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尊敬できる恩師が欲しい

 どうにも心のざわつきが収まらない。

 今の俺の考えは、正直完璧に近い。はっきり言って、何人たりとも付け入る隙も無い程に考え抜いた自信と自負がある。
 だが、当然それは万人にとっての完璧ではないし、どころか俺にとっての完成系にも程遠い。
 何故か。それは、俺には圧倒的に経験が足りないからだ。
 これまでの人生、人生について考えることと、考えるのから逃げる事にその殆どを費やしてきた。バイトや派遣や正社員も経験してはいるし、友人付き合いも女性との交際もあるにはある。だが、どれも中途半端でかじった程度だ。どれも、いつもすぐに逃げては腰を据えて向き合った経験が無いのだ。
 そんな俺にとっての経験とは、そのほとんどがアニメの中の主人公を通しての経験だ。アニメは良い。戯画化され、様々な人間や社会の問題が明瞭に描かれていて、それに向き合う姿とその結果を見せてくれる。
 だが当然、アニメはアニメだ。ドラマチックに見せるために諸問題が極端に描かれ過ぎている。分析には良いがそれを根拠にするとあまりに極端に成り過ぎる。
 それが俺だ。自覚している。

 だが。だがだ。
 俺にとって現実とは実にくだらなくて、実に面倒に過ぎる。
 俺より理解の浅い奴らが我が物顔で講釈を垂れて押さえつけてくるし、でも俺はそんな人たちにかける不快を考えると俺の我儘を通していいのだろうかと考えてしまう。
 人を不快にさせ、自分も挫折をし、誰も幸せにならないままリソースを無駄にするのが怖すぎるのだ。
 俺だって自分が極端に過ぎるのは、圧倒的に自分の人生経験が足りないことは分かっている。だがどんな人生経験を得れば先に進めるのかが分からない。本気で誰かに教えて欲しいと思う。
 だが世の中に溢れるアドバイスは、普通過ぎてひねくれ切った俺には無価値か、単に自分の思い通りにしたくて俺に文句を付けてくるだけのくだらないものかばかりだ。勿論その中には真に的を得たものがあるのかもしれない。だが俺は俺の理論を人生を、全てを聞いた奴以外のそれを信じない。今までの人生が半端なアドバイスを聞こうとして悪化してきた人生だからだ。
 でも、アドバイスが欲しいのは本当なのだ。俺の考えを時間をかけて聞いたうえで、他人ではない、自ら切り開いた己の人生経験をもとにアドバイスをくれる、そんな俺が尊敬できる人からのアドバイスが欲しい。

 だがはっきり言って、拗らせすぎた俺にはそのハードルは高すぎる。
 俺に言わせれば、ひろゆきも成田悠輔も俺と同類だ。勿論俺より数段上の知識を持ってはいるだろうが、正直数段の差だと思う。己の理論を守るために世の中を睥睨している同類に思う。
 違うんだ。それだけじゃない。自分の考えを持ち、でもそれと対立する相手にすら思いやりながら、自分の意思と責任で良いと思う理想を現実に成し続け、人に評価されながら、批難されながら、酸いも甘いも生き抜いてきた人の言葉が欲しいんだ。
 そしてそんな偉い人は忙しくて、1ニートのために時間を使ってくれることは無い。ようやっと俺は生きる下準備を終え、30年かけてスタートラインに立ったというのに、次何すれば良いのか分からない。いや、分かってはいるが自分一人ではコントロール出来ない、他人の意思が介在する運の領域になってきている。

 なぁ、俺はこれだけ考え抜いた。
 自分らしく生きる難しさも、その意思を貫く業の深さも、それでも少しでも善く在らんとしてきた人類の歴史を、そしてそれを当たり前だと享受して、尚も自分に都合よくない現実を他人に都合よく変えさせようと押し付ける愚かさを。
 下準備程度は終わらせられたはずだ。そしてそんな基礎ですら、現代ではそこそこ頑張った方だと俺は思っている。人類史の一線で戦う一人になれるかもしれない程度の素養ある人間になれたと思いたいんだ。
 誰か俺を見つけてくれ。導いてくれ。
 これから先はもう、自分に有益かも分からない失敗が目に見えている活動を、他人に迷惑をかけながらやっていくくらいしか俺には思いつかないんだ。
 誰か俺を見つけてくれ。

 くそ、弱いな俺は。

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