でもないか、目を瞑って飛び込んだ結果が、三か月の退社である。

就職からの引きこもり編(諦め期)

 そうやって就職し、今の場所に引っ越してきたのが二年前になる。
 誓って言うが、俺の場合会社が悪かったわけではない。さほどブラックというわけでもなかったし、パワハラ上司が居たわけでもない。
 だが、結局のところただただ相性が悪かったのだ。バリバリ事業を進めてきたワンマン社長と、その下で淡々と自分の仕事をこなしていく有能な先輩方。弱さやミスは甘えであり、克服できるものである世界で生きている人たちと、しかもコロナ初期でろくに仕事外の交流も出来ず。
 コロナもあり転職サイトのエージェントさんがアフターフォローをしてくれていたのだが、それも真摯にやってくれていた。社長もなんとか理解しようという姿勢を示してくれた。皆さん、やれることはやってくれていたのだ。
 だが、理解できない人には理解できないし、俺は膨張した不安と恐怖にいつも通り押しつぶされた。
 結局3か月で仕事を辞め、また気が付いたら半年が経っていた。

 やはりこの辺りから今の俺に近づいてくる。
 半年経った辺りで資金が尽き、親の援助を蹴り生活保護の受給を始めたのが1月、同時期にTwitterで引きこもり関連の情報収集も開始した。結局のところ未だに無職の引きこもりだが、俺の考えは大分進んだと言える。
 まず今まで持っていた「普通」というのが、高い理想だったということに気付く。正社員でホワイトカラーをやって、責任感あって仕事出来てコミュ力高くて家庭を持ってるような社会人なんて、全部兼ね備えられている人が何割いるんだというレベルだ。
 そして生活保護という形で、自分で生きる能力が無い事を認めることでも、また世界が変わった。ある種負けを認めるような感覚で、一人前であろうと無理に背伸びをしなくなった。
 また引きこもっている間ちょくちょく調べて考えて、世の中への認識が変わった。最初は綺麗事だらけの欺瞞に満ちた世界だと憎まずには居られなかった。次に考えが足りない大勢のために最適化してきた結果がコレなんだと許せた。次にあまりにくだらないと厭世し、途方に暮れた。

引きこもりのこじらせ(ニーチェと仏教を添えて)

 そしてようやく、今は「然り」の境地に辿り着きかけている。
 「然り」というのはニーチェの理論で、敢えて雑な言い方をすれば「世の中は大変なもんだけど、それはそういうもんだと前向きに捉えてどう生きるかを考えられる」境地だ。
 以前にも書いたが、俺の考えはわりとニーチェに沿っている。表現しづらいが、ほぼほぼ似てて、でもまだ所々ぼやけていて固まっていない所で、ニーチェという先駆者を発見したので、参考にしてぼやけていたところを修正した、という感じだ。時代観の差があったり、永劫回帰に関してはイマイチ得心がいってなかったりはするが。
 あと実は仏教も多少参考にしたりもしている。といっても宗派以前のお釈迦様の教えを参考にしている感じだが。

 まぁそんなわけで、引きこもってはいたのだが、これはこれで哲学的思索のために必要な行動だったのでは? とも思っているのだ。
 働いても居ないクソ雑魚が自惚れてんじゃねぇよと思われそうだが、実際最近、「この世界って真っ当な感性持ってたら心壊すよな、でその先どう生きるかって問題にぶつかるよな。だってほら世の中の宗教の創始者とか哲学者という偉人と呼ばれる人達も同じような壁にぶつかってんじゃん、でその悩みを乗り越えるに生産活動せず修行したり隠棲したりするじゃん、あれと似たようなもんだろ。つまり俺哲学者」って思ってたりする。
 無論これまで怠惰に過ごしてきた時間を全肯定など出来ないし生意気だとは思うが、少なくとも自分を責め続けるよりかは、そう考える方が事態は好転するだろうから。
 ただ実際、こじらせ過ぎて間違いなく今俺は傲慢になっているとは思う。明日のパンのことを考えるのに精いっぱいな人をどこか見下している部分があるのは否定出来ないし、色々分かった気になっているのも事実だ。
 そして多分、俺が辿り着いた答えも本当は形は違えど誰もがちゃんと辿り着いているのだろうから、俺は特別どころかむしろ容量が悪いのだろうし、数多の先人達が警鐘を鳴らしているように、今の分かった気でいる状態は危うく無知の知を得るべきなのだろう。そこはまだ今後の課題といえる。そもそも哲学自体も今まで聞きかじってきたのを自分の考えの参考にしているだけで知識が曖昧だったりするし、思いて学ばざれば即ち危うし、そのものだ。

諸行無常、十人十色

 なんにせよ、こんな変遷を辿って今、ようやく自分の人生というのは誰のものでもないという至極当たり前の結論に追いついた。今の時代、いつだって世界には答えが溢れてるのに、聞いて覚えて学ぶだけじゃ理解出来ないから人というのは面白いし、歴史は繰り返すんだろうね。
 そこまで来たから、ここまで自分の中の認識の準備が出来たからやっと今、再び日の当たる場所に出ようと顔を洗い始めたのだ。
 行く予定の自立訓練施設には、年度切り替わりの節目にギリギリ滑り込んだ感じなのだが(ここを逃すと役所の手続きがややこかったらしい)、そういう意味では俺は、肝心なところでは運がいい方なのだろうなと思っている。
 振り返ると、本当に自分の中の常識も、どころか世の中の常識も大きく変わったなと思う。そしてまだ28年の人生の中でも転機というのは幾つもあったし、その中には偶然の作用する部分も多くあった。
 諸行無常、十人十色。
 小学生でも知ってそうな四文字熟語でさえ、その意味を理解できたのは最近だ。
 世の中は変わるし、人も変わる。その人の通ってきた道、業は本当に様々だし、それでいい。
 でも引きこもっていると本当に時間が止まるから、そうすると自分も変われないし周囲の変化にも気づけない。(多分このことに関しては俺が例外な方なんだと思う)
 なんにせよ、意外と気を取り直してちょっと冷静に世間と自分を見つめてみれば、案外気づかないうちに変わってるかもしれないよって言いたかった。

追記

 もともと自分の忘備録、思考整理と、最内翔を知っている方向けに書いてた文章なので、あんまり初見の人向けの書き方ではなく読みづらかったかと思います。投稿しようとして丁度いいトピックあるじゃんと思ってちょっと弄った程度なので。すみません。
 ここまで読んでくださった方が何人いるかは不明ですが、もしご興味があれば他にも二年ほど前からチラホラわりと赤裸々に書いておりますので、併せてお読みいただけると嬉しいです。

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